1995.1.17→2025.1.17
30年前の今日…
高3だった僕はいつもと変わらぬ早朝に突然、下から激しく突き上げられる衝撃で目が覚めた。
続いての横揺れはあまりの強さに寝姿勢から体を起こすことさえできなかった。
祖母が飛んできた衣装ケースに歯を折られた以外は家族全員無事だったが、「あと数秒長く揺れていたら僕の頭に落下してたな」というくらいせり出していた当時のバカデカいCDラジカセをみて"生きることと終わることは対極じゃなくスグ隣りにある"という言葉を身をもって知った…そんな震源地での朝だった。
だからといって…
この30年常に「悔いなく生きよう」モードで居たわけではない。
ただただ時間を浪費したこともあるし、投げやりにもなった。なんなら「悔いなく生きよう!」と思っただけで何もしなかった時も数多あり、自分を責めまくった。
でも、紆余曲折を経てそんな自分のことも認められるようになったここ数年は「生きていることに感謝」とか「今ある命を大切に」などの大それたものではなく、誰しもいつ終了するか分からない人生を、さも永遠に続くかのように過ごす所謂"お花畑"モードな自分も大切にしたいと思っている。
もちろんそのベースは「生きてこそ」だけど。
誰かの人生を背負うのではなく
あの災害を経験したことで、大切な人やペット、もちろん自分を守るために正しく恐れ、経験してない人にも日頃の準備等を日常生活に置き換えて伝えることが自然に身についている。
「犠牲になった方々や動物さんたちの分まで」なんて到底無理。そうではなく、この先少しでも失う悲しみを軽減するための心を持つことの方が大切だと今の僕は思っている。