娘はかわいそうな子なのか
カメコは出産時に酸素が脳に回らず障がい者となった。障害があって、と周りの人に話すとおばあちゃん世代には大体「かわいそう」と面と向かって言われる。「え?私がいるのにそれ言っちゃう?」と毎度思うけど、今まで素敵な方だなと思っていたおばあちゃんにも言われるので、みんな全く悪気がない言い方なんだなと思っている。
それより年下の方の反応は本当にまちまちだ。
「大変だね」と私を気遣ってくれる人。
「私の知り合いも障害があって」と共通点を出してきてくれる人。
「そうなんですね」とその後すぐに話を変える人。
「かわいそう」と言われることについて、カメコが小さい時には親たちの間で度々話題となった。言われることについてはみんな「NO」なのだが、嫌な理由は大体二つだった。
一つ目は「親が聞いて辛い」ということ。子供に障害を持たせたくて産んだわけがないし、それに苦労しているのは一番は親自身だ。私だって子供に障害を持たせたくて産んだわけではないし、カメコに健康に産んであげられなかったことに責任を感じている。かわいそうと言われると、私が辛い。カメコがかわいそうと言う気持ちもわからなくないのだが、どうか親の気持ちにも寄り添ってほしい。
二つ目は「“かわいそうな子”とカテゴライズしてほしくない」という気持ちだ。私も他人から「かわいそうな人」と思われたくない。カメコにどれほどの感情があり、どんな理解がされているかはわからないが、私がされて嫌なことを娘にも経験させたくはない。
数年前だが先輩お母さんがこの「かわいそう」と言われる問題について「そんなの“かわいそうではないですよ”ってすぐに反抗するよ〜」とさも当然のように言っていた。
障害児の母になりたての私にとってそのお母さんはとても眩しく憧れの存在となった。6年も経ったが、私は反抗できるほどの強さもなく、まだカメコのことを私自身が「かわいそう」と思っているふしがある。この気持ちがなくなるのか、堂々と「かわいそうではないよ」と言える母になって、カメコを心の底から「かわいそう」という口撃から守れるようになるのだろうか。
障害児をもつ親のコミュニティーの冊子で自分の子供を「特別な子」と表現している人がいた。なるほど、これはいいなと思った。カメコが全く寝ることができず自分も寝不足でふらふらの時、癇癪で噛まれた後にカメコのことを「かわいい」「大好き」など私は全く思えないし言えない。「特別な子」ってとてもいい表現だ。
特別に寝ないし、特別に癇癪もすごい。特別に配慮も必要だ。そして私にとって特別な存在で特別に大切なのも確かだ。
娘はかわいそうな子ではなく、特別な子。
特別なカメコよ、これからもよろしくね。