第一 四、祝事賀宴の一般
祝事賀宴の一般
出産に関する礼儀
宮中に於かせられては、別に御義式は行わせられないが、五十日目位に賢所に御参拝あられる。出産は一家に於いては勿論、国家にとっても最も祝福すべきことで、往古に於いてはその式礼も極めて丁重であったが、今は甚だ略されて来た。
「帯の祝」
先ず出産に至るまでに行われる式は、多く懐妊五ヶ月目、五月帯をする着帯式である。これは 帯の祝いとも言って、宮中並びに皇族に於かせられても行われている。多く戌の日を選んで行われているが、これは、犬は子を多く産んで、出産の極めて軽いものである所から、縁起をとったものであると思われる。当日里方では紅白の絹八尺づつを奉書に包み、水引をかけ、酒肴を添えて送る。産婆は嫁の腹にその絹を巻き付けて帯とするのが作法である。そして産婆には、食膳を饗して金子を贈るのである。
「命名式」
分娩の作法に就いても、昔は色々むずかしい式があったらしいが、今は二枚折の屏風を立てる位である。また昔は三夜、五夜、七夜と言って三日目、五日目、七日目毎に祝いをしたが、今日では唯七夜のみを祝うことになっている。この日は子供の名披露の祝いである。
生児の名は本来両親が命名すべきものと考えられるが、近親中の幸福な年長者や尊敬する師、先輩等に所謂名付け親を頼む事がある。この場合は、奉書、杉原、いずれにても二枚重ねて折紙とし、その中央に生児の名を書き、着一重を贈るのが法である。そして出産の家では、産婆及び近親の人を招いて宴を張り、生児の前途を祝うのである。
「宮参り」
次に宮参りであるが、これは児の忌の明けたのを祝して、始めて氏神に参詣させるのである。土地に依っては多少違うが、多くは男子なれば三十二日、女子なれば三十三日目である。神社に行ったならば、生児の姓名及び生年月日等を神主に告げ、幣帛料を納める。
これは地方に依って違うが東京ならばその帰りに主なる親戚を訪問し、千歳飴を持参する。訪問を受けた家では、犬張り子、でんでん太鼓、笙の笛等の玩具に、麻、末広などを添えて、生児に贈るのが風習となっている。なお母親の忌明けは七十五日とされている。
賀寿
賀寿とは全ての人の長寿を祝福する賀宴である。四十を初老と言って、四十の賀、或いは五十の賀と言うこともあるが、普通は還暦の祝いが始めである。いずれの場合も餅を搗いて親戚知人に配り、子孫打ち集いて祝宴を催すのであるが、これは足利氏の末以後のことで、その子が父母のために、その孫が祖父母のために、又弟子がその師ののために行うのを例としている。
「還暦」
還暦はまた本卦還りとも言って、六十一歳の時行うもので、赤い頭巾や衣服を用い、親戚や知己を招いて賀宴を開き饗応するのが例である。
「古稀の祝」
七十歳の時行う。これは人生を七十古来稀なりと言う句に基づいたもので、めでたき長命を祝う賀寿であって、紅白の餅を親戚や知人に分かつのを恒例としている。
「喜の字の祝」
七十七歳の時行う。これは七十七の三字を合わすと草書の喜の時に当たるところから、そう言われて居るので、この祝いには餅並びに扇、帛紗などに喜の字を記して親戚知人に配る。
「米寿の祝」
八十八歳の時行う。これも八十八の三字を合わすと、米の字になることからこう言ったものである。その祝賀の方法は喜の字の祝いと同様である。 その他九十歳、百歳の時にも、寿を祝して賀宴を開く。