愛の配分、眠れない夜に。
書かないといけない、と思うことがたくさんあるのに、結局こういうくだらない投稿をする。
愛の配分について。
色んな感情の中でも、愛情はとかく、配分が難しいものだと思う。
例えば、私の部屋にはいま、二人のテディベアがいる(テディベアの助数詞としてはおそらく「一体」が適当なんだろうけど、なんだかしっくりこない)。
でも、メインで一緒に寝たり、話しかけたりするのは、こちらのテディベア、アビーくんの方である。
こちらの写真でもちらっと説明しているように、
アビーくんは大学時代、イギリスの語学研修に行ったとき、ビートルズが四人並んで横断歩道を渡る、あのアビーロード関係のお店で出会いました。
一方、もう一人のテディベアは特に名前をつけておらず、SNSへの登場回数も少ない。いつから一緒にいるのかも正直覚えてないくらい。
ここに、愛情の差があるのではと最近気になり始めた。
「母性偏差値」について
元々、亀井は母性偏差値(なんてのがあるのか知らないけど)が非常に低い方だと思っている。
子どもは基本好きだし未来の宝(?)としてしっかり守られるべき存在だと福祉的観点からは理解できるが、現時点で自分に子どもがほしいとは全く思えない(結婚を考えるパートナーができて感覚が変わる可能性があるとは感じている)し、犬や猫といった動物を買ったことがないのでそこに時間をかける感覚も体感していない。
よくそれらの写真をSNSに上げる人の投稿を「へえ〜」と思いながら見ていますが、自分には程遠い感覚だな、と思っていたのです。
しかし!!!!!!
愛情というか、いわゆる母性みたいなのを、二人のテディベアには、特にアビーくんには感じる!!!!!!
失われていた母性を、目覚めさせてくれてありがとう。
愛情の表出には差がある
しかし、前述のようにその愛情の表出(亀井で言うとSNSへの露出度)には差がある。
実は、投稿をする人たちの中で二人以上の子どもがいて、一人の子だけ頻繁に出ていたりするのを見ると、胸がざわざわするというか、複雑な気持ちになることがあって。
それと同じ状況になっているのでは、と思ったりするのです。
でも、実際のところ、私の二人のテディベアに関しては、アビーくんと日中、パソコン仕事をする膝の上に乗せて交流して、夜寝るときはもう一人の子と一緒、みたいなことがあって、SNSへの露出行動という形で現れてなくても、愛情に差はない気がしてきた。
あと、社会に出て痛感するけど、子どもを何人も育てながら仕事や家事をしたり、言葉の通じないペットの命を守ったりしている人々、すごすぎな!
もはや、普通に生きているだけで、人はすごいのである!!!
これは声を大にして言いたい。
そろそろ眠くなったので
締めますが、新しく勝った外付けキーボード、Shift+9で "(” が出るはずが ”)” が出るの、もしかして不良品??
読んでいただきありがとうございました。 もし、サポートいただけましたら、亀井はホットヨガに通いまくり、仕事をがんばってパフォーマンスの質も向上すると思います。 よろしくお願いいたします。