今日の2本目
バスケもそうなんだけど
シュート打たないと入んないのだ
これは哲学だと思う
アップしないとダメなのだ
ハナからやんないことはあまり良くないのだ
だから今日は2本目のシュートを打ってみた
(入るか入らないかは知らんけど)
自分の書いたものを人に見られるのは死ぬほど恥ずかしい
うちの店で働いてる哲学科の子がいるのだが
彼女はたまに詩集を書いたりしている
その子曰く、顔出しはできないと
顔出しすると人間は勝手に想像が働く生き物だから書いたものを先入観なしに読んでもらえないのだと
ははーなるほど
商品によって顔出しするのが良い場合とそうでない場合があるのだな
うちの場合、食料品(🍞)なので顔出しした方がこういう人間が作ってるということで安心感を与えることができメリットの方が優位にたつ
でもtextが商売の人は(彼女のは趣味だけど)逆なのだ
話を戻すとわたしは文章を書いて読まれるのがものすごく恥ずかしいのだが(ここも日記とか備忘録として位置付けしている)
まあ顔出ししなきゃいいかと思うことにした
だからここには一切自分のパン屋についてその詳細を消そうと思う
そうすれば何本でも書けるのだそしてアップできるのだ
さて前置きが死ぬほど長かったが
今わたしが書きたかったことは自分のしたいことと好きなことと家族との両立についてなのだが
結論から言うと両立は無理だ
旦那は一応ここでは置いておこう
子どもだ
子どもは支えがいるから、自分の好きなことや仕事を突き通してまったくの無視はできない
世の中のお母さん方で子どもにピシッと寄り添っている人は多分子どもが好きだからである
子どもが好きな人はそれが生き甲斐だからそうなる
もしくは旦那が死ぬほど何年経っても変わらず好きな人とか
そうじゃない人だと家族に割かれる時間は本気でしんどい
とくに母親はすぐに周りのお母さん方から『子どもかわいくないの?』って不思議な顔をされる
(わたしはあなた仕事ないの?趣味ないの?って思う)
いやわたしの人生なんだけどね
決めるのはわたしにさせてくれよ
自分の人生であって人のための人生ではない
みんなそう言ってるのに実際はそうではない
みーんな子どもも含めて忖度して生かされてる
自由の意味をもう一度考えたが良い
人に迷惑かけるなんてことしないけど
自己責任で自由でいたい
あれなんでわたしはこんなに自由に枯渇しているんだ
多分わたしの子ども時代の影響なのか
安定の地を求めて彷徨う鳥のようだ
しかし持久力には自信がある
どこでも生きる力(金を稼げる力と語学力)は持っている
さてあと残り人生の40年をどこに持って行こうか