(株)カマタテクナスの社長に就任しました
こんにちは、ジェロこと鎌田浩嗣(30)です。
この度8月1日付で私は、株式会社カマタテクナスの取締役 社長に就任しました。
これに伴って、前任社長の父(59)は同社の代表取締役 会長に就任ということで、社長交代を行いました。
他にもWELL AIR(機器製造業)の事業部長に私の弟(26)が就任。鎌田製作所(飲食業)の事業部長に私の妹(24)が就任。
ということで、事業承継をしつつ、より一層ファミリー企業的な体制で事業を運営していくことになりました。ここでは、新体制になったということで、その経緯について完全に僕の主観で綴っていきます。
ことの発端は、倒産の危機だった。
振り返れば、ここまで事業承継が進んだのは、昨年2023年7月に表面化したカマタテクナスの経営危機でした。
それまで、私ジェロは社会人1年目から代表を務める株式会社コリッコで運営するコリッコカフェ(太宰府市)というカフェ運営に妻のマリアとコロナ明けということもあり、割と忙しくしていました。カマタテクナスには、取締役として肩書はありながらも現場にはほぼノータッチでした。そんな中で売上の7~8割を占めるWELL AIRの売上が大幅下がっていたことを知っていましたが、一時的なものだろうと私自身あまり直視せずにいました。
決算月の7月を終えて、2023年8月8日に当時の社長サルバが社員を集めて「ピンチだ!」ということを数字を添えて、明らかに示しました。
この一番の原因は、コロナ禍と社員の高齢化が相まって営業開拓とほぼ3年くらい活発にできていなかったことにあったと思います。この営業開拓、つまり顧客との接点が薄まると、製造の改善や製品改良にも反映されません。
次世代中心でがっつりやりましょう。
このピンチの中でも、サルバは非常にポジティブ。これを機会に次世代が中心となって、V字回復を目指そうという提案がありました。そして、それは全体として違和感のないものでした。
というのも、サルバはそれまでに事業承継の仕込みを着々と進めてきてきたのです。コロナ禍ではオンラインでファミリービジネスアドバイザー協会の授業を受講したり、事業承継に関する知識や人脈をつくってきていました。サルバ自らも2代目として事業承継をした経験も踏まえて、早めの事業承継が良いと考えがあったのです。これに加えてサルバは、2022年春頃に大病を患って生死を彷徨っていたので、それも事業承継をアクセルを進めたのかもしれません。
実際に、コロナ禍ではオンライン通話でファミリーメンバーが定期的に集まり、これまでの歴史や現状の課題を共有してきました。この営みが、いわゆる血縁としてのファミリーではなく、ビジネスとして一定の共通文脈をもったファミリーに進化した気がします。
それからというもの私ジェロは「成果を出したい」という思いで、色々と足掻いたり、突っ走ったりしたものです。例えば、、、
事業承継者の支援プログラムに参加
福岡県主催の「アトツギBASE」というプログラムにエントリーして参加してみた。第1期生として無事に採択されて、結果的にめちゃくちゃよかった。製造業という自分にとって未開拓分野の事業を引き継ぐことは心細いもので、近いエリアに同世代の同じ後継者の境遇をもった人と繋がれたことは、自分にとって大きな刺激になった。そして、今もそのネットワークが活かされていて最高。
ファミリー内でミーティングを開いては外部に頼る
これが結構大変だった。仕事のことなので割り切るべきとはいえ、血縁ファミリーということで、結構感情のぶつかり合いが発生して、良い議論にはならなかった印象。途中から限界を迎えて、ファミリー以外の人にも参加してもらうことでかなり議論が前に進んだのは学び。今ではフランコに会社の顧問にもなってもらって、月例会をしている。WELL AIR事業部では、マルコという超経験値豊富な方にこちらも顧問として、指導いただいている。
展示会に出てみる
これも重要。やはり製品を紹介して、実際に人の声を聞いてみる、外に出てみることで見えてきたものがたくさんあった。
カマタグループとしてのビジョンを考えてみた
僕らファミリーに関わる会社としては、カマタテクナスとコリッコがあるわけだが、これらの経営に共通するグループとしてのビジョンが言語化できるといいなと思った。色々ともがいているうちに正月がきたので、ファミリーで集まって事業をやっていく中でどんな将来の姿でありたいかを考えてみた。
さらに、それぞれの会社の経営理念も改めて言語化したり、ロゴを作ったり、アイデンティティを考えたりしてみました。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございます!
昨年の危機発生から半年間を記せたので、ここで締めます。
次回は、今年の7月までの物語を記したいと思います。