見出し画像

<映画> SEVEN


 「この街が嫌い」

 若き刑事ミルズの妻が、引退間際の老刑事サマセットにそう呟く。頽廃と堕落の大都会の街に、ミルズとその妻トレーシーは越してきたばかりだ。事件が絶えず、サイレンを鳴らしたパトカーがしょっちゅう走っている腐敗した街。昼間は群衆がぶつかり合うようにして行き交い、夜も物騒な連中が路地にたむろしている。暴行された男が転がっていたり、駐車場の車がひっくり返ったりしていて、治安は渋谷や歌舞伎町の比じゃない劣悪さだ。そんな街で、ひときわ奇怪な連続殺人事件が起こった。異様に肥満した男がスパゲッティに顔を埋めて死んでいたのだ。椅子に縛られ、バケツに嘔吐しながらも十二時間にわたって喰わされ続けていた。最後は、気を失ったところを拳銃で撃ち抜かれて死んだ。

 定年を一週間後に控えていたサマセットは、警部に事件の担当を頼まれるが、これを断ろうとする。サマセットは長年この街で刑事をしてきて、あまりに不条理な事件が後を絶たないため、虚無的かつ厭世的な性質になっていた。刑事の余生を穏やかに過ごしたいサマセットだったが、執拗な警部の説得に折れ、しぶしぶ現場に向かう。腐臭漂う荒廃しきった部屋を調べていると、冷蔵庫の裏に犯人の残したメモを発見する。「大食」と書かれたそれから、サマセットは一連の殺人が”七つの大罪”をモチーフに行われていることを看破する。

 サマセットは身なりが清潔である。習慣なのだろう、鏡の前でシャツにガンサスペンダーをつけ、黒いネクタイを締め、几帳面に並べられた鍵、警察バッジ、飛び出しナイフ、ペン、拳銃、ハンケチーフを順番に身につけていく。知的で冷静沈着なサマセットとは対照的なミルズ。無造作に締めたタイをよれたシャツにねじ込み、黒い革ジャンを羽織っている。若くて、青く、サマセットの助言に耳を貸すどころか、「おれにマスをかいてろっていうのか」と反発し、一人で突っ走ろうとする。二人は相棒になり、サマセットはトレーシーに晩餐に招かれる。地下鉄が通るたびに家は大きく揺れ、飼っている犬たちが一斉に吠える。トレーシーはこの街で暮らしていくことが不安でしかたがない様子だ。元小学校の教員であるトレーシーは、公立の学校を廻ってみたが、どこも酷い環境だったと嘆く。腹にいる子供をこの街で育てていくのに絶望を感じているようだ。悩みを訊くサマセットも、過去に恋人の子供を堕胎させたという。……

 サマセットは犯人が残す証拠から文学趣味に目をつけ、知り合いのFBI捜査官に賄賂を渡して図書館の情報を調べさせる。スノーデンが告白したCIAの手口に比べ、何とも古風なものだが、これが功を奏し、犯人の住所を割り出すことに成功する。サマセットの訪れた巨大な図書館では、夜な夜な職員や警備士たちが賭けポーカーに興じている。この街の人間の恒常的な堕落が垣間見えてくる。怪しげな衣装屋、地下の猥雑なクラブ、犯罪の温床のような場所に変質者たちが犇いているのだ。

 強い大粒の雨が降り続けている。人々は一様に黒い傘を広げ、触れ合うくらいの近さで歩いている。執拗な雨と雑踏が常に閉塞感を生み出している。ジャケットの上に外套を着込んでいるから、相当に冷え込む季節のはずなのだが、どうしてか、ミルズとサマセットは傘をささない。びしょ濡れで通りを駆け抜け、コーヒーを買って、車に乗り込んだりする。濡れ鼠の不快感がこちらにも伝染してくるようだ。捜査の間にも事件は頻発し、贖罪としての殺人が繰り返される。死体はもれなくグロテスクである。終始、トーンは暗い。現場では明るい電灯をつけず、薄暗い室内を懐中電灯で照らす。ブラウン管のテレビや、小さいランプの燈りだけがぼんやりと明るい。刑事室、車内、喫茶店、取調室、どこにいても薄暗い。終始雨が降っているから、窓から陽が射すこともない。ジメジメして、陰気な街だ。

 サマセットは、人々の悪徳に対する無関心を嘆く。ミルズは、あんたも同じだろ、と言い、おれは自分だけ関心があればいい、と突っ返す。その夜、サマセットは眠れずに、子守唄代わりにしていたメトロノームを破壊し、飛び出しナイフでダーツをした。翌日の朝は珍しく晴れていた。サマセットはミルズに、もう数日だけ相棒でいたいと頼んだ。ミルズの真っ直ぐな正義感に、昨晩感化されたのだった。揚々と警察署に入っていく二人、だがそこに、思いもよらぬ人物が忽然と現れたのだった。……

           *

 映画に漂う陰湿なムードが俺好みだ。荒っぽい若さの残るブラッドピッドも、長年の労苦が滲み出るモーガンも、金色に光る腕毛が美しいグウィネスパルトロウも、「アメリカンビューティー」や「ユージュアルサスペクツ」でも抜群のサイコ的存在感を見せたケビンスペイシーも、圧巻の演技ではりつめた緊張感を醸しだしている。モーガン演じるウイリアム・サマセット刑事は、フランスの小説家”ウイリアム・サマセット・モーム”から取られたと思われるが、単に文学趣味の濃い人物だという以外に、映画と著作の関係はわからない。ウォーキング・デッドを手掛けたカイルクーパーによるオープニングも見逃せない。剃刀の歯で指紋を切り、丁寧に紅茶を淹れ、ネガに鋏を入れ、ノートを緻密な字で埋め尽くし、殺害現場の写真でスクラップブックを作っている。本編にはない、犯人側の視点である。偏執狂的な犯人像が窺える、洒落た作りになっている。巷では、サマセット刑事を真犯人とする九つの大罪説、つまりこの映画は「セブン」ならぬ「ナイン」だったという噂もあるようだ。個人的には、そんな芸当をするのはフィンチャーではなくリンチの方じゃないかと思う。サマセットを主軸に置いた続編も構想されていたというが、どうやら頓挫したらしい。試みに、二次創作として書いてみても面白いかもしれない。ミルズやサマセットが奔走し、ジョンドゥが暗躍したあの街は、俺の馴染みの街に似ていなくもない。

 警部の根回しもあり、思いのほか早く出所したミルズ。復職しろと警部に言われたが、心の傷は深く決心がつかない。やがて、ミルズはサマセットは殉職していたのを知る。サマセットと組んで或る事件を追っていた新米刑事が、血眼になって犯人を捜しているという。”憤怒”の罪を償ったばかりのミルズは、自分も犯人を追うべきか逡巡する……。

 ミルズの新しい相棒役は、トム・ハーディを想定したが、渋すぎるか。女刑事ならば、エミリー・ブラントを推す。


#映画 #映画レビュー #セブン #デヴィットフィンチャー #エッセイ

いいなと思ったら応援しよう!