ここでなんで書きたいのか 2

誰かの役に立てるかもしれない

私はもう直40歳になるのだが、とにかく人の役に立ちたいと思うようになった。人からのありがとうがなんとも沁みるお年頃だ。
ただのお節介おばさんになっているかもしれないが、それはそれでいい。

生まれて数週間経った時に、PVL(脳室周囲白質軟化症)があると診断された。
それまで自分の子に障害があるなんて全く考えていなかったので、先生にそう言われた時は視界が全てモノトーンとなり、心臓に漬物石を詰め込んだかのように体が重くなった。ご飯を食べても無味だった。
カメコはNICUからGCUへ移動した時に診断を受けたのだが、そこにいる看護師も厄介なお母さんだと思ったであろうほどずっとずっとただただ泣いていた。

そんな時に私の支えになったのがブログの存在だ。同じPVLの赤ちゃんが立派に歩いて元気に過ごしているというブログを心の支えにしていた。
PVLという病気はそもそも出産時のトラブルで赤ちゃんへ酸素がうまく届かなくなり、脳の一部が壊死してしまっている病気である。よって同じPVLでもその脳の損傷の範囲で状態はかなり異なってくる。また範囲が広くとも奇跡的に健常児と変わらない子もおり、私はそのような子たちのブログを見つけては、「大丈夫、私の子供にもきっと奇跡は起きる」と信じていた。そうすることで、心の安定をギリギリ保てていた。

それから少し経ち、療育園に入園した。今まで障害について人と喋れなかったのでそのお母さんたちとさぞかし話に花が咲くかと思いきやそうでもなかった。
私のメンタルが弱り悩んでいる姿をみては、療育園の先生たちは口を揃えて「他のお母さんと話ししてみたら?」と言ってきた。同じ経験をしている者同士、分かり合えるという理論は間違っていない。しかし実際そのお母さんたちがとてもいい人たちだったからこそ、私の相談がそのお母さんを傷つけてしまわないか恐かった。

障害の中でも、発達障害・知的障害・肢体不自由では悩みも違う。同じ肢体不自由でも重度と軽度ではできることは全く違う。みんな頑張っているし、比べるものでないことは重々承知だ。しかし自分のメンタルによってとても卑屈に捉え傷ついてしまうということは何度も何度も経験してきた。それをしてしまう立場にはなりたくなかった。

障害児の母親の気持ちはいつもとても複雑だ。カメコは癇癪持ちで自傷もあるので、最近は毎日自分の髪をひっぱり自分の腕に噛み付いている。
これを穏やかな気持ちで見れる親はいるのだろうか。いつも心がざわついている。けれどこれが日常でこの状況に一喜一憂落ち込んで引きずっていたら私の人生はずっと闇の中だ。目の前の現状は辛いけど、それはそれ。と割り切らないとやっていけない。
療育園では発作持ちな子がたくさんいる。自分の子供がしんどそうなところを見るのはどの親も辛いはずだ。けれどやはりそれが日常でそのまま受け入れるしかない。淡々とみんな記録して看護師に告げている。

いつも感情に蓋をしてきた。ずっと悩んでいるし解決できないこの気持ちは開いたところで誰が処理をすることができるのだろうか。

そんな私でもずっと同じ悩みをもっている人の手助けはしたいと思う気持ちがあった。冒頭にも書いたがお節介おばさんなので、私みたいに障害を宣告されて生きた心地がしないお母さんに「大丈夫、生きているけるよ」ということが私を救ってくれたブログのように伝えられないかなと思った。残念ながらカメコに奇跡は起きなかったが、同じ経験を共有したい人もきっといるはずだ。奇跡が起きないパターンだったお母さんの参考になるかもしれない。

そして障害を持つ子供が生まれたお母さんを見守る人にも見てもらいたいなと思っている。お母さんたちはどれだけ辛くても感情の100%ぶつけてくることはないだろう。きちんとした大人は感情的になってはいけないと、気持ちに蓋をして出来るだけ毅然とした態度で対応をしようとするはずだ。
ここでは私のありのままの感情を吐露する予定だ。一例に過ぎないが、こんなことを考えているんだと参考にしてもらえたら嬉しい。
そして障害がある子のケアを一生懸命しているお母さんに、寄り添ってとにかく力になってあげてほしい。




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