天空橋にて

 隣りを歩くベトナム女が、いったん店に荷物を置きたいと言った。面倒だから拒否すると、重いよ、と言って睨んできたから仕方なく持ってやった。女の荷物を持つのは好きじゃなかった。買い物袋ならまだいいが、持たされたのは中身が丸見えのビニールバッグだった。どぎついピンク色の長財布、携帯と充電器、リップクリーム、韓国のハンドクリーム、派手な柄のヘアバンド、そんな物がごった返していた。いつもなら、鞄もファッションの一部だろ、と突き放すのだが、起きたときから顳顬の鈍痛が続いていて、いまヒステリックな片言を聞くのは耐えられないと思った。女はバッグをぶら下げた俺を見ると声をあげて笑い、写真まで撮った。
 しばらく環八沿いを歩いた。女は巨大な物流施設を指差して、わたしの兄が働いてる、と言った。俺は頷きながら、ホテルから無数の中国人が甲虫のように這い出てくるのを眺めていた。日本の道路は本当にきれいね、ベトナムは汚いよ、ゴミばかり、と女が苦笑する。中国人の一行は辺りを見回して、ここはほんとうに東京か? とでもいうような身振りをして哄笑している。
 ベトナムで戦争があったろ、五十年くらい前に、と俺は言った。女は兄が働いているという前衛的な建築物から眼を離さずに肯いた。日本の学生がこの路でデモやったんだよ、戦争に反対して、当時の総理がアメリカに支援しようとしてたのを阻止するために空港に向かったんだ、ここもその時は砂利道でさ、落ちてる石を機動隊っていう、まァ警察みたいなもんに、ばかばか投げたんだって、原始的だけど死人もでたんだ、戦争に反対してんのか羨んでるのかわかったもんじゃないけど、暴れたかったんだろうな、鬱屈してたんだよ、生きるためっていうか、死ぬための大儀みたいなものもないしな、わかる気がするよ、しかし平和なもんだな、コンビニ行きゃ当たり前みたいな顔してベトナム人が働いてるし、中国人は我が物顔でここらのホテル占領してるし、一階のカフェじゃアメリカ人が朝はコーヒー、夜はビール、ここで暴れてた奴らはいま何してんだろうな、みんな死んだのかな。

 俺はだらだらと喋り続け、気付けば天空橋まで来ていた。橋を渡って、ドブ川が東京湾と合流するところまで歩いた。海のすぐ傍にポツンと鳥居が立っている。骨のように白かった鳥居が、いつの間にか朱に塗られていた。この巨大な鳥居を移設しようとした作業員が、次々と奇怪な死を遂げたという噂を聞いたことがある。
 釣り人が弁当でも食うのか、川岸に朽ち果てたテーブルと数脚の木の椅子があった。俺が坐ると、ベトナム女は膝に乗ってきて陶器のように白い顔を近付けてきた。女の舌は熱く、発酵した魚の死骸のにおいがした。壊れちまうよ、ボロいんだぞこれ。においから逃れようと、顔を背けた。岩礁でもあるのか、暗い海の上に白鷺が月の光を浴びて立っていた。薄明かりに照らされたベトナム女の横顔は人形のように整っていて、当たり前だが日本人離れしている。第二次大戦の頃にフランスの植民地だったから、白人の血が薄ら混じっているのかもしれない。だが、この饐えたような息のにおい、荒い化粧の下に透けるうすい髭、脂っぽいベトベトした黒髪、自然的な美しさがあるとはいえ、やはり発展途上国の芋娘という印象は拭いきれない。
 俺はまだ戦争について話し続けていた。唇のまわりを舐めてくる女を引きはがして、日本人とよく似た黒い眼をまっすぐに見た。なァ、おれはライダイハンについて知りたいんだよ、たぶんお前の親くらいの世代だろう、と好奇心に負けて言った。ベトナム女は何も言わずにしばらく黙ったまま暗い海を見つめていたが、やがてふり向くと噛みつくように接吻してきた。女の歯が俺の唇に食い込み、唾液のにおいに鉄の味が混ざって嘔気がした。俺の唇から生ぬるい血が垂れるのを見て、ベトナム女はこの上なく嬉しそうにわらった。「わたしたち、アメリカに勝った、強いでしょう?」

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