小林雅仁

映像ディレクター 「リラックマ とカオルさん」「リラックマと遊園地」/ NHK WORLD -DOMO!WORLD / 「いっぽんぽん」/ COJI-COJI・他

小林雅仁

映像ディレクター 「リラックマ とカオルさん」「リラックマと遊園地」/ NHK WORLD -DOMO!WORLD / 「いっぽんぽん」/ COJI-COJI・他

最近の記事

よくなくなくない

100均でグラスを2つ買った。急場凌ぎの備品として購入したごくシンプルな形のグラス。作った人には申し訳ないが棚に並んだ数あるデザインのものの中からどれひとつもなんの思い入れも持てないままひとまず初動時に使えれば良いか位の気持ちで。思えば僕のこの態度が全ての原因であった。 週末の休日を返上し新たに借りた仕事部屋の片付けをした。作業が落ち着いたころ急に空腹を感じはじめた僕は買いだめておいた食材群の中からレトルトのグリーンカレーを取り出して電気湯沸かしポットにねじ込み、アイリスオ

    • ハニ族の棚田

      チームラボ代表猪子氏の言葉がぐるぐると頭の中をまわりつづける。 曰く、 有史以来人々はレンズによって何かにフォーカスしそこに立ち上がるイメージに熱狂し新しいモノの見方を獲得してきた。その歴史がアートそのものである。光学的なレンズを通しアウトプットされた写真や映像然り。広義には視覚というレンズを通し意識を一点に集中させる装置である絵画における額縁や、瞬間を固定化させ人の視線を集中させる彫刻作品然り。しかしレンズを通して世界を切り取る行為はある種の暴力にもなりうる。現実と分断し理

      • リゾーム

        概念的な哲学話しかと思ったけどよくよく考えたら身近でリアルな話しだったこと。 鈴木健氏と成田悠輔氏のなにかの対談。 日本随一の頭脳を持つおふたりの会話であるから難解な部分は自分の理解が追いつくように勝手な変換をしているかもしれないがおおよその話しの大意は受け取れだ気がしていてその話しには大いに膝打つものがあった。 人体システムの進化の過程がそのまま社会のあり方に重なると言う論考。 核はそれを守る細胞膜ができたことにより内部を自立的に動かせるようになり、ある一定の排他性を持

        • 宇多田ヒカル

          テレビに観るべき番組がなくなって久しいが、遂にWEB上にアップされている諸々にも同じ様な印象を感じる日を迎えてしまった。ABEMAにもyoutubeにもその他誰かがなんらかの意図を持って作り声高に自我を主張するあまたの映像ライトコンテンツに観るべきものがみあたらない。なんだこれは。人間の頭の中だけで創造出来るものなんて半世紀も生きていたら予測の範囲に収まってしまうその程度のものなのだろうか。 もちろん腹にズドンとくる映画やドラマは今もってたくさんあるしWEBにだって夢中で一気

          コメダ珈琲

          つんでおいた本を外で読もうと思いたち近所のコメダ珈琲に入る。日曜の昼下がりのコメダ珈琲は想像を超えた盛況ぶりである。15分ほどレジ前のシートでぼっとした後に番号を呼ばれ店の最奥のパーティションに案内される。木製の仕切り板で目隠しされたその空間に入るとそこにはテーブルがふたつあって片方の空いているテーブルに座る。当然だ。何故ならもう片方には見知らぬ男女が顔寄せ合って談笑しているのだから僕が座るべきはそちらではなくもう片方のテーブルに決まっている。 テーブルに立てられているメニュ

          コメダ珈琲

          なめらかな社会とその敵

          いつ頃からか人にお薦めされた事は極力やってみようと思うようになった。お勧めの漫画。お勧めの食べ物やお薦めの場所。 以前は自分がノーマークだった情報に触れた時に根拠なきままそれを拒否する気持ちが発動していたように思う。だが筋肉が衰え上げていたガードが自然と下がり段々と殻が融解し外部を受け入れる謙虚さが生きる為に必要になったという事なのか。 あらためて謙虚に生きるってどんな事なんだろうかと考える。反対の事で言えば自分が世界の中心だと思ってるような人と話すとどこか居心地が悪かった

          なめらかな社会とその敵

          ある一定の質量との表面接触体験が無いと人は満足しない

          東浩紀氏の論考を目にし考えた。 音楽や書籍や映像は何キロバイトかのデータを作れば資本主義的必要は満たされそれを享受してさえいれば人間は幸せなんだというのは全くの幻想だと。音楽にはそこにたどり着くまでの個々人の体験や一緒に聴く仲間やライナーノーツに書かれたさまざまなバックストーリーやそんなものを含めて音楽だし、本も装丁や手にした時の重量感や売り場の陳列のされ方を含めて価値がある。 映像を作る者として観る人の満足度の高いものを作ろうとするなら、情報としてのコンテンツを作るだけでは

          ある一定の質量との表面接触体験が無いと人は満足しない

          3ヶ月

          フリーランス宣言をして3ヶ月になろうとしている。20数年の間制作会社に所属する映像監督だった訳で、映像制作に纏わる大概の事はもとより社会人として生活していくために必要な大体の事は経験しているつもりでいたのだが、そんな自分の驕りを嘲笑うかの様に世を生き抜くためのハードルが目の前に次々と現れ戸惑っている。 いち市民としての責務を果たす為、そして自分や家族の生活を守るための納税や保険に関する事。仕事のきっかけを掴む為や誰かにアプローチする為にかかる膨大な下準備時間。作業に必要なパソ

          ループゴールドマシン

          森絵都からはじまり、屋久島、山尾三省、ゲイリースナイダー、アレンギーンズバーグ、シティライツブックストア、国分寺、部族、宮沢賢治、遠野、白神、アイヌ、立松和平、知床。川。カミ、アミニズム、リージョン。 気になっていたものが一気に繋がった週末ひねもす本の虫。連鎖する不思議。

          ループゴールドマシン

          あわいで仕事するひと

          とあるアニメーションプロデューサーとお話しする機会があり心に残ったと言うか引っかかった言葉がある。 グッドプロダクト。 世界的な人気タイトルのセルアニメーションを手掛ける制作会社の中ではやや異端な作品をつくるそのプロデューサーはいわゆるコンシューマー向け商業作品とは別軸の上がりを想定した制作ラインを持っているそうだ。それはひとつにはインディペンデントで作家性を発揮しながらアニメーションを作る人たちが社会の中で活躍する場を作りたいという思いからだそうで、更にはややもすると大

          あわいで仕事するひと

          【お知らせ】小林雅仁は2022年10月1日よりフリーの映像ディレクターとして活動します。

          2013年に当時日本で2番目に大きな映像制作会社のTYOにドキドキしながら移籍しましてそれからアタフタとCMを撮ったり映像の企画コンテを描いたりしているうちにあっという間の9年半が経っておりました。その間、映像コンテンツを作り出すゼロイチの仕事に関わりたいという思いでTYOのCM演出部(現在XPD)からグループのコマ撮りスタジオであるドワーフに籍を移すという自分としては結構大きな決断をしました。おかげさまでそこから関わらせていただきましたいくつかの映像は胸を張って自分の代表作

          【お知らせ】小林雅仁は2022年10月1日よりフリーの映像ディレクターとして活動します。

          周縁を行く

          宮沢章夫さんが亡くなった。 氏の著作から滲み出る知性と世の中を少し斜めから眺める立ち姿に憧れに近いものを感じていたと思う。こういうおじさんになりたいと臆面なく思える数少ない先輩だっただけにとても残念だ。 訃報に触れた後、久方ぶりに宮沢章夫さんが出演されていた名作番組「日本サブカルチャー史」を思い出し視聴した。番組は文字通りサブカルチャーとはなんぞやについてを宮沢氏の解説と共に紐解く趣旨のものなのだが、改めて見返し妙に引っかかるキーワードがあった。それは石原慎太郎が三島由紀夫

          周縁を行く

          制作スタッフで試写会をします

          コマ撮りアニメーションシリーズ「リラックマと遊園地」が完成した。 制作スタッフの皆と完成の喜びを分かち合うため、 またそれぞれのスペシャリストたちによる最終チェックも兼ねて 試写会を行うこととなった。 試写会が終わったら いよいよここから作品は僕ら制作者の手を離れ さまざまな年代さまざまな国の人たちを 楽しませエンカレッジし そしてもしかしてガッカリさせたりもしながら 良くも悪くも一人立ちしていくのだろう。 やがて作品を観た人たちの 感想や批評や論評があふれ出ることだろう

          制作スタッフで試写会をします

          続、はじまりの記

          強烈に苛烈に思う。 まだ経験した事のない高さの山に登ろうと思ったら、 行った事のない遠洋まで船を進めようと思ったら、 ピンチになっても最後まで逃げないやつとしかロープを結んではいけない。 絶対逃げないやつにしかオールを任せてはいけない。 事態に真っ直ぐに対峙しようとするやつしか信じてはいけない。 撮影が始まる前。 これからの長い道中遭難しないか不安で仕方なかったから。周りにいる人たちの普段は見ないようにしている姿までを一人一人の顔を思いうかべながら考えた。 わからなかった

          続、はじまりの記

          アメリカン・ユートピア

          元トーキングヘッズのフロントマンであるデイヴィッド・バーンのブロードウェイでのステージを映画館でパブリックビューイングしているような感覚の映画『アメリカン・ユートピア』を観た。 だいぶガツンと衝撃を受けたので記憶が生なうちにメモしておこうと思う。 まず印象的だったのがカメラまわりについて。映像的にはライブ映画にありがちなバターン化されたカメラワークは一切無くリアルに客入れしたステージを撮っているはずなのに映像作品として丁寧に割られている事が不思議な味付けとなっている。一体何

          アメリカン・ユートピア

          クラフトなんとか。なんとか麹。あと盛り蕎麦。

          酒税法改正以降のある時期からクラフトビールをメニューに掲げるお店が街中に急激に増えた。少し経つと気の利いたスーパーの店頭にはクラフトビールを謳う少し高めの商品が顔を揃えるようになった。ばかりかクラフト何とかと銘打ったコーヒーやワインなど世はクラフト品過剰供給の様相を呈している。 同じように食品売り場を一巡するとなんとか麹やなんとか発酵の謳い文句がいつの間にか多くのパッケージに躍るようになっていた。 そもそもクラフトというのは限られた少数の職人だけが持つ特別な技術によって作

          クラフトなんとか。なんとか麹。あと盛り蕎麦。