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一廉の男

 変わらぬ朝だ。夜勤を終え、ジムで汗を流して帰って泥のように眠るつもりだった。上がりぎわに、相方がビールを三本くれた。誕生日の前日だからだ。それでよくよく考えてみると、いまこの瞬間が、俺の二十代最期の朝だということに思い至った。まだ、九時だ。澄んだ青を見上げなから、自転車でいつもの路を走った。感傷的というわけではないが、三十という齢を思うと、妙に重々しい心もちになった。齢だけは一廉の男というわけだ。締め括る、というほどのことでもないが、このまま寝て一日を終えるのは惜しい気がした。二十代最期の日というものは、どう過ごすのが相応しいだろう? 莫迦莫迦しいという気持ちもあった。何が変わるわけでもないのだから。だが、この日を境に何かを変えねばならぬという意識もないではない、いや、変えるべきなのだ、が、一体何を?……

 一先ずアパートに帰り、風呂だ。それでもって、ともするとソファに寝そべりたくなる躰に鞭打って、ヘアワックスを施す。これでもう出掛けるほかない。菓子パンを齧って、貰ったビールを一本だけ開けた。でも、どこへ行こうか? 考えているうちに、少しだけうつらうつらとやった。気付けば十一時近い。俺は声をあげて立ち上がり、湯冷めしそうな躰に次々と服を重ねた。レイバンをかけて外に出た。グラスは青っぽい鏡のように景色を映す。曇っていようがこれだけは外せない。陽を避けるためじゃなく、他人を過剰に視るためのものだ。 JRの駅に自転車を停めた。改札を抜けると、慌ただしい場内アナウンスが流れ出した。人身事故だ。品川方面のホームに降りると、向かいの横浜方面の電車が停まり、駅員や警官が右往左往に走り回っていた。さっそく担架が運ばれくる。作業員が線路に飛んで、先頭車両を調べている。ダイヤの関係か、こちら側のホームの電車も動かないらしく、内にいた乗客が流れ出てきた。野次馬に転じる者、電話を耳に当てて謝る者、手持ち無沙汰な若い女に話しかける者、京急まで歩くために改札に引き返す者でホームはあふれた。俺は階段の裏に廻って立っていた。西口の広場に、数台の救急車両がサイレンを鳴らしながら入ってきた。

 十一時半になった。電車はあと四十分ほど動かぬ見通しらしい。向かいのホームでは救急隊員や増員された警官、駅員が犇めいている。手馴れたようにモップやブルーシートを運び、手に持つボードに何かを書き込んだりしている。同じホームで、始発でも自殺者がいたらしかった。年の瀬だからだろうか、この季節は自殺者がやたらに増えるようだ。人生の総決算というわけだ。俺にはきょうは二十代の総決算、いやそう勇んでいるわけでもない。ただ何となく、眠って過ごすよりかは外に出た方がマシだと思っただけのことだ。そうしたら、人が電車に飛び込んだ。ようやく乗客が降ろされ、中には嘔吐している者もいた。柱に黄色いテープが張られてゆく。先頭車両にいると目されていた自殺者は、ひきずられたのかむしろ後方の車両にいた。土手にある浮浪者の棲家のようなブルーシートの囲いがあっという間に造られ、どういう構造なのか、死体はいつの間にか底に横たわった。十人ほどの作業員がシートを抱えた。見る限り、それは人間を運搬しているとは思えぬ光景だった。少しでも余計に傾けると、何かがドロリとこぼれ落ちそうになるみたいな持ち方で、しょっちゅう罵声じみた注意が飛んだ。青いビニールの棺は、階段を登って地上を目指していった。十二時を過ぎていた。生に比べ、死はなんと呆気ないのだろうと思った。だが他人の生も、その死と同様に無関心なものかもしれない。俺が二十代最期の朝を自殺者に捧げたことなど、この世の誰一人として知りはしない。やがて電車は何事もなかったかのように辷りだした。

 死体の運搬を眺めたばかりだというのに、腹が減ってしかたがなかった。品川駅で乗り換えるさい、蕎麦でも啜ろうかと考えたが、どの店も列がひどかったから諦めた。きょうは二十代最期の日なんだ、そう言って運転免許証でも提示すれば、或いは列に入れてくれたろうか。気狂いだと怖れられて先頭に食いこめたかもわからない。山手線外回りの列車に乗り、渋谷で降りた。人であふれる駅前広場を見渡し、過去にここいらで待ち合わせて性交した女のことを考えた。だからというわけではないが、道玄坂の方に歩き出していた。百軒店のアーチをくぐり、煤けた路地を無為に歩き廻った。買淫か、とケバケバしい店の看板に目をやりながら思った。二十代最期にやった女は誰だっけ? 少なくとも、娼婦じゃない方がいいだろう。道玄坂にひっかえし、唯一空いていたケンタッキーに入った。飯は蛋白質が豊富ならば何でもよかった。フライドチキンで唇と指を脂で濡らしていると、ケンタッキーがやたらと好きだった友人を憶い出した。彼は大男だった。鍛えたのではなく、生まれつき頑丈な肉体という風な躰だ。会えばケンタッキーにばかり行きたがった。最期に会ったのは五年くらい前だったか。奴はどこで何をしているだろう? 携帯を開いてみたが、ふと思い返してやめた。夜に会って、またケンタッキーに連れていかれても敵わない。店を出て、駅の方に坂を下った。

 駒場東大前駅に着いた。陰鬱な顔した学生たちが駒場キャンパスに流れていく。逆方向に歩くのは俺と女装をした髭面の男だけだ。前から来る芋っぽい女子高生が、どうしてか隣りの奴ではなく俺に顔を向けてクスクス笑った。住宅街をひたすら道沿いに歩く。女装した髭は黒い囲いのある豪邸に消えた。左に折れ、不意に現れる純日本建築と庭園を横目に行き過ぎ、ひらけた砂利道の奥にある灰色の建物が目的地の近代日本文学館だ。”文壇”の名がついた喫茶室に入ると感じのいい店員が席を案内しようとしたが、俺は断って土産物を物色した。川端康成が使用していた満寿屋の原稿用紙や、坂口安吾の缶バッチなどが心をくすぐった。が俺の字が稚拙ゆえ執筆に原稿用紙は使わないし、眼鏡猿のような顔が書かれたバッチなど何処につければいいか見当もつかないから、買うのはよした。三百円を払って二階に上がる。誰もいないらしく、ひっそりと静まり返っている。俺はダウンジャケットとリュックを革のソファに置いて、閲覧室を見て廻った。写真展が企画されていて、気難しい漱石の見馴れぬはにかみや、髪をなでつけた若き谷崎の白黒写真が並ぶ。奥には無頼派の展示もあった。原稿の山に鎮座する安吾、ルパンの椅子に行儀悪く坐る太宰と織田作の写真。三年ほど前に、駅前のキャバクラ嬢を連れて銀座で飲んだ。高校の後輩で、中也の詩を暗唱する変わった女だった。二軒目で、件のバー「ルパン」の重い戸を押した。例の写真が額縁に入れられ壁に貼られていた。他の文学マニアに混じって、俺も遊び心で真似た写真を撮ったものだった。その女はその時は六本木のクラブで働いていたが、少しして東京の外れの精神病院に入ってしまい、それ以来会っていない。写真や生原稿を見て廻った。どの作家も、案外に字が汚いのが嬉しかった。推敲の跡を読むのは愉しい。二重線で消され、隣りの空白に訂正した文が細かい字で書かれてあったり、吹き出しの中の文が文章の途中に挿入されていたりした。幾度も直したらしい形容詞などを見ると、生々しい作家の苦労が感ぜられた。本で読むのと、原稿で読むのは違う。「細雪」の原稿を見て、何だ、苦しんでいやがるぞ、おれと同じじゃないか、と生意気なことを考えたりした。志賀直哉の原稿が印刷された九十円のポストカードを土産にして、俺は揚々たる心もちで文学館を後にした。

 「おれは生まれてくる時代を間違えたよ」

 俺の口癖であり、言い訳でもある。文学の時代に生まれついたとしても、俺など誰にも注目されずに野垂れ死んだに相違ない。芥川賞が商業主義に堕し、文学が死んだと言われるこの時代においては、より一層、路地で見かける浮浪者と同じく六郷橋の麓に居を構える未来、より現実的に言えば、或る友のように駅前の漫画喫茶に棲みつくことになりかねない。いや、実はすでに一歩踏み入れているようなものなのだが……。あした、三十になる。人がまっしぐらに成熟に向かう齢でもあり、青い若年の精神を宿した齢でもある。哀しきバースデイを迎えることは必至なのだが、俺は屈辱のクリームで塗り固められた泥のケーキを悦んで喰うつもりだ。なかに詰まった苦い汚辱の果実を堪能し、俺は三十歳になる。思えば、濁流のような二十代だった。汚穢、堕落、怠惰、肉慾、頽廃、裏切り、そして死。すべてを呑み尽くさんとする不条理の濁流が、やがて清冽な一筋の流れになり、泥のあとに残った僅かな砂金が朝陽に燦然ときらめいている。俺が書きたいのはそんな小説だ。それを書き終えたとき、いや書き始めるころには、俺は人並みでは終わらぬ、一廉の男になるだろう。


#小説 #文学 #日記 #退廃 #日常

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