鎌田順也 追悼文集 【もりももこ】
鎌田君のこと
鎌田君とは、25歳ごろに舞台共演で知り合った。私の方が一つ年上。
その時の舞台で演じた役柄は、鎌田君は体格のいい弟。私は彼に異常に過保護な姉だった。弟が「ドラえもん」と揶揄され、姉の私が聞き返すシーンがあった。「「ドラえもん」じゃなくて「身体障害者」って言われたかのように反応してごらん」と、背後からぬうっと耳打ちして教えてくれたのを覚えている。そのあとすぐナカゴーに出演した。
私は当時荒川区・町屋に住んでいてナカゴーの稽古時の区民館も町屋だったり、鎌田君の地元北区・王子は、私の通っていた高校があったり、と、土地から滲み出る同郷下町シンパシーらしきものがあったのか、たちまち仲良くなった。お母さんと実家で二人暮らしをしていることも同じだった。
・好きな鎌田君語録
「東東京が本当の東京の姿だ」
「俺は生まれながらのグランジ」
鎌田君は、ナカゴーの稽古場でよく身体障害者の真似をしていた。私と二人で道を歩いている時、公共施設の階段の踊り場でも、突然し出す。しながら、通行人や相手をする私の反応を観察していた。
当時、私の家の下で鎌田君と立ち話をしていると母が通りがかり、「びっくりした。大きい子供たちが居る、と思って近寄ったらあんたたちだった」と言われたことがあった。
鎌田君との交流は、本当に子供どうしの戯れのようであった。今思えば、青春だったのか。エピソードをあげてみる。
・鎌田君とは楽しい長電話をよくしたが、本当にエンドレスで長いので途中で疲れてしまう。が、彼は電話を相手に切られることを嫌がり、こちらが切ろうとすると「ばーか」「ブス!豚!」や、「死ね!」等の罵倒を浴びせてから一目散に通話終了ボタンを押す。そうされると、すぐカッとなる私はついついややもすれば掛けなおしてしまい、としくんの猫なで声の「もしもし」に出迎えられ、長電話第二章がはじまる。(ナカゴー劇団員の子に「もりさん、それじゃ鎌田さんの思う壷ですよ」と言われたことがある)「さっき死ね、って言ったよね?そういうこと言っちゃいけないんだよ!」と問い詰めると、わざとらしい無垢な声色で「え。言ってないよ?」とくる。「嘘つかないでよ、じゃあ何て言ったの?」「シンシア。シンシアって言ったんだよ」「シンシアって何?」「金髪の青い目の女の子」……なんて面白い人だろう。と思ってしまった私がいた。
・鎌田君の家の近所のデニーズもよく行った。バイト終わりの真夜中、町屋から自転車で。執筆の手伝いとまではいかない、話し相手を朝までした。いつも深夜に働いている古参のウエイトレスさんのことを彼は「悪魔」と名付けていた。ひどい。痩せ型で、なんとなくコジコジに出てくる悪者のスージーに似ていた。通称悪魔は、早朝仕事終わりに来る肉体労働者の常連のおっちゃん達を手懐けており、豪快に談笑している様子を眺めては「あの笑顔も怖い」と言っていた。
我々は夜通し煙草を吸っていた。2020年、鎌田君が「遂にデニーズも店内全面禁煙になった。もう終わりだ」と電話してきたのをよく思い出す。執筆と煙草がセットの人だった。その頃私は、もう何年もデニーズへ行っていなかった。
・文化も膨大な量を教えてもらった。
穂村弘さんはとしちゃんから。(私は鎌田君のことをとしちゃんと呼んでいた。だんだん「あなたは」「あんたさあ」とか、お互い名前を発さなくなっていった)穂村君、と呼んでいて「本当に文章が巧い人っていうのはこういうことなんだよ」とにこにこしながら言っていた。「あなたこの間誕生日だったね、これあげればよかった」と、穂村さんの新刊の画像のみを送って戴いた事もあった。
当時放映していたドラマ『鈴木先生』は鎌田君は原作漫画からのファンで、絶対観ろよ、てな感じだった。例の長電話で、ドラマの全登場人物達の名セリフを物まね合戦した。とても楽しかった。そういえば、鎌田君はハリウッドスターの物まねもとても上手だった。ブラピとか。デイカプリオとか。絶品でした。
・漫喫のペア席でヘッドフォンを付けて一緒にゲームをしていた時に、わたしボタンを連打した勢いでうっかり大きな音のおならをしてしまった。ヘッドフォンをしているから気付かれなかっただろうと黙ってゲームを続けていたら、鎌田君が静かに出て行った。結構な時間が経ってから戻ってきて「なんか部屋の中がいきなり変な臭いになって、ぼく気持ち悪くなってトイレで吐いちゃった」と。申し訳ないことをした。
・近所のお祭りで、鎌田君がじゃがバターを買うと言うので、そこらへんで待っていた。じゃがバタが入ったカップを片手に戻ってきた鎌田君の顔は半泣きだった。カップの中身をよく見てみると、カスみたいな茶色いくずれたジャガの寄せ集めと、溶けないバターがおざなりに入っていた。夜店のわくわくした気分や食欲をそそってくれない見た目だった。彼の次に買った浴衣姿の若い姉ちゃんのカップは、黄金色のゴロゴロ大きなジャガバタが、こんもりカップの外まで盛り上がっているのが遠くから見てもわかった。茫然とした。
鎌田君は、風貌から、そういう嫌がらせをよくされていたそうだ。だから、一緒にいるときは基本的に私が注文してくれ、と頼まれた。しかしそのお祭りの時は、私は何も出来ず何も言ってあげられなかった。いや、「抗議して取り替えてもらおう」と提案したら「もういい、もう帰りたい」となったのだったか。記憶が曖昧だ。
鎌田君とは最後まで距離感がつかめなかった。とても近しい存在に感じられたこともあったけれど、結局ひとつも理解してあげられなかったかもしれない。「俺は孤独だ」とよく言っていた。面白いねえ。鎌田君という刺激は、苦しいけれど面白かった。
昨年のこと。毎度とんでもない暴言を言いたい放題吐き散らかしてくるので、逆に感嘆して「なんでそんなに自由に出来んの?」と聞くと爆笑していた。「そんな振る舞い、どこでも許されるもんじゃないよ?」と言うと「あんたがどこまで許すか試してる。戦いだ」と言い捨てて雑踏の中に消えていった。その後もう一度、最後に会った日は鎌田君が怒り吠え、私は泣きじゃくりながら帰った。
そんなでも、それでも、もしあのデニーズへ行ったら、鎌田君が携帯をいじりながら長いトイレから戻ってきて、目の前に座って一緒に煙草を吸ってくれるんじゃないか、と夢想してしまう。
もりももこ
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