僕が”人事の面談で自然と意識していること”がやっと言語化できたので忘れないうちに書いただけ。
こんにちは、かんばらです。
貼り付けている画像は全知全能の神ゼウスです。今回の画像はちゃんと内容とリンクしています。
記事を書き溜めて行くなかで「これは公開すべきなのか?」みたいな心の中の現象が発生しているので、実は書いた物を全部だしているわけではありません。
ただこれは公開してもいいかなと思ったので、公開します。
なぜ僕がいろんなことを言語化しはじめたのか
まず、 皆さんはどうやって”普段自然とやっていること”を言語化してますか?
そもそも「そんなことすら考えてないよ」って人もいるかもしれませんね。
僕が言語化の刺激にハマった理由はすごくシンプルな物でした。
それは、「再現性」です。
高校くらいまでは勉強もろくにしないし、常に動物的な行動を繰り返すような青年でした。感情の赴くままに行動!行動!行動!みたいな感じです。
ただしその数ほど失敗!失敗!失敗!という結果になってたように思います。
いつの日かその結果に対して徐々に嫌気がさしてきたタイミングがあり、「ちゃんと考えよう」と思うようになりました。
それがコトの始まりです。
昔から何に対しても「なんで?」を質問するような子供でした。
「なんで校内の廊下はなぜ走ったらいけないのか?」
「なんで校内でシャツをズボンの中に入れなきゃいけないのか?」
運動場で早く走れれば褒められるのに、、、。
校外でシャツを出すことは一種のおしゃれなのに、、、。
今思えばただのうざい子供かもしれませんが、僕としては全く違和感なく素直に出てくる疑問だったんですね。
でも疑問に対して考えるというプロセスを置けるほどデキのいい子供ではなかったので、疑問に感じたもの全てに「とりあえずやってみよう!」と行動して常に失敗してました。
そんな中でやっと高校生くらいの時にどうやったら失敗しないのか?を考えるようになり、初めて挑戦することでも成功者の考えを聞いたり、自分なりに試声錯誤を繰り返しながら、できる限り再現性高く成功を目指す、また一度成功したものは何度でも再現性高く実現したり、さらなる成功に向けて行動できる癖みたいなものがついたように思います。
スマホは全知全能の神ではない
生まれた時から携帯が手の中に収まり、高校生の時にはiPhoneが登場しました。そもそもメールを送れたり、インターネットを使うことが当たり前の概念だった世代というわけです。
僕より下の世代になればなるほど手の中でできることの範囲は広がっていったのも言わずもがなだと思います。
そんな環境が当たり前の時代に生きているとある程度のことが手の中で解決できちゃいます。
「わからなければググる」
「初対面の相手とはSNS上で出会う」
「家にいても誰かがご飯を届けてくれる」
ああこんな便利な世の中に生まれてよかったーなんて思いますよね。
僕は心底思ってます。
現金はなるべく持ちたくないし、スマホで解決できるものなら解決したい。
こういう便利の感覚ってものすごく大事だと思いますし、それがあるから新たな便利なサービスが世に生み出されていくんだろうなと。
でも危ないなーと思う瞬間もあって便利になればなるほど
「なんでこんなこともスマホでできないんだ!」なんて思っちゃう瞬間ありませんか?
あんなことやこんなことはスマホで解決できるのに!みたいな。
この感覚こそが僕が思う「スマホが全知全能の神状態」になってしまっている状態だと思ってます。
少し大げさに書きましたが、スマホだけでなく世のあらゆるものがそういう状態にしている感覚はあります。
テクノロジーの時代に敢えてアナログなことをする
便利になる世の中かもしれませんが、解決できない問題なんていくらでもあります。
自然との関係、他者との関係、経済との関係など抽象度をあげてますが、これみなさんのスマホで解決できると思います?
部分的にはできることもありますが解決までは到達できないですよね。
僕が社会人になって改めて強烈に思ったのは自分にだけ矢印が向いていて「〇〇やりたい!」「〇〇を〇〇にしたい!」みたいなことを思ったとしても思った通りには行かないということでした。
自分に矢印が向くことを否定しているのではなく、矢印を向けることも大事だけれども自分の思った通りに社会や経済や人が動いてくれるとおもったら大火傷するということです。
そう、なので自分1人で解決できるものなんてのはほとんどない。ということを日々意識することがとても大事で、スマホで解決できないアナログな問題にひたすら挑戦することで、その力がつくのではないかと考えています。
ぼくが敢えてアナログなことをする理由はここにあります。
理不尽だらけの社会で何をもって生きていくのか
僕は人事としてまずこれだけは意識しようと思っていることがあります。
それは、
「その人にとって1番納得ができる道は何かを全力で考えて時間を使う」ことです。
採用という仕事上、ものすごく会社に合わせて発言してくれる方もいらっしゃいます。だけどそれは僕からしたら会社に合わせる前に自分(相手)のことを知りたいという気持ちなるんですよね。
相手がどんな人生を送ってきた方なのか?
その人生を超えてどんな人生にしたいのか?
過去のエピソード1つ1つの感情や行動をお聞きしながら”その人らしさ”を見つけようと。
だからこそ、自分の話ではなく会社に合わせた話を最初にされると違和感があるのかもしれません。
そういう意識の中で自然と面談の中で
すべて”自分の思う通りにいくわけではないこの世の中”で相手の方はどうやってそれを乗り越えながら生きて行くんだろう?ということ。
を考えながら時間を過ごしていることがわかりました。
これは会社の採用基準云々という話ではなく、私が人として自然と意識していた部分です。
人生100年時代と言われる中、これからあらゆる壁に僕も含めてぶつかります。
ぶつかったとしてもいつかは這い上がってきてほしいな。とどこかで思っているからこそ、こんなおせっかいな心が働いていたんだなと。
なのでこの記事の感想は「おせっかいな人なんだな。」で大丈夫です。
こんなところで僕の言語化は終わります。
以上。