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呪縛
みなさんは子供のころ、お正月とかお盆とか「親戚一同集まります」みたいなのお好きでした?
おとし玉とかお盆玉(って言ったりするらしいですね、昨今)とかもらえる貴重なボーナスイベントなので大事ではあったと思うんですけど、もしそれがなかったら???
普段めったに合わない親戚、特に年の近いいとこと会えるのが楽しみだった!とかごちそう食べて賑やかにわいわいおしゃべりして楽しかった!みたいな方もいらっしゃるのかもしれませんが、わたしは出来れば行きたくない派でした。
たぶん、育った家庭の影響を抜きにしてもひとりで何かやってればそれで楽しい性分なんですよね。
ゲームとか球技とかも見てれば楽しい、みたいな。
だっていとこに会えるって言われても、近所に住んでるわけじゃないし同じ学校に通ってるわけでもないし、そんなに話すことがないんです。
ましてやおじさんおばさんなんて何を話すの?
出来ればお留守番してたい・・・いつもそう思ってました。
「行きたくない」って言えばよかったのに、って今なら思うんです。
結果的に「行かなきゃダメ」って言われたとしても、子供なんだし素直に「え~っ、行きたくないんだけどなぁ・・・」と渋ってもよかったんじゃないの?と。
でも言えなかったんです、当時のわたしは。
母の実家にはわたしのいとこにあたる姉妹がいました。
本家なのでお正月やお盆にはそこに親戚が集まるのですが、そういう集まりのたびに母は言いました(もちろんその場で、ではないです。帰宅してからの話です)。
「○○ちゃんはちゃんと顔出してあいさつするのに、△△ちゃんは顔も見せない、兄さんも△△ちゃんにちゃんと言わなきゃ」
もちろん顔を出さないよりは顔を出した方がいい、あいさつはしたほうがいい、それは子供のわたしにもわかってました。
だから行かないと言えなかった?
う~ん・・・そうじゃない。
行かなかった自分が悪く言われるのがイヤなのではなく、「行かないとこうやってほかの親戚からお母さんが悪く言われる」と思っていて、それが何よりダメなことだったのです。
人が聞いたら「どっちも変わんないでしょ」かもしれませんね。
それとも「自分が嫌なことを人のせいにしてるだけ」でしょうか?
でも、あの頃のわたしは何よりもまず親の体裁を守ること最優先でした。
仲の悪い両親も外ではそう見せないようにしている、それをかなり幼いころから感じ取っていて、「じゃあ自分もそのようにふるまわなきゃいけないな」と思っていました。
だから親戚の集まりには行かないといけない、「かなちゃんはこういうときに顔も見せない」と言われちゃいけない、みんな揃って出かけて行って「問題のない家庭」を演じなきゃいけない、そう思っていました。
子供なのに難しいことを考えていたんだなあ・・・。
母親には「かなは何も言わないからそれで満足してると思ってた」と言われます。
「この子はすべて我慢してきたのだ」とようやく気付いた今 申し訳なかったという気持ちはあるらしく、「ちゃんと何でも言っていい」と言ってくれるようになりました。
スーパーにおせちの材料が並び始めた頃の話です(2、3週間ぐらい前?)。
「お正月ぐらいちょっといいもの食べようかね」と母が言いました。
出来るだけお正月を意識せず普通に過ごしたかったわたしは、何だかんだ理由をつけて「いらない」を伝えようとしました・・・が。
「なんで~、ちょっとよ ちょっと。そんな高いもの買うわけじゃないし」
あぁ無理だ、これはもう伝わらない。
「何でも言っていい」と言ってくれたんだからちゃんと言おう!
そう覚悟を決めたわたしは「いらない、親戚の集まりとかそういうのから解放されてやっとホッとしてるんだから出来るだけ正月を意識せずに過ごしたい」と言いました。
「そんな悲しいこと言わんで」
・・・なるほど。
「何でも言っていい」は何でも言っていいわけじゃないのね。
「(わたしの意に沿わないこと以外は)何でも言っていい」なのね。
「え?なんで?何でも言っていいって言ったよね?」と混乱しなかったところをみると、「わたしは我慢」の呪縛はまだ解かれてないようです。
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