鎌田順也 追悼文集 【日野早希子】
鎌田さんとの思い出を振り返るときに、文化学院時代はやっぱり外せない。私が鎌田さんと出会ったのも、ナカゴーを始めるきっかけになったのも文化学院だった。
当時、鎌田さんはほぼいつもビデオカメラを小脇に抱えていて、気まぐれなタイミングで特定の何人かに声をかけて、セリフを口立てで伝えてから撮影していた。文化学院は入り口がアーチになっており、アーチをくぐった先にある中庭か、演劇専攻の生徒がよく使用していた講堂での撮影が多かったように記憶している。
私は鎌田さんの一つ後輩にあたる。なんでもないタイミングでお声がかかり(たまたまそばにいたからとか)、突然撮影が始まるため、いつ頃から鎌田さんと親しくなったかは全く覚えていないし、初めて喋らされたセリフも当然覚えていない。そして、撮影に参加した誰もがそうだと思うが、撮った作品は観せてもらっていない。鎌田さん卒業のタイミングで、編集してビデオテープで渡すからと数百円徴収されたが、作品として手元に来ることはなく、その撮りためた映像がどこに保管されているかも不明のようで全くもって残念だ。
鎌田さんの卒業が間近な頃だったと思う。夕方講堂のロビーで、劇団を作るので一緒にやりませんか?と声をかけられ二つ返事でオッケーした。これからのことを考えてわくわくした。
さて、みなさんご存知のように、鎌田さんは標準より大きく、私は標準より小さい。『超能力学園Z』の小道具を公園で作っていた時、突然後ろから何年生?と声をかけられた。咄嗟に振り向き24才です!と答えると、お巡りさんが戸惑った顔で立っていた。親子に見えたらしい。
そして、なんと言っても鎌田さんはモノマネが得意。鎌田さんのお通夜に長嶋先生(長嶋有さん)がいらして、ご挨拶していたら、長嶋先生のモノマネをしている鎌田さんと話してるかのようで、おかして切なくて泣きながら遊さんと大笑いしてしまった。
面白い映画を観た時、腹が立つことがあった時、我が子の言動が面白かった時。鎌田さんに話したらなんと言うだろうと考える。道で大柄な男性を見かけるとどきりとしてしまう。鎌田さんにもう会えなくなってしまった途端に鎌田さんの存在感が増すから困ってしまう。鎌田さんが私の勤める水餃子屋に食べに来てくれたが行き違いで会えず、生前会える最後のチャンスを逃してしまった。
ナカゴーを離れてずいぶん経つ私が悲しむ資格があるだろうか。こんなに寂しくて悲しくてすみません。と鎌田さんに伝えたら、私の知っている鎌田さんなら、何言ってんだよ、俺はさっちゃんのことを誰よりも愛してるよ。とどの女性にでも言う言葉を囁きながら、私の肩を抱き寄せるだろう。鎌田さんの大きな手、鎌田さんの張りのあるお腹、あの感触を一生忘れない。
日野早希子
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