誰かの願いが叶うころ
マヂムリ…シニタイ…
とでも言うと思ったか、この私が。死にたいどころか生きる気力ギンギンである。
何故ならもうすぐクリスマス。愛しのハニーへのプレゼントも買ってあるし、準備万端、胸ルンルンで毎日を過ごしている。
それに私には、NHK朝の連続テレビ小説『カムカムエブリバディ』がある。『カムカム』のラストを見届けるまで死ぬ訳にはいかないのだ。
最近この日記で大黒摩季や摩訶不思議アドベンチャー(ドラゴンボールOP曲)を色々もじったりして遊んでいる。
それが癖になってしまったのか、今朝『カムカムエブリバディ』を観ていたら『南無南無エブリバディ』というタイトルが頭に思い浮かんだ。
とはいえ、今のところ『南無南無エブリバディ』がこの日記に登場する予定は無い。エブリバディに南無南無する機会など、あってもらっては困る。その時世界は核の炎に包まれているはずだ。
それに、エブリバディに南無南無する日記を書くということは、私だけ核戦争を生き延びたことになる。
そんなことが出来るのはウィル・スミスくらいのものだろうと思っていた。まさか私にそんな力があろうとは夢にも思わなかった。
そうなれば、種の存続は私の頭脳と股間に託される訳だが、かなしいかな、私はオカマである。しかも低学歴だ。クローンを作る頭脳もなければ、身籠るための膣もない。ないないエブリシングだ。力及ばず申し訳ない。
あとこれは完全に誤算だったのだが、二日前に最低な下ネタ日記を書いたせいで、「ドラゴンボール=○○」と脳内で結び付けられてしまった。ミイラ取りがミイラになるとはこのことか。
言っておくが「○○」は伏字ではない。象形文字だ。
「ドラゴンボール=○○」になったとして、それで何が困るのか?と不思議にお思いかもしれない。その理由を説明しようと思う。
「ドラゴンボール集めたら神龍に何をお願いする?」
私と同世代、または少し上の世代の方なら、子どもの頃に上記のような会話を友達としたことがあるはずだ。なかったらごめん。
一応説明しておくと、8個くらいあるドラゴンボールという玉を集めると神龍という龍が出てきて、どんな願いもひとつだけ叶えてくれるのだ。
「大金持ちになりたい」「プロ野球選手にしてください」「ギャルのパンティーをおくれ」など、叶えて欲しい願いは人それぞれだが、幼い私の願いはこうだった。
「女の子になりたいです」
重い。
実際には「かわいい服が着たい」とかそんな願いだった気もする。
しかし平成初期の田舎の町では、男の子はかわいい服を着れなかったしセーラームーンも見てはいけなかったので、女の子になれたらいいのに、と思ったのである。たぶん。
まあそんなオカマあるあるは置いといて。
問題は私の頭の中で「ドラゴンボール=○○」となってしまったせいで、私の中でこの切ないはずの思い出が
『女の子になるために、世界中に散らばる○○を集めて神龍を呼ぶ』
というヤリマン大冒険になってしまったことだ。本家を超える摩訶不思議アドベンチャー爆誕である。
「手に入れろっ!ドラゴンボール!」
と元気よく歌うのは結構だが、そのドラゴンボールは元は他所様の股間にあったドラゴンボールであり、それと引き換えに己の願いだけ叶えようとするなど野蛮極まりない行為だ。下手をせずともポリス沙汰である。
そもそも他所様のドラゴンボールが世界中に散らばるとは一体何ごとか?摩訶不思議にも程がある。散らばらされたその人達は大丈夫なのか?妻は泣いていないか?
どうやら私が女の子になる為には、最低でも4人の男の幸せをぶち壊す必要があるようだ。「誰かの願いが叶うころ、あの子が泣いてるよ」という歌詞は本当だったのだ。
この摩訶不思議アドベンチャーのエンディングでは、晴れて女の子になった私がかわいい服をきてキャッキャウフフしてる傍らで、玉を失った4人の漢が泣いているのである。
この冒険は、私にとっては世界で一等イカしたドラマに違いなかったのだが、そのせいで彼らはもう二度と妻をイカせることが出来なくなってしまった。本当にこれでよかったのだろうか。祈りは彼らに届くのだろうか。私には分からない。
いけない。ついしんみりしてしまった。そのせいか象形文字も忘れ、ややダイレクトに『玉』と書いてしまった。ポロリというやつである。
せっかくだからこの際、『玉』という字の持つ意味を調べてみた。グーグルで『玉』と検索したらすぐに出てくる。出典はオックスフォード辞典である。
オックスフォードといえば私のような卑しい身分のものでも知っている、推しも押されぬ賢いアレである。
それでは見てみよう。
オックスフォードさん、ポロリどころかまさかのモロ出しである。「球形またはそれに似た形のもの」の例として、あえてそれをピックアップする必要があったのかしら。あんたも好きね。
でもきっとこれが『MECE(ミーシー)』と言うやつなんだろう。MECEとは日本語で『もれなく、抜かりなく』という意味だ。ビジネスの場ではよく使われる言葉である。さすがオックスフォードさん、恐れ入った。象形文字などと逃げを打った自分が恥ずかしい。
そんな肝っ玉の小さい私だが、一言だけオックスフォードさんにご意見させて頂きたい。
確かに『きんたま。』は「球形またはそれに似た形のもの」ではあるのだが、それ以上に「すぐれて美しいもの。りっぱなもの」であると思う。よって、紹介するならばその項目ではないだろうか?
もしこの記事を見ている方の中にオックスフォードさんの関係者様、またはそのお知り合いの方がいらっしゃるなら、いち消費者の意見として取り上げて頂けると幸いである。
これで3日連続○○についての日記を書いたことになる。さすがに大人としてどうかと思し、やや食傷ぎみだ。
私、いったん○○とは距離を置こうと思う。落ち着いて冷静になったら、また連絡するね。