鎌田順也 追悼文集 

2023年7月27日にご逝去された劇作家・鎌田順也さんの一周忌にあたり、生前かかわりの深かった方を中心にメッセージをお寄せいただきました。

鎌田順也 追悼文集 

2023年7月27日にご逝去された劇作家・鎌田順也さんの一周忌にあたり、生前かかわりの深かった方を中心にメッセージをお寄せいただきました。

最近の記事

鎌田順也 追悼文集 【いとうせいこう】

出たくなったらいつでもここからどうぞ 『ナカゴー』を初めて観たのはいつだったか。ともかくかなり早い時期であったのは確かで、私がひそかに「演劇スパイ」と呼んでいる菊池明明からのタレコミがあってすぐに出かけていったのだったと思う。  まず何よりも場所が劇場ではなかったことに衝撃を受けた。同時期にやはりスパイからのメールに名前が上がったのが『東葛スポーツ』で、当然そちらにも調査の足を向けたが、こちらも同じく劇場ではない空間で大きな声を出していた。  二大脱劇場組。いや初期はちらほ

    • 鎌田順也 追悼文集 【テニスコート 吉田正幸】

      懐かしき北区の我が家 ナカゴーと僕の所属するテニスコートは世代や属性が近いからかイベントなどで一緒になる機会が度々あった。ただ鎌田くんとは会っても軽く挨拶する程度で個人的なことはほとんど何も知らない。だから僕には彼についてのエピソードや思い出話は書くことができない。でもその作品については書くことができるかもしれない。僕がナカゴーやほりぶんに行けたのはたぶん10回くらいではあるけれど、それでもずっと思っていたことがあるのでそれを書かせてほしい。それは家族団欒の話だ。 【一】

      • 鎌田順也 追悼文集 【城山羊の会 山内ケンジ】

         鎌田君が亡くなったのは昨年23年7月だから、一年になるのか。当時、驚きと悲しさと同時に、余りにも信じられないから、これはなかなか鎌田君の不在を実感することはできないのではないか、と思ったし周囲にもそう言っていた。だって毎週の様に会っていた仲ではなかったから。ナカゴーとほりぶんの公演の時にちょっと挨拶したり一言感想を言ったり、それから鎌田君の方から僕がやっている城山羊の会に、たまあに来たりした時は目で挨拶したり、そんな感じであったから。そして案の定、鎌田君の不在は、時が経つに

        • 鎌田順也 追悼文集 【森本華】

           新作映画を観る度に鎌田さんを思い出します。  映画の話なんかしたことはないのですが、鎌田さんの作品を観る度に、きっと映画がお好きな方なんだろうなと勝手に思っていました。  『シャイニング』のTシャツを着ているのを見て、やっぱりそうなんだ!と思いつつ、『シャイニング』好きなんですか?『シャイニング』おもしろいですよね!が今さら楽しい会話になるわけが無いだろと思ってしまい、素直に「映画がお好きなんですか?」と聞けないままお別れしてしまったことをとても悔やんでいます。  でも

          鎌田順也 追悼文集 【もりももこ】

          鎌田君のこと  鎌田君とは、25歳ごろに舞台共演で知り合った。私の方が一つ年上。  その時の舞台で演じた役柄は、鎌田君は体格のいい弟。私は彼に異常に過保護な姉だった。弟が「ドラえもん」と揶揄され、姉の私が聞き返すシーンがあった。「「ドラえもん」じゃなくて「身体障害者」って言われたかのように反応してごらん」と、背後からぬうっと耳打ちして教えてくれたのを覚えている。そのあとすぐナカゴーに出演した。  私は当時荒川区・町屋に住んでいてナカゴーの稽古時の区民館も町屋だったり、鎌

          鎌田順也 追悼文集 【もりももこ】

          鎌田順也 追悼文集 【宮崎吐夢】

           2014年4月に『バック・イン・ブラック』という作品で初めて東葛スポーツに出演した際、それを観にきた鎌田さんが「吐夢さんの出し方よくない。ああいうの意味ない」と感想を漏らしていたと金山(寿甲)さんから聞いて、率直なものの言い方をされる人なんだなぁというのが鎌田さんご本人の第一印象です。  ナカゴーを初めて観たのは、『黛(まゆずみ)さん、現る!』(2012年7月)。そのときはまったくピンときませんでした。次に『牛泥棒』(2013年7月)を観て「こんな面白い演劇があったんだ!」

          鎌田順也 追悼文集 【宮崎吐夢】

          鎌田順也 追悼文集 【三宅弘城】

           念願だった鎌田作品への出演が決まってすごく喜んでいた矢先、鎌田くんはその時を待たず天国へと旅立ってしまいました。ナカゴーにも出て欲しいという嬉しい言葉もくれました。でもそれが叶わなかったのは、きっと自分がまだまだだからなんじゃないかと思ったりします。鎌田くんが「ボクの作品を演るにはまだ早いですよ」とエールをくれてるんだと勝手に解釈して、これからも精進してゆこうと思います。ご一緒することはできなかったけど、数々の素晴らしい作品、首がびろんびろんで生地もてろんてろんのTシャツを

          鎌田順也 追悼文集 【三宅弘城】

          鎌田順也 追悼文集 【水谷圭一】

           思えば、鎌田くんに助けられてばかりの人生だった。  二〇〇七年、この頃のぼくは、演劇をつづけることや、人間関係や、なんか色々なことにボロボロにされて精神的に弱りきっていた。  主宰していた劇団、野鳩は活動休止。二十九歳で東京の部屋を引き払い、実家の愛知に戻り「もう演劇はやりたくない」と、なにもできない日々を過ごしていた。  ずっと死にたいと思っていたし、夜中にゾンビ映画ばかり観ていた。たまに外出すれば、来来亭にネギラーメンを食べに行く。イオンに酒を買いに行く。街道沿いを行

          鎌田順也 追悼文集 【水谷圭一】

          鎌田順也 追悼文集 【松竹史桜】

           鎌田さんと初めてお会いしたのは、ナカゴーのオーディションです。間違えて早い時間に行ってしまい、あの町屋の稽古場に鎌田さんはお一人で、ベランダで煙草を吸っていました。建物も薄暗く正直少し不安だったのですが、良いですよと面談をしてくださいました。恥ずかしながら作品を見たことがなかったので、参考に『ベネディクトたち』も見せてくれました。ちょうど中盤で、それはもうびっくりしました。  それを機に『キンダガートンコップ』へお誘いいただき、私が芝居を離れるまで何度も呼んでくれました。

          鎌田順也 追悼文集 【松竹史桜】

          鎌田順也 追悼文集 【又吉直樹】

           鎌田さんにだけは嫌われたくないと思っていた。自分の発した言葉で鎌田さんが笑ってくれると異常に嬉しかった。鎌田さんが笑っているとつられて笑ってしまった。新しい環境に飛び込むことが苦手な自分が鎌田さんが演出する舞台には出演できた。そのすべては、鎌田さんが面白いからという理由に帰結する。いつも面白かった。いっぱい笑った。笑いまくった。楽しかった。また呑みたい。 又吉直樹 寄稿者一覧

          鎌田順也 追悼文集 【又吉直樹】

          鎌田順也 追悼文集 【歌人 枡野浩一】

          Kくんのお通夜にいてもKくんとおしゃべりできずつまらない夜  鎌田順也くんのことは大好きだったけれど、親しかったかと考えると、まったく自信がない。亡くなるまで下の名前をジュンヤと黙読していた。正しくはトシヤだった。下の名前で呼んだことがないくらいの距離感だった。  劇団ナカゴーは、立ち上げの少しあとくらいから、ほぼ欠かさずに公演を観ていた。ほりぶんは全部観ていると思う。ほかにも別名義のユニットをやったときは観た。「野鳩」という劇団で鎌田くんが俳優をやったときの演技も最高だ

          鎌田順也 追悼文集 【歌人 枡野浩一】

          鎌田順也 追悼文集 【前田隆弘】

          われわれは地続きである  初めて見たナカゴーの公演ははっきり覚えている。2013年7月の『アーサー記念公園の一角/牛泥棒』だ。誘われて見に行った公演で、それまではナカゴーという劇団があることすら知らなかった。なのに公演を見て、たちまちファンになってしまった。公演全体に不思議な面白さを感じてはいたが、『牛泥棒』のラストで爆発するようなバカバカしさを感じたのだ。ボカン!じゃなくて、ボカンボカンボカンボカンボカン!!!と連鎖的に爆発が起こるような笑い。それまで見てきたお笑いのライ

          鎌田順也 追悼文集 【前田隆弘】

          鎌田順也 追悼文集 【ブルー&スカイ】

           十数年前、知り合いから「ナカゴー」という面白い劇団があるから観に行こうと誘われて、笑いを目的とした芝居は世間にたくさんあるけれど、それまで観たことのない種類の可笑しさを目の当たりにして、滅茶苦茶笑っちゃうけどいろんなことがどういうつもりか分からない、これは何なんだ? と、鎌田さんの芝居初体験はとても衝撃的でした。そこで鎌田さんの存在を知ってから不思議でならなかったのは、この人は年中休みなく公演をやっているんじゃないか? そもそもどうしてそんな次々と作れるんだろう? と、鎌田

          鎌田順也 追悼文集 【ブルー&スカイ】

          鎌田順也 追悼文集 【藤本美也子】

          身体は大きいけれど、俊敏に動けてタフでそして繊細だった。 優しいけれど、その一方で横暴な態度を取って、怒るこちらの反応を敢えて楽しむような悪どいところもあった。 怖がりだけれど、とても勇気があった。誰のことも置いてきぼりにしない人だった。 それは、これまでにたくさん傷ついてきたからこその強さだとおもった。 九州の人が好きだと言って福岡出身の私と野上くんのことを気にかけて、可愛がってくれた。 何で九州の人が好きなのかを聞いたら「根性があるから」と言われた。本当か分からないけれ

          鎌田順也 追悼文集 【藤本美也子】

          鎌田順也 追悼文集 【日野早希子】

           鎌田さんとの思い出を振り返るときに、文化学院時代はやっぱり外せない。私が鎌田さんと出会ったのも、ナカゴーを始めるきっかけになったのも文化学院だった。  当時、鎌田さんはほぼいつもビデオカメラを小脇に抱えていて、気まぐれなタイミングで特定の何人かに声をかけて、セリフを口立てで伝えてから撮影していた。文化学院は入り口がアーチになっており、アーチをくぐった先にある中庭か、演劇専攻の生徒がよく使用していた講堂での撮影が多かったように記憶している。  私は鎌田さんの一つ後輩にあた

          鎌田順也 追悼文集 【日野早希子】

          鎌田順也 追悼文集 【萩田頌豊与】

          『牛泥棒』を観たとき。初めて憧れという対象ができた。 憧れの扱いがわからなくて、何回もナカゴーを観に行っては、その当時面識のない髙畑さんに声をかけた。本当に素晴らしかったです。という偉そうな言葉をかけた。  鎌田さんがトイレに行ったのを見たら、尿意も何もないのにトイレに入ったりした。話しかけることもなく何もせずに出た。  憧れは今でもずっとそのままです。消えることはないですし。ナカゴー作品に恋焦がれる気持ちも消えはしないです。扱い方も相変わらずわからないままです。 萩

          鎌田順也 追悼文集 【萩田頌豊与】