せいかいがほしい女の子
むかしむかし、あるところにお芝居を見るのが大好きな女の子がいました。
女の子は、お芝居を見てそれをまねしてよくあそんでいました。
その女の子が大きくなったとき、友だちとささいなことでけんかをしてしまいました。
一人になって、れいせいになった女の子はとても悲しくなりました。
げんじつは、お芝居とはちがって、自分のこうどうは自分で決めなければいけません。せいかいのこうどうも、まちがいのこうどうもありません。
女の子にとって、それはとてもりふじんなことにかんじられました。
「げんじつのせかいにも、台本があったらいいのに」
その女の子のねがいをきいた神さまはいいました。
「ならば与えよう」
次の日から、このせかいの人たちは神さまから与えられた台本のとおりに生きなければいけなくなりました。
それを知った女の子はとてもよろこびました。
げんじつのせかいにも、せいかいのこうどうが与えられたからです。
台本を与えられたことにおこったり、かなしんだりする人もおおぜい、いましたが、女の子はしあわせでした。
女の子は、台本のとおりに友だちとなかなおりして、台本のとおりに生きて、しあわせにすごしました。
めでたしめでたし。