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ボディワークが育てる「自己肯定感」と、それでもなおかつ残る自虐

ボディワークを学び始めて、”触れる”ということに取り組み始めると、まず陥りやすいのは、自分の行っていることは、果たしてこれでいいのだろうか、全然、的外れなのではないかと、とすべてに懐疑的になるとことかもしれません。自虐ということではありません。懐疑的ということです。そして、ああでもない、こうでもない、と様々な考えを巡らし、自分一人で堂々巡りを繰り返す。

これは、「自分を否定する」というくせなんだろうと私は思います。
(そう、これはくせなんです)

自分の考えることや行うことを、良くない、とか、価値がないと勝手に判断して、感じていることを問う間もなく。あれこれ考えを巡らすのは、一見知的な行為のようにも思えますし、「よく考えている」ようにも思えます。でも本当はそうではないんですよね。

それは、体験として、たぶん子供 のころから、ということになると思いますが、誰かから、繰り返し、「あなた自身が感じていることは、大切なことではない、加えて、自分の頭で考えて、判断したり行為することには大した価値がない」というようなメッセージを受け取り続けたということがあると思うのです。この場合の、誰か、とは親である場合が多いですよね。

小さな子供は、だいたい自己肯定しています。自然にしていれば、というか自然な感覚として「自己肯定」というものがあると思うのです。生きるということは、もともと本来、自己を肯定することだよなぁ、と私は常々思います。

そして、それを失いがちなのが、今のこの社会です。残念ながら、子供は、まず最初に親から自己否定を学んでしまうことも多いと思います。

そして、さらに残念なことに学校の教育現場での様々な体験から「自己否定」を学んでしまうことも多いですよね。私の内側に生じる様々な感覚や感情には大した価値はない、と。それよりも外からやってくる様々な情報が大切で価値があるのだ、と。

ボディワークは、(一言で言うとすれば)本来、生きている人間ならば自然に身につけている(はずの)自己肯定感を取り戻すためのもの、と私は思ってるんです。自己肯定感とは、自分のカラダが今ここにあるという感覚ともいえます。自己肯定感とボディワークとは、ふかーいつながりがあります。

自分で自分を否定するという、不自然な、あとから身につけた一見知的な行為のように思える「くせ」によって沸き起こる「感情」に注目し、これに基づいて自分の人生を決定づけていくのは、あまりにもったいない、と私は思います。。

それよりも、「自己肯定感」に注目しそれを十分味わっていくことが、内的充足感、つまり、”幸福”につながっていくのだろうと思います。

自己肯定感とは、良いとか悪いとか、何かの評価ではなく、 ある「考え」というものでもなく、「自分のカラダの感覚を100パーセント受け入れる」ということから生まれてくるものです。

現代人が、自己否定感に苦しむのは、とりもなおさず、カラダの感覚を鈍らせていることで、本来自然に身につけている(はずの)自己肯定感を失ってしまっているからではないのかな。

カラダの感覚に
100パーセント素直に耳を傾け、
そして素直にそれに従う、

これにより、自己肯定感が生まれてきます。頭でポジティブにならなくちゃ、とか、自己肯定しなきゃ、と考えるのではなくてね。

これが私が思う「ボディワーク」かなぁ。

ゆったりセラピーは、自己肯定感を取り戻していくためのワークだなと思います。「触れること」「触れられること」は自己肯定感を育てる最も自然なツールであるとも私は考えます。

ところが、セラピストが、ボディワーク(施術)を学ぶ中で自己否定感に惑わされるというのは、よくあることなんですね。何としたことか。

でも、現実には、セッションの際に起こりがちなことではあるんです。

セラピストは、そういうワナというか、からくりに気付いて、はたと「自己否定」のくせをやめる決断を都度しなければならないと思います。そして日々、自らの自己肯定感を深めていくような日常を過ごすことが、セッションの場においては、受け手を助けていくことに真っ直ぐにつながるのです。

そして、それには相手が何を感じているか、直接、「聞いてみる」、ということも大事になってきますよね。

相手が分からなくなったら、

あるいは自分が分からなくなったら、

「今、私のカラダは(あるいはあなたのカラダは)何を感じていますか?」と直接、問いかけをする。相手は、今こう”感じて”いるであろう、と”考える”のではなくて。本当にカラダそのものに聞いてみる。どんな答えが返ってくるかは問いかけてみなければわからないものだ、と長年ボディワークの取り組みをやっているものとしてつくづく思います。

またその問いを投げかけられたら、感じていることを何の判断も加えずに素直に言葉にしてみようとする。

この試みの繰り返し、

フィードバック、と言っていますけど、

これが自己肯定感を育てていくと私は考えています。ゆったりセラピーの種々のセッションの練習をする、ということは、手技を覚えることのみではなくて、フィードバックまで含まれますし、もし問いかけてくれる相手がいないのであれば、自分自身で自分に

私は今、何を感じていますか?

と問いかけます。私のカラダは、と”カラダ”に聞いてみるのがいいですね。

問いかけそのものが重要です。私にとっては、この問いかけこそが、ボディワークです。これが私がエサレン研究所で学んだ最大のことだったなと今、思うのでありました。

さてそんなこんなで、エサレン研究所でのトレーニングから30数年、私のカラダは今、何を感じていますか?と問いかけ続け、自己肯定感を育て続けたはずの私なのですが、自身のカラダに向き合えば向き合うほど、私の中の「自虐」に気づく、ということが起こるのでした。

この自虐が、一体どこからくるのであろうか、と探っていくと、どうも、カラダというものは自分のものではないようだ、つまり私の身体は私の所有物ではない、という結論に達するのです。


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