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HIKAKIN (ヒカキン)

noteを書いてく中で絶対にやりたかったこと、クリエイターについて書きたかった、ただ時間がかかるのでどうしても毎日投稿の中でこれをやるには気合と根性が必要だとずっと考えてました。ただ、このタイミングだから書こうと思った気持ちが勝ったのでがんばりました。HIKAKINさんの誕生日である4月21日30歳に間に合わせたかったので。

そして一番最初にクリエイターの事を書きたいと思ったのは間違いなくHIKAKINというクリエイターでした。文中にも彼のことを表現する時に僕はHIKAKINさんという形で記載してます。
最後にもまた書くと思いますが、僕の人生を変えた一番の人物であり、年下でありますが、年齢とか関係なく最大限敬意を払っての記載ですし、本当に一人の人間として尊敬しています。そんな彼との事を、少し昔話になるので忘れないうちの書きたい、こんな気持ちもありました。
HIKAKINさんの事を書いてくことがUUUMの事を書いてくことにもなるので長いですが一読してもらえれば嬉しいです。

1.出会いと再会

僕がHIKAKINというYouTubeで活躍してる人と(当時はYouTuberという言葉すら聞かなかった)出会ったのは2011年でした。僕はまだ前職(光通信)で携帯電話を販売する仕事をしていた時で、その時に接客コンテストを開催した際のゲストパフォーマーとして呼んだのが一番最初でした。
その時も僕が彼を見つけたわけではなく、当時の会社の別の役員が「いまYouTubeでBEAT BOXをやってる面白いやつがいる!」と、教えてもらい、コンタクトをとりイベントに来てもらったというのがきっかけです。
この一連の流れで僕が見つけたわけでもなく、僕がコンタクトをとったわけでもなく、僕はただ、会場でSuper MarioのBEAT BOXを聞いてる1人でした。

僕はハモネプがやっていた当時、そこまで番組を見てるわけでもなかったのでBEAT BOXというものも、そもそも知らなかった部分もあったし、正直な感想としては「へぇ〜」という気分でぼーっと見ていたといのが、一番最初の出会いでした。

その後、僕は2013年に再会します。

僕は前職を退社した僕は正直言うとモヤモヤしてました。
海外で働きたい、約10年間過ごした業界から別の業界で活躍したいという思い、ただ現実には英語も話せずにそして僕は自分のスキルが特別なものではないと、確信している時でした。
少し話はズレますが、僕はUUUMを設立する前にもいろんなビジネスアイデアを構想してはそれを友人に相談したりしてました。当時Gunosyのようなユーザーにあった情報を提供するサービスを考えたこともありましたが、「鎌田くん、アイデアいいけど、鎌田くんはテクノロジー得意ではないよね?」と一蹴されることもありましたし。そんなことを繰り返してる毎日の中で、前職の上司がSHOPをOPENさせたということでオープニングパーティーに向かったところにHIKAKINというYouTuberと再会しました。
(その時の写真がこちら。若い!!)

ここでもBEAT BOXを披露してましたが、僕の中では前回見たところから何か思うところがありました。いま考えると、前職パフォーマンスを観た時と、上記でも記載しましたがモヤモヤしているタイミングで再会し、観た感想が全く違っており、一言でいうと何かを見つけたという思いになりました。

その後、すぐに僕はもう一度会いたいと伝え、別の機会でお茶をさせてもらいました。
※待ち合わせした時にスマホいじってた時の写メ。笑

当時お茶をした時にいろんなことを質問しました。

・YouTuberって何なのか?・どうやって生計を立ててるのか?・なんでYouTubeをはじめたの?・出身は?兄弟は?・いまYouTubeで有名な人は?

一通り聞いて、僕は思いました。あやしい!!!と。
後々出版した書籍の際にも言いましたが、僕の印象はそんな感じでした。
そしてHIKAKINというYouTuberはシンガポールに旅立っていきました。

HIKAKIN × Aerosmith

この一連の出来事を僕が言うということでないですが、僕からすると怪しいと思った人間が「あ、この人は本物なんだ...」という確信に変わる出来事だったと思います。シンガポールに行くと聞いた時には、オススメの食事場所とかをメモで送っていた自分でしたが、帰国した際にAerosmithと共演してきたというエピソードを聞き、最初は信じられない気持ちでしたが、改めてこの時にちゃんとYouTube、YouTuberを理解しようと思いました。ここから全てが始まったと思います。

2.YouTuber HIKAKIN

YouTuberを理解していくことについては、とにかく動画を見るということに尽きました。動画を見るということで彼らの日常を垣間見ることができましたし、そこからどういうビジネス、可能性が生まれてるということもわかってきました。僕はいまもはじめてYouTubeをやりたい!と、相談受けた時にはとにかくHikakinTVを見ることをおすすめしてます。本人は嫌がるかもしれませんが、HikakinTVは教科書のようにわかりやすい動画だと、まさに入門編としては最高だと思っています。そういう意味では僕が最初にであったチャンネルがHikakinTVで本当に良かったと思っています。

HikakinTVは毎日夜19時に動画がアップされて、パソコンの前で親子で一緒になって見るもらえてるチャンネルです。

スタートはここでした。そして、当時面白かった?出来事として、YouTubeが19時に公開された時に、再生回数が「301回以上の再生回数」として止まることがありました、今はないですが当時はアクセスが著しく集中するとスパムではないかということで止まるということも教えてもらいました。

そして驚いたことがあります。改めて毎日投稿を必ずしてるということでした。他のYouTuberも多く投稿してることはありましたが、毎日19時投稿と決めたのはHIKAKINさんが最初であり、本当に実行していました。今まさにnoteを毎日書いてる僕としては、動画で毎日投稿がどれだけ大変かというのが昔よりはわかる気がしますが、本当に大変だったと思います。

シンガポールからの帰国後にいろんなことを教えてもらいましたし、気がつけば、僕はHIKAKINというクリエイターを通して、YouTubeが好きになり、YouTuberが好きになって言った時期でもありました。

またこんな面白いことも聞きました。

紹介する商品が動画の影響でより売れるんです

ロジックは聞けば簡単なんですが、すごい仕組みでした。

・商品を紹介する      ↓・視聴者がURLからAmazonに飛び、購入   ↓・一定数購入数が短時間で増えるためAmazon内ランキング上昇   ↓・結果、動画を視聴してない人が購入

あとから考えれば日本でTOPのクリエイターが言うことなのでそれは売れるわなと思いながらも、、ここから、少し僕はひらめきはじめます。

3.会社設立

再会したのが2013年3月,Aerosmithとのシンガポールが6月,そして同じく2013年6月に僕はONSALE株式会社という会社を設立します。
あれ?UUUMじゃないの?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、UUUMはもうちょっとだけ先で、正確にはあと3〜4ヶ月後にこのONSALEという会社が商号変更してuuumになります。(当時は小文字でした)

ものが売れると聞いた僕の脳みそは、YouTube上でジャパネットたかたのようにいろんな商品を説明してもらい、そこから商品購入へと繋がるWebサイトをつくり、YouTubeを埋め込むということをモデルとして考えました。
そのサービスが「ONSALE」だったので会社名もそのままで。これは細かく書いていくと本題から逸れそうなので簡潔に言うと失敗しました。事業として。でもこれがきっかけで多くのYouTuberと関わることになりますし、会社を自分が設立するということに繋がったきっかけではありました。そして当時の写真を探し出しましたが懐かしすぎたので。

当時の僕はこれでいける!と思ったのでチラシつくったり、販促EXPOに出展したりと頑張ってました。(繰り返しますがこれは失敗しました)

今のUUUMを考えると信じられないかもしれないですが、当時は本当にクリエイターという人たちに接し何かできるんじゃないか!と思い、ただただ僕はできることをやっていたという感じで本当に頑張っていたというだけの状態でした。結果的にONSALEは失敗するもそこから学んだこと、またサポートを希望していたちょうど成長中にクリエイターと出会えたことで、UUUMというマネジメントを中心とした会社へと変革できることができました。

ちなみにUUUM(うーむ)という会社名の由来は?とよく聞かれますが、これは僕、HIKAKINさん、あと創業メンバーの1名の3名で会社名をONSALEから変更するタイミングで結構考えて浮かばなくて、まじで悩んでたどり着いた名前です。う〜〜〜〜んと声がでたところに僕がそれいいね、と食いつき、HIKAKINさんが .com がとれる、4文字くらいの名前が良いというところから来てます。ただ .com はハードルが高く、最後は.jpではありましたが最終的にuuumになりました。

4.タイアップ動画到来

いまでは当たり前になったYouTuberを起用したプロモーション、いわゆるインフルエンサーマーケティングというものが、まだ2013年時点ではそこまで普及してませんでした。一部の代理店さんが熱心に販売してくれたりしましたが、その当時は企業さんとタイアップをすることがステマとか意味不明な感じで捉えられることもありましたし、企業コラボというのがポジティブな表現ではなかった時期だったと思います。

そんな中で2013年当時からHIKAKINさんはタイアップを受け始めてました。いくつか事例を紹介できればと思います。

・チャリ走DX 

まだこの頃のゲーム実況がHikakinTVだったということで歴史を感じます。当時Masuoさんがチャリ走を実況していたところ、ゲーム会社さんが日本においてのYouTuberの存在、HIKAKINさんというクリエイターの存在を発見し、お声がけ頂いたことから結果タイアップ動画に繋がった案件です。この当時はそもそもタイアップ動画って企業さんからいくらお金を受け取ればいいのか?何が適正価格なのか?など、全然わからないことだらけでしたが結果うまくいった案件でした。ちなみにチャリ走さんからはこのあともタイアップを頂き続け、最終的にTV CMの制作をUUUMにお願いしてもらえたという歴史的な取り組みをさせてもらいました。

ちなみに、チャリ走さんに訪問させてもらった際にご飯を食べて時の話ですが、HIKAKINさんが忘れ物(たしか財布でした)をしたことから、結果的にタクシーにあった!という時の感動を僕がなぜか撮影したのがこちら。

なんか今となってはこういう時もあったなという感じでしたが、本当にいつも一緒にいた気がします。よく打ち合わせして、動画みて、撮影手伝って、飯食ってという感じだったので、良い思い出です。

・白黒歌合戦

こちらも2013年12月に実施されたクライアントがTOYOTAさんのお仕事でした。しかも当時は名前は聞いた事はあるが初めてお会いする「電通」さんとの取り組みだったのが非常に印象的でした。そして、ただ印象的でしたということでなく、ここから年末に向けて駆け抜けたというのが裏話だったと思います。この歌合戦の本番のあとに実にTV CMの撮影がありました。それがこちらのCMです。

当時TV CMに出演できるということがどれほど光栄な事か、僕たちも理解はしていましたが露出効果としては年末大晦日のガキの使いのCMに流れたりなどYouTuber HIKAKINとして世の中に出ていった瞬間だったと思います。

・ZEUS G(ゼウス G)

これはなかなか語れるタイアップだったと思います。ここまで来るとお気づきの通りだと思いますが、2013年当時は僕自身がバディ(UUUM用語でマネージャー)とプランニング(UUUM用語で営業)を兼務していたのでとにかく走り回ってました。「YouTuberが必ずくる!」「タイアップ効果がいい!」「これからは動画です!」と言い続けて。
その中で自分で取ってきた案件はやっぱり絶対に成功させたいしという思いが強いのですが、このZEUS G(iPhone保護フィルム)はなかなか考えた案件でした。保護フィルムの強度を示す動画を作って欲しいという依頼に対して、最終的は判断としてはHIKAKINさんのiPhoneに鉄球を落とすという企画たどり着くことに。

失敗したら、iPhoneが割れるんだよな..

と、思いながら撮影当日を迎えるわけですが、本当に祈ってました。
鉄球が落ちる瞬間は本当にドキッとしましたが、、、

結果は成功でした!!!!!

前略で話した通りでAmazonのURLから購入者が流れ、結果的に商品も売れたとクライアントさんからも聞きました。本当に印象に残った案件だったなと。でも間違いなく言えるのは企業タイアップという取り組みを世の中に広げていったのは間違いなくHIKAKINさんだったなと思います。

・ロッテ 爽 (アイス)

この動画をなんで僕がピックアップしたかというと、世の中的な影響力もでしたが、この動画の制作過程を聞いている中でいろいろと考えるものがあったからです。あとに出てきますが、SMAP×SMAPの番組収録とこのタイアップ動画の制作のタイミングが重なってしまい、大変だったということです。
そして、当時はまだ僕たちのサポートということが十分にできてなくて、代理店様とのやり取りはできるも、制作過程において手伝う事ができずに、結果HIKAKINさんがコンビニに夜買いに行くということをさせてしまったということ、そしてサムネイルで分かる通り、多忙の中で氷風呂に入れてしまったこと、繰り返しますが、いろいろ考えました。
そんな中でも最終的に動画の再生回数は伸びて、たしか2014年にHIKAKINさんが公開した動画のうちで一番伸びた動画になりました。この結果自体がまた企業タイアップ案件のネガティブなニュアンスを払拭したということに繋がりました。

5.増える取り組みとYouTube キャンペーン

アンファーさんとのTV CMから露出が増えてからですが、大きなお話をもらうようになりました。YouTuber HIKAKIN,アーティスト HIKAKINとして様々なところから。僕は昔から今のHIKAKINという人間を見てますが、2013年〜2014年て彼にとって非常にいろんなきっかけとなるようなことがあったと思います。

2014年の共演・出演・アリアナ・グランデとのコラボ・NE-YOとのコラボ・Hilcrhyme 武道館 ゲスト出演

詳しくはこちらの動画にまとまってました。笑

今でこそ、テレビに出ても普通ですが、当時は全て出演するというのはBEAT BOXを披露してくださいというのがセットでした。
こういう時に僕が思う感情は先程のロッテの動画に似てますが、サポートするということで自分が何かすることでHIKAKINさんが楽になることがあればやりますが、BEAT BOXって練習するのも、本番当日も全てHIKAKINさん自身で僕はリポD(リポビタンD)を買うことくらいしかできません。

Hilcrhymeさんとの武道館ライブの時のことですが(今だから言えますが)HIKAKINさんの声が体調不良によって出なくなるということがありました。本番3日くらい前に急にLINEで連絡もらい、「声がでません」と。
もう僕たちはてんやわんやで最終的には強い注射や点滴を打ってという荒業とHIKAKINさんの声はでるようになりましたが、本番ギリギリまでヒヤッとした思い出でした。そして同年2014年のあの企画が迫ってくるのです。

・好きなことで、生きていく

Googleさんにより、YouTubeをPRするキャンペーンが2014年10月にスタートしました。この取り組みはいま考えても本当に凄いことだと、当時TV CMにYouTuberが出る、またYouTube自体のCMが地上波に流れる、街を歩けば巨大広告ポスターが貼られている。いきなり世界が変わる出来事だったと思います。僕も携わってましたが、まさかTVを見ていると突然「ブンブン!ハローYouTube、どうもHIKAKINです......」と流れてくる、こんな日が来るなんて、、たしかに海外では先行で行われていたのは知ってましたが、、
改めてYouTube、YouTuberという存在とその外部環境を理解できた機会でしたし、この露出をきっかけにさらにHIKAKINさんのメディア露出は増えていきました。

6.パイオニアという存在

ここまで記載してて思ったことは設立前から2014年くらいまでは本当にどんなことでも携わっていたし、なんでも現場に行っていました。ただ、2014〜2015年にかけて、僕ではないバディがしっかりと担当として就き、徐々にに案件として関わることは減ってきました。
こういう書き方をすると寂しそうな感じになりますが、事実寂しい!!という思いはありました。というか今もあります。ただ僕が社長という立場でUUUMをIPOさせていく過程で実務を持つことは難しかったですし、結果としてバディがつくほうが効率も上がったと思います。また僕自身は必ずHIKAKINさんと食事を年に何回か定期的に食べてましたし、そこで今まで通りYouTubeの事、いまのトレンド、色んなことを話すことができました。この食事会があるからいまも僕は最新のことを理解できていると思います。
またいま考えてみても一番最初に会えたクリエイターが「HIKAKIN」という日本でYouTuberとしてのパイオニアだったというのも大きいと思います。(むしろそれが全てというのもありますが)

パイオニアでいうと、YouTuberというだけではなくいくつか別に第一人者だったということがあると思います。

・HikakinGames

チャンネルは2013年10月に開設されましたが、ゲーム実況チャンネルのパイオニアだと思います。今では当たり前のようにみんながやってるゲーム実況でしたが、当時はゲームの実況動画をアップするということは権利問題、世の中の常識的にもグレーな部分が多く、みんな勇み足状態でしたが、そんな中でHikakinGamesは生まれました。今では普通のマイクラ(ヒカクラ)ではなく、当時流行っていたGTA5やしょぼんのアクション、そして青鬼など、少しPCゲームよりなところからのスタートでした。その後パズドラ、モンスト、そしてマイクラとメジャータイトルの実況も始めますが、HikakinGamesは凄い人気でした。

「ゲームはプレイではなくて見るものです」

こんな言葉が生まれたくらいです。僕はこのチャンネルがあるから多くのゲーム実況者が後に生まれたと思ってます。

・YouTube テーマソング

それも第一人者でした。何かというと人気あるYouTuberが自分たちでミュージックビデオを作るということでした。今ではYouTuberが楽曲をリリースする、イベントやライブで歌うという事に抵抗はありませんが当時は歴史的な事だった思います。ここからYouTubeでの音楽コンテンツは一つレベルが上がったと思いますし、これをきっかけにYouTuberが地上波の音楽番組に出演するという道ができました。
ちなみにこのYouTubeテーマソングは当時僕が会社設立前後でYouTubeを見尽くしていた時に毎回その日の最後に流す動画でした。この曲を聞くだけで元気に、またその日1日がいい日だったなと思える大好きな曲です。


・登録者数No.1
YouTubeの指標の一つにチャンネル登録者という数字があります。これはそのチャンネルを登録(Twitterでいうフォロー)している数を指すのですが、HIKAKINさんはずっとNo.1でした。トップを走り続けること、それはとてつもないプレッシャーです。1番と2番目以降では全然違います。YouTubeをHIKAKINさん自身が始めてから、ずーっと1番を走り続ける、これだけで彼はパイオニアと呼ばれ続け、そのプレッシャーを感じ続けてました。(多分)

僕にはこれがどれだけ辛いのか検討もつきません。そして間違っても気持ちがわかるとも言えません。本当に未知で想像できない世界だと思います。ただ、2番目に下がれば楽かというのも違うし、そこにすでに立っているという環境が進んでも下がっても辛いことだと。ただ、僕がHIKAKINさんのことを本当にすごい、パイオニアだと思ったのは、この時でした。

HIKAKINという時代の寵児とは別に、もう一人の天才、はじめしゃちょーがメキメキと数字を伸ばしチャンネル数でHIKAKINさんを超えて日本でトップになった時に、それに対して素直に祝福するツイートも見て僕は心からこの人はピュアなんだなと思いました。

7.単純に良いところ

ここまでずっとエピソードとともに振り返ってきとことがほとんどでしたが、ここからは単純に思っていることを書きたいと思います。そして本人にも話したことないですがnoteだからかけるということもあわせて。僕はHIKAKINという人間をいろんな角度から見ていく中で思ったことがいくつかあります。結果的には全て良いことだと思ったので見出しも良いところとして始めてます。

・細かい
まずHIKAKINという人間について最初に思うことはとにかく細かいというところです。人が言った些細なこと、行動、顔の表情、その一つ一つを無意識のうちに観察してるし、動画の編集、テロップ入れ、関わってきた一つ一つに対して全て細かくチェックします。
もちろんクリエイターなので当然といえばそれまでですが、サムネの上に乗せる文字の輪郭、その細部までこだわります。とにかく細かいです。僕が知る人物の中でダントツNO.1で細かいです。笑
ちょっと悪口を言ってるような気にもなりますが、逆にいうとこれがいいんです!と言いたいところでもあります。YouTuberというのはセルフブランディングだからというのはもちろんですが、以前のnoteでも書きましたが、人間どこかで妥協をします、もちろんHIKAKINさんも。ただし、通常の人がもうここまでくればあとはそんなに大差ないということであっても彼はその先の部分まで考え、先読みし、そして今ではそれを人に対して細かく伝えていくというレベルに達しているのです。これはもう常人のレベルを超えてます。繰り返しますが良いところとしての細かいという点です。

・信念を持っている
次に伝えたいことが、YouTubeにおいてたしかに再生回数は大事な要素だと思います。ただし、どんな手段を使ってでも再生数を獲得することが正しいとも限りません。またそれはYouTubeに限らずあらゆる物事に対しても言えることです。そして、それが正しいと思ったことであっても周りがそれを短期的に評価してくれなくても、それでも決めた道をしっかりと歩き続ける、そんなことができるのがHIKAKINさんだと思っています。もちろん人間なんで寄り道したり、色んなことは途中にあると思いますが、結果として長いスパンで一つのことをやり遂げる人だと思います。上京してスーパーで働き、YouTubeに動画投稿をする、今聞けばわからなくもないとか思う人もいるかもしれませんが、当時は2012年にYouTubeパートナープログラムが開放されるまではYouTubeで生きていく、または成功するなんで誰も描けなかったと思います。そんな時から今に至るまで一貫して動画投稿をやり続ける、そのこと自体がHIKAKINという人格が形として表れてると僕は思っています。

・天才
急にシンプルに最大級の文才がない表現になりましたが、天才だと思います。もちろんここまで書いた中でやり続けること、努力に対しても惜しまない才能を持っているということはありますが、ここでいう天才という表現はもうちょっと違っていて、ブランディングの中で、またはタイアップ案件、日常動画など日々自分の考え、表情、またネタが世の中に出る環境でHIKAKINさんは常に良いことを選び続けてます、そして時に間違ったかな?という事に対しては即座に対応して(もう誰もわからないレベル)、結果的に正しかった方向に戻ってきます。勘というと失礼で、僕からすると自然と昔は正しいと思ったことを無意識で選んでいたが、そこからの経験といまのポジションから次が読めるようになってる、そういう才能を身につけるまでの努力を惜しまなかった、そんな天才だと思います。
今日こうやって僕がnoteを書いてる時も彼はYouTubeを見たり、いろんなエンタメ界で起こっていることを学んだり、実践してみたりしてると思います。

・熱い人間
恥ずかしい話と本人は思うかもしれませんが、結果的に熱い部分をいろんなところで見たなと思います。もちろん言えないこと満載なんですが。笑
例えば、U-FES.2017の打ち上げの時のことです。僕たちは大抵はイベントがあった日の夜にそのまま打ち上げをやります。参加クリエイターを一堂に集めてです。2017年なんで東海オンエア加入の時ではありますが、いつも通り、打ち上げは僕の挨拶、HIKAKINさんの乾杯で始まっていきます。そして2017年の乾杯の時にHIKAKINさんはスピーチ中に涙を流したのです。それはやはり僕には流せなかった、クリエイターだから流せた涙だったと思います。U-FES.はいつも11月に開催することが通例なのですが、やはり年末にかけてクリエイターは忙しくなります。それはHIKAKINさん以外の全クリエイターもです。そんな中で毎年開催するU-FES.は年々リハーサルの時間も確保が難しく、また確保ができると動画制作が遅れるなど常にギリギリのバランスをなんとか保ちながら進んでいました。結果としてはU-FES.2017は大成功に終わりましたが、全クリエイターがあの状態で大成功まで漕ぎ着けた事、その事に対しての涙が乾杯の際の涙でした。

先ほど細かいとか、天才とか色んな表現で伝えてきましたが、この若さで常に大役をこなし続けるとてつもない人間という部分と、感受性豊かで人一倍熱く、凄く人間臭い部分が共存しているそんな人物に僕からは見えています。


8.僕にとってのHIKAKIN

このパートに至るために色んなことを書いてきました。もちろんそれは言える範囲のことでしかなく、HIKAKINという人間のカケラくらいしか伝えることが出来なかったと僕自身はそう思っています。ただ今日noteを公開するということは冒頭にも記載の通り、HIKAKINさんが30歳の誕生日を迎えたということで、僕の人生において一番影響を与えてくれた人、そして僕自身が心から尊敬している、そして時には年上としてもアドバイスしたり、お酒飲んだり、飯食ったりと色んな思い出が僕の中にもある中でそんな人間が30歳になった時には単純にケーキとプレゼントだけではなく、こういったものを書きたいと思っていたので、長くはなりましたが満足がいくものになったと思います。

僕の場合は一足早くですが、先日誕生日のお祝いをさせてもらいました。

U-FES.の時はいつも社員に伝えますが、イベントの成功はもちろん僕は誰よりもクリエイターのファンとしていい場所で見たい!と言います。YouTubeを全く見ず、YouTuberを知らなかった僕がここにいるのは出会いとHIKAKINという存在に引っ張られた以外のなにものでもないと思います。

繰り返しますが言葉では伝えきれない感謝といちファンとしてこれからも応援していきたいと思います。

読んでくださった皆様ありがとうございました。
そしてHIKAKINさん30歳の誕生日おめでとう!!

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鎌田和樹
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