到来

 すぐそこまで春が来ているようだった。夜勤に出るのに手袋をしなくなり、昼過ぎに起きると花粉で喉の奥が痛んだ。歯を磨きながらベランダに出ると、人に抱きすくめられたときのような暖かみを感じた。金魚のポンヌフが死んだのは、冬がもはや葬りさられようとしていた矢先だった。
 半年ほど前から、転覆病という奇怪な病に冒されていた。肺が浮子になってしまったのか、潜ろうとしても、すぐに横ざまに倒れて浮いてきてしまうのだ。水を換え、断食し、詐欺まがいの薬品を投入した。寒さが因だという話を目にし、水槽用のヒーターを取り付けた。もはやアパートに寄りつかなくなった、ポンヌフを祭で捕ってきた女は、俺が金魚にあれこれと世話を焼くのを意外がった。確かに俺は人にも動物にも無関心で虚無的な態度をとる性質の男で、小魚一匹に金をかけるなど言語道断だと本心から思っていたし、女に連れていかせるか、いっそどちらかのドブ川に放してやろうかと考えたこともあった。苦しげにひっくり返って、たまに落としてやる餌すら喰えぬポンヌフを見るのが苦痛でしかたなかった。

 ヒーターで水温が安定してから、ポンヌフは水槽の中腹まで潜るようになった。少しだけ元気になった金魚の写真を女に送ろうとしたが、莫迦莫迦しくなってやめた。写真を撮った二日後の土曜の朝に、俺はポンヌフが身動きしていないことに気付いた。いや、動いてはいたのだが、上下に揺れる様があきらかに規則的すぎるのだった。金魚はポンプから噴く酸素の上を虚しく空転していた。俺は水槽の前に坐り、息をつめて顔を寄せた。窓からは春らしい柔らかな陽射しが差していた。死んでなお美しい琉金ならではの尾鰭を少し眺め、ポンヌフが見てきたであろう三年間のこの部屋の風景を頭に描いた。狭い四畳半の、俺と女だけの堕落した生活。この小さな金魚は、何の為に生きて死んだのだろう。無意味で間の抜けた問いを、ぎこちない苦笑で紛れさせた。
 前に女が来た時、金魚の死について、それが遠くはないだろうということ、その命が、女の心が新しい恋人の方に傾いていくことに比例して薄まっていく傾向にあること、そんなことを話し合った。もう終わりなのかなァ、ポンちゃんが死んだら、終わりってことなのかな……。俺は何て答えたろう。知らないよ、と鼻で笑ったろうか。バロウズでも読みながら黙殺したかもしれない。

 ポンヌフに触れた。肌にはまだしなやかな弾力があったが、やはりピクリとも動かない。検分してみると、膨れた腹の一部が苔色に変色していて、眼には黒い斑点が散らばっていた。バロウズが死のにおいは無臭だと書いていた。俺はポンヌフを鼻に近づけてみた。それからビニールに入れて、鉄製のスプーンを片手にアパートを出た。アパートの周りはアスファルトで固められていて、雑草の傍でもスプーンでは歯が立たなかった。それで路地から路地へと歩き廻ったが、てきとうな墓所は見つからなかった。他人の家の花壇に埋めてやろうかとも考えたが、感傷的な理由でよした。
 近くの公園にふらりと入った。この公園には石造りの人口池があり、小学生のころによく笹舟を造って流したものだった。池の水は茶褐色に濁って枯葉やゴミが浮いていた。俺は石垣の周りを歩きながら、去年か一昨年の冬にこの公園で女と星を見たときのことを憶いだした。何かの流星群の夜で、どうしても女が外に出たがったのだった。女は妙に星座に詳しくて、指を差しながら講釈を垂れてきたりした。俺は昔から星座については懐疑的だった。星の連なりに名を与えたいにしえのロマンチストがもし眼前にいるならば、見えねえよ莫迦、と嘲ってやりたいくらいなものだ。だがきっと星座にも俺のような俗物には解らぬ深遠なるわけがあるのだろう。俺はアクビを漏らしながら、金魚座はどこ? と女に訊いた。女は金魚座が存在しないことに憤った。髪の毛も蝿もあるのに、どうして金魚がないのかなァ。……

 追憶に身を任せながら、無意識に池に浮かぶ塵芥の中にあるはずのない星座を捜していた。ふと辺りを見回すと、随分とはやく芽吹いた桜の樹がポツリとあった。花弁がこまかく赤みが濃い、やせた河津桜だった。早いなァ、と俺は人ひとりいない公園で独りごちた。スプーンで根元を掘った。すぐに細かい根の網に引っかかったから、柄の方でガリガリと隙間を削った。ちょうど根のハンモックというような形の穴に、ポケットに入れていたビニールの中のポンヌフをそっと横たえた。尾にも鰭にも、まだ瑞々しさが感ぜられた。陽を透かしたような美しい橙色は、咲きかけの桜の色彩にもけして劣らぬ。生物を土に埋めるというのは、考えてみれば生まれて初めてのことだった。外国映画の墓堀人夫を想像しながら、土をかぶせてならした。根が養分にする前に、花に見惚れた散歩人が連れた犬が掘って喰わなきゃいいのだが。死骸が生き残ればもしかすると、一月後には夕陽色の花びらが一房くらいは咲くかもしれない。柔らかな風になぶられた河津桜の先端にある、生きた桜を少しだけ千切って土の上に置いた。
 アパートに帰り、水槽を洗って風呂場に干した。部屋からは女も金魚もいなくなり、ついにまったくの一人ぽっちになった。季節が流れたのだ。言いようのない感傷に襲われると同時に、心が軽くならないかといえば嘘になる。寂寥より何よりも、俺は解放を感じていた。そして春が到来する。俺だけの生命を、もはや青くもない、だが色褪せるには早い、むしろ濃く色づいてゆくはずのこれからを生きるための春だ。……

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