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『日曜の夜ぐらいは…』が伝えたかったこと

第1回の最初のシーンで、ドラマの世界に引き込まれた。
まだ暗い早朝、主人公サチが目を覚まし、部屋の灯りをつける。眠い目をこすりながら朝食の準備をして、足を動かせない母親を抱き、車椅子に乗せる。身支度をして、家を出て、自転車で職場に向かう。
起きる時間や段取り、家庭環境や交通手段は人それぞれだが、誰にでもある朝のルーティン。
自分の身の上とも重なるのではないかと思い、展開を追ってゆくうちに、目がうるみ、心が温まってゆく。

大阪ABCテレビ制作『日曜の夜ぐらいは…』全10話が終わった。
市川みねを演じた岡山天音がクランクアップのあいさつで言っていたように「リアルだけど夢のよう」だった。

たとえば、サチが宝くじで1等を当てたのに、喜ぶ前に怖がった場面。
額に汗してコツコツ貯めたのではなく、突然大金が転がり込んできたら、実際のところ、心から喜べるだろうか。むしろとても悪いことと背中合わせになっているんじゃないかと心配になるほうが健全だ。

そして、浮つかず、地に足をつけて生き続ける姿。
バスツアーで出会って意気投合した翔子、若葉と当選金を分け、3人の夢になったカフェの開業が実現したあとも、サチは従来の職場で働き続けた。翔子もそうした。特にサチは、カフェだけに専念し過ぎるリスクも考えてのことだったが、積み上げてきた日常をあっさり捨てないところが彼女らしかった。

3人の距離感も良かった。心が通じ合ってもおたがいを本名で呼ばず、出会った時のまま、「お代理様」「賢太」「わぶちゃん」で通していた。もし本名で呼び合ったら、距離が縮まる代わりに、たがいに触れられたくないことをさらけ出さざるを得なくなることを3人ともわかっていた。親しくなったからこそ配慮を重んじ、友情を長続きさせる方法を無意識のうちに選んでいた。

観続けていて、一つだけ感じた違和感は、根っから悪い人が出てこないことだった。でもそこが、脚本家や制作者が意図していたところだったとも思う。

誰にでもいいところはある。そこが交わりあえば、もっと生きやすい世の中になるはず。このドラマを観てくれたのなら、日曜の夜だけのファンタジーで終わらせず、自分の良さに気づき、まわりにいる人たちの幸せのために生かしてほしい。テレビにかかわる人たちなら、番組を通じて、ほんのわずかでも世の中を動かしたかったという思いもあったと思う。

#日曜の夜ぐらいは
https://tver.jp/lp/episodes/eprj8bnzys


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