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ぴちぴち・ちゃぷちゃぷ

らん♬らん♬らんっ♬

東京は久しぶりの大雨、も少し落ち着いてきた。


朝5時に起きて散歩することを日課にする。と決めている。だから今日もアラームが鳴ると同時に身体を起こし、カーテンを開け、とりあえずお茶を淹れた。こたつに入ってお茶をすすりながら、悩んだ。

雨の音がしとしと聞こえてくる。時々車が水しぶきをあげて走っていく音も聞こえる。うーん、今日はどれくらい歩こうか、はたまた歩くまいか。

洗ったばかりの靴はまだ乾いていないし、お気に入りのスニーカーはこんな雨の日に履きたくない。パンプスで散歩って…ありえない。こういう時に長靴があるといいんだけど、ないんだよねぇ。今日は散歩しないほうがいい日なんじゃないの。そうだよね。そうしよう。…いや、待て待て。朝の散歩を日課にすると決めたのに、天候に左右されていてどうする。それでは日課にならないじゃないか。(打っていて、気が滅入るほどの逡巡。たかが散歩するしないで、こんなに悩んでると思うと笑える。嘲笑の類。)


そんな自問自答を繰り返し、とりあえず着替えて外出てみっか!と決心した。雨具合や気温が知りたいし、なにより外の空気を吸いたい。

それでとりあえず玄関を出た。出てしまったら、そのまま家に戻るのはアホらしくなり、とりあえず歩くか、と傘を手に歩き出した。


大粒の雨が降っていた。傘に雨粒があたる。頭上から "ばつばつばつばつ"  と音が降ってくる。耳を澄ますと、 "ぱつ!"  とか "ぽち!"  とか "ぱち!"  なんて音も落ちてくる。

とっても愉快。傘が水を弾く音が耳に心地いい。じーっと待っていたポップコーンが弾ける瞬間を見るような楽しさがある。わくわくする。


あれ、雨の日の散歩って楽しいじゃん。


音だけに気を囚われていてはいけない。雨の日の一大イベントは水溜り越え。

小ぶりなもの、幅の広いもの、川のように流れのあるもの、路上にある水溜りはさまざまだ。私たちは目的地に最小限の被害でたどり着くため、水溜りをできる限り避けて歩かねばならない。(ここが大人と子供の違うところだ。)

道の状況を広い視野で観察し、判断することができるから(大人にとって)避けて歩くことは簡単だ。しかし、時に避けては通れない水溜りに出くわすことがある。そんなときは覚悟を決めて自分の足を最大限に開き、大きな一歩を踏み出す必要がある。重心を後ろにして、加速をつけて、ぐんっと足を前方に投げ出す。あとはもう片方の足を引き寄せるだけだ。

踏み出した後、無事水溜りを回避できるかもしれない。もしくは、避けきれず片方の足がぴちょんと返り水を浴びるかもしれない。そもそも最初に投げ出した足がすでに水溜りの中で、両足ぐっしょり、なんてこともあるだろう。


でも、結果はどうでもいい。水溜りを回避できたかどうかが問題ではない。一歩踏み出したかどうか、ということだ。


どっちみち目の前の水溜りを越えなければ目的地には辿り着けないわけで、濡れた濡れないは越えた後でいくらでも処理できることだ。

後先を考えないわけじゃない。後先を考えた上で、飛び越えなくてはいけない水溜りもあるのだ。そうなったら、そうなったとき。なによりも前に進むことが大事だから。そういうことってあると思う。



朝の散歩は水溜りを越えていかないと、お家に帰れないからね。

ふぅ、今日は上手く水溜りを避けてきたなぁ。見事な越えっぷりだった。満足感のとけこんだ雨が、家に近づく私の傘に降り注ぐ。ふと、足元に目をやった。

あれ。洗ったばっかりの靴、汚くなってるじゃん!

数秒前のあの自信はなんだったのか…夢か幻か。華麗に水溜りを越えて前に進んでる、なんて私の幻想に過ぎない。