精神疾患って何なんだろうか?
仕事で山口県の端から端まで横断して結構疲れた。仕事と言っても取締役就任のために実印を押す書類があったから本社まで行っただけ。印鑑文化、早く滅べ。
今日は急ぎの仕事もなかったので、下関に戻ってからは本を読んでいた。柳美里さんの『JR上野駅公園口』。ネタバレになるといけないので内容は書かないけど、読後はなんとも言えない虚しさに襲われた。お薦めです。全米図書賞を受賞して話題になった本なので、いまさら私が薦めるまでもないけど。
柳美里さんの小説は読んだ事が無かった。著者の事もよく知らないのでググって見つけたインタビュー記事がまた良い。
『自分を持て』とか『お前は自分がない』などと批判する人がいますが、自分という枠組みは、実は他者からの影響によってつくられるもの。人は他者から逃れられないし、そもそも自分自身が他者なんです。
だから自分はいくらでも組み替えられるし、編み込む他者は多いほどいいと思うようになりました。
私もそうだ。SNSだと、ツイッターでは擦れたオカマ、インスタでは料理好きで育ちのいいトランスジェンダー、私という存在のイメージは場所で変わるし、それはその場にいる他者の影響が大きい。noteが一番「私」という感じ。
柳美里さんの記事をツイートしたところ、相互フォローの方と「自分とはなにか?」という話になり非常に面白かった。
『JR上野駅公園口』と一緒にもう1冊買った本がある。中野京子さんの『怖い絵~泣く女篇~』だ。『美貌のひと』を読んで以来、すっかり中野京子さんにハマってしまった。
紹介されている絵画のひとつにブレイクの『巨大なレッドドラゴンと日をまとう女』があった。私の好きな、トマス・ハリスのレクター博士シリーズの一作『レッドドラゴン』の犯人が崇拝していた絵。犯人はレッドドラゴンになることは出来なかったけれど。虐待のトラウマを抱えた、1人の弱い人間でしかなかった。レクター博士のような本物の怪物ではなかった。
精神疾患のことを調べ始めてから、ある疑問を抱くようになった。精神疾患は、本当に疾患なのだろうか?
柳美里さんは『JR上野駅公園口』を書けたのは、自分自身が死に囚われていたからと書いていた。抗うつ薬と睡眠薬を大量に処方され、顔が焼けただれたキューピー人形の幻覚にとらわれて起きれないこともあったらしい。ブレイクも心を病んでいたのでは?とも言われているそうだ。
精神疾患を抱えると、生きるには大変な苦労があるだろうが、果たしてそれは病気なのだろうか?単に社会システムに適合するのが難しいというだけで、病気と呼ぶべきものなのだろうか?と思う。
私は性同一性障害という病気、または障害だった。過去形。今はそれを性別違和とか性別不合と呼ぶらしい。社会の都合によって私の抱える悩みは病気になったり障害になったり個性になったりなにやら忙しい。名前や分類が変わったところで私自身の何が変わるわけでもなく、わけが分からない。
『JR上野駅公園口』はホームレスの男性の物語だ。
ホームレスに心をよせ、彼らを心配し、幻覚を見ながらも素晴らしい作品を書き上げた柳美里さんと、ホームレスの支援もせず話しかけもせず見て見ぬふりをして日々を楽しめてしまう私たちと、心を病んでいるのは一体どちらだろうか。