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パラレルキャリアがは50歳からが楽しい

今年の3月27日に50歳になりました。

18~22歳:学ぶことは楽しことを知る 
アメリカ留学、生まれて初めて勉強が楽しくなり、寝ずに勉強する。それが認められ、オランダに3ヶ月短期留学、ドイツに4ヶ月インターンシップに選ばれる。アメリカ赤十字社でインターンを経験したのもよい思い出。

23~27歳:大学院から国際協力NGOへ
バーモント州に引っ越し、School for International Traininingに入学。最初の1年は学部に入り国際情勢(World Issue Program)を学ぶ。2年目からIntercultural and International Management という異文化経営学の修士課程に進む。大学、大学院時代にインターンシップをした公益社団法人シャンティ国際ボランティア会に就職が決まり、カンボジア事務所図書館事業コーディネーターとなる。

ただあまり期待されていないスタッフだった。学生でインターンをしていたときも与えられた仕事は倉庫の整理。でも倉庫にある書類を読みまくり、組織の歴史を知れたり、書類をエクセルに落としこみ傾向分析をする。それも倉庫の暗闇の中で。

このときに、私の大切にしているコンセプトである「リソースの最大化」に目覚める。この経験があり、「どの組織にもリソースはある」という視点を持って、伴走支援をするようになった。

28~32歳:ロジックモデルと現場での実践の両輪を回す
カンボジア駐在の後半戦、JICAの草の根の技術支援事業のプロジェクトマネジャーなり農村部にあるバンテイミンチェイ州で図書室整備のプロジェクトの担当をする。

JICAとのプロジェクトだったので事業のロジックモデルをしっかりとつくる必要があった。ロジックモデルとをつくって終わりではなく、現場にいる人間として現場の生の声を指標にするなど、より実にあったロジックモデルをつくり、活用をする。「現場で活用する」というところが重要。

33~37歳:9ヶ月で1億2千万円調達。広報担当、ファンドレイザーとして一歩
日本に帰国。東京事務所カンボジア担当として9ヶ月で1億2千万円の資金調達を行う。ただすごくがんばりすぎちゃったので、気を失い、転倒し、頭を打って外傷くも膜下出血を起こし強制終了。

復活後、国内事業課課長となる。初めての課長職!11人の部下を持ち、マネジメントの大変さが身に染みる。半年に一回の自己評価と面接に、11人もいると3日かかりますからね。

2009年からTwitter(いまの、X)を活用した広報をスタートしたにもこの時期にスタート。

38~42歳:東日本大震災、新規事業立ち上げ。クラウドファンディングとの出会い
2011年1月に国内事業課から広報課を独立させ、広報課長になる。それから3ヶ月の3月11日、東日本大震災が発生。2011年6月に岩手県での移動図書館事業を提案し、事業立ち上げを担当。緊急救援時の事業立ち上げと継続的な運営について、考え抜いた5年間だった。

その資金調達のために2012年2月、初めてクラウドファンディングを使うことを決意。2012年ン3月に「陸前高田市の空っぽの図書室を本でいっぱいにするプロジェクト」を立ち上げる。2012年のクラウドファンディングの支援額、支援者数日本一になりました。

2013年に『走れ!移動図書館』(ちくまプリマ―新書)を出版。

またユニクロのClothes for Smilesを通じたファンドレイジングの担当をしたのも思い出。

42~47歳:自治体での仕事×国際協力×社会的インパクトマネジメント
15年仕事をしていたシャンティ国際ボランティア会を退社。公共施設などの計画策定支援をするコンサルとなる。自治体との仕事を経験できたのがよかった。

自分の会社も立ち上げました。また一般社団法人インパクト・マネジメント・ラボの共同代表として社会的インパクトマネジメントの普及に取り組む

もう一度国際協力の仕事をしたいと思っていたときシャンティ時代の上司が転職した団体で、海外事業担当を募集していたので応募して採用される。

自分の会社の仕事とフルタイムで仕事をしている団体との仕事をしています。

48歳~:社会的インパクトを意識したファンドレイジング
これまでの経験した

  • 異文化経営の視点をベースとしたプロジェクトマネジメント

  • 海外駐在経験

  • 社会的インパクトマネジメント、ロジックモデルの作成と活用

  • クラウドファンディングを中心としたファンドレイジング

  • 広報・PR(SNSの活用も)

これらの経験をベースとした仕事をいただけるようになりました。

特に社会的インパクトマネジメントの視点とファンドレイジングの融合は、やりたかったことです。

50歳になって、いままでの経験がフルで活かせるのは幸せなことです。

でも順風満帆だったわけではありません。スイッチが入ると仕事をしまくるので、5年に一度、スイッチオフしたように体調を崩します。また家族との時間を取っていなかったことも反省です。

これからはそのバランスも考えながら、仕事をしていきたいです。

パラレルキャリアは50歳になってからが充実すると、50歳になって実感しています。

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鎌倉幸子
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