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言葉にできることがすべて

例えば

「もうすぐ連休が終わるから悲しい。」とか

「昨日飲んだジンが残っていて気持ち悪い。」とか

「川のせせらぎを聴いていると落ち着く。」とか

「昨日は恋人とたくさんの時間を共にし、幸せ満点の1日だったのに、今日はどこかへ逃げ出したくなる気持ちだ。」とか

私の気持ちは、今、複雑に動いている。

あれやこれやと思いを巡らせて、嬉しくなったり不安になったりしている。


そんな今この瞬間に

何を考えているの?

と聞かれたら、なんと答えるだろう。


あれやこれや考える中の一つを選び出して

「こんなことについて考えていたよ。」

と答えるかもしれない。


すると

話題は、私の思考は、きっと

「こんなことについて考えていたよ。」の「こんなこと」に絞られる。

本当はもっと、たくさんのことを考えていたはずなのに。


話題に上がらなければ、

考えていたことも忘れてしまう。

まるで「こんなこと」以外には何も考えていなかったかのように、まっさらだ。



「単純で、シンプル」は、分かりやすい。

ヒトも、モノも、すべてのコトが

二つにぱっきり分けることができたら楽なのに。

動物園みたいに、

区画されて、互いの安全を確保されて、きれいに棲み分けできていたら、簡単なのに。


でも、檻の中の動物はたまに逃げ出す。


本来の住処でなければ、安心安全に見えても窮屈なのだろうか。

敵に狙われる危険に晒されたとしても、自分で狩りをして、自分で寝床を見つける暮らしの方が快適なのか。


やっぱり

ヒトも、モノも、あらゆるコトを

きれいに判別することは難しい。

良いでも、悪いでも、

「どちらでもない」で、

世界は構成されているらしい。

だから、

言葉にならないこの思いは

「どちらでもない」ことで、

考えていた事実を忘れて、そのうち消える。



どうにかしたいなら言葉にする。

言葉にできないことは、すべて、無いことと同じ。

そう言葉にして、悲しくなった。

この気持ちは、無かったことになるのだろうか。

言葉にならないだけで、

確実に「ある」思いなのに。




今度

「何を考えていたの?」

と聞かれたら

「あれやこれやと考えていたの。」

と答えてみよう。