この街の探偵
戯れに、探偵小説の構想を考えることがある。シャーロックホームズや明智小五郎のように理詰めで解決していくのではなく、泥臭く路地から路地へと奔走して、気づけば災禍の中心にいるのは探偵その人というような……、かといってマーロウともまた違うのだが。「燃えつきた地図」のT興信所の探偵などは、理想に近いと言えるかもしれない。文体や世界観への執着がある限り、純粋な探偵小説はやはり向かないのだろうか。
探偵事務所を構えるのにはもってこいの街だと思う。ゴミゴミしていて、路地だろうが繁華街だろうが絶えず事件や諍いが起きている。活躍の場は常に約束されている。にしても、「燃えつきた地図」、これは憎らしいほど傑作だ。……殊にその文体、多用される句点と三点リーダが醸しだす独特の間、それが不気味、不穏、不審、滑稽、さまざまの効果を存分に発揮している。択ばれた単語、崩された漢字、高度なる会話、何もかもが計算し尽くされている、少なくともそう感じさせる、必然の文体。……
やめだ、と思う。不条理を追う探偵をこの濁った街に解き放ちたいのだが、いつも公房の「壁」が俺と探偵のあいだに立ちはだかる。だが、意識せずとも、暗い目をした探偵が駅の狭いトンネルを俯きがちに歩いている光景なんかが、不意に記憶のように浮かんでくることがある。一度など、夜勤に向かう道すがら、それらしい男とすれ違ったことすらあった。探偵はマイルドという青い庇のスナックに、やはり俯きがちに入っていった。探偵は、すでに街に実在してしまっているようなのだ。……
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