100日哲学チャレンジ☆24日目

 ハミ出し者が、存分にハミ出して良い場所をつくる

 昨日、グランマ・モーゼスの絵を見た。
 人はかつて、生きるためにみんなで一緒に働いた。
 みんなで作ったモノは、みんなで使うモノだった。
 子どもたちの周りには、両親以外に、おじいちゃんおばあちゃん、叔父さん叔母さん、お兄ちゃんお姉ちゃん、同い年の子も自分よりも小さい子もいて。一生懸命にみんなと一緒に働けば、みんなに認めて貰えた。
 勿論、僕はモーゼスおばあちゃんの時代を生きた訳じゃないから、苦しいことや辛いこともあっただろうけど、よくわからない。でも、おばあちゃんの言葉や、絵には、生きる幸せや、100年以上の人生を、心からの満足で締めくくる様子だった。僕はこんな田舎で暮らしたことはないのに、なんだか懐かしい暖かい気持ちになって、絵を見ていたら少し泣きそうになった。

 今は、おばあちゃんの時代と違って、衣食住を整える為に、自分の生活を支える為に農場でみんなが働いている訳じゃない。人は都会のビルの隙間に多く住んでいて、地方でも農業は機械化が進んでる(勿論、昔ながらの生活をしている人も、いるだろうけど。)

 分業が進んだから、やったことの成果は抽象的になり、都会の子供たちは、勉強ができるできないを小学生の頃から周りに評価されて。小・中・高は、ひたすら与えられた課題をこなしていればよかった。でも、大学生になったとき、みんな、自分で課題を設定して、自分の人生を考えなくちゃいけない。部活や授業で、人間関係が上手に作れた人は、また「与えられる人生」で生きていけるけど、そこでつまづいた人は、大学に通えなくなる。
 休学や、授業をさぼることが、周囲への反抗、自分の意志の表明、そこからの自分探しの旅的なのにきらめきを感じて飛び出すなら、まだ良いけど。
 酒を呑んだり、鬱になったり、きっと本人としては、親を含めて今までの自分の人生にラインを引いてきた”権威”に、最高の反抗をしているつもりなのだろう。
 或いは、もう少し自己表現の手段をもつ人は、仕事は仕事、趣味は趣味、と分けている人もいる。オモテの顔とウラの顔は完全に分断している。なぜなら、「人に迷惑をかけないで楽しめば良い」し、「(例えばコスプレイヤー同士で、)理解してくれる人だけ、理解してくれれば良い」からだ。社会の中で、無用な批判を避ける、賢い生き方だと思う。
 一方で、アーティストと名乗り、大々的に活動している人も、収入源はラーメン屋のバイトだったり、ビル管理だったり。独特のセンスと、特殊な技術を持っている人も多いのに。
 「自分の好きなことを趣味にする」×「自分のできることを仕事にする」という形で自分のキャリアを形作っている、「隠れアーティスト」は意外に周りにいる。

 僕自身も、彼らのように目に見えるモノで表現できる訳ではないが、プロジェクト設計に中学・高校の頃から興味があって、次々に自分のやりたいことを先生やみんなに資料を作成して提案したりすると、常にドタバタしていた。いいね!と応援してくれる一部の先生や友達、何やってんのと冷たい目で突き放す人、とりあえず勢いのある時は応援して、上手くいかない時は無関心な人。なんだかんだ先生方が配慮してくれたのもあって、傷ついてもフォローされることが多かった。
 でも大学の頃には、バイト先、社会貢献活動の団体、色んな組織でプロジェクト設計と提案をしていたから、鬱陶しがられて追い出されまくった。若いくせに、「こうしたら面白いですよ」とか、「こんなイベントをやってみたいんです」と偉そうに言ってくるやつを、大人は”現実”を見せて叩きのめすのが仕事だと思ってるし、同世代は最早冷たい目のヤツばかりになってきたし、本気で一緒にやってくれるヤツなんていなかった。
 
 たぶん、「隠れアーティスト」の人たちは、一度はそういう、個性をたたかれた経験があるから、好きなことと仕事を分断しようとしたんだろう。自分の中の「アーティスト」を封印しなかっただけ精神的にはマシだろうけど、なんかすごくエネルギーが勿体ないって、僕は考えちゃう。

 モーゼスおばあちゃんの時代は、一緒に共通のものを作り、自分たちの生活を自分たちで作り、その毎日に誇りをもっていた。でも、その頃に戻るのが、良いことじゃないと思う。生活が便利になったからこそ、余暇が増えて、自由に自己表現する時間と技術が生まれた。僕らは進み続けるしかない。

 其処でだ。僕らはこれから、ハミ出し者が、存分にハミ出して良い場所をつくることにした。勿論、大曽根商店街(オズモール)に。みんなで、街づくりをするんだ。自分たちで作った街なら、愛着も誇りも持てるだろうし、自分の中の「隠れたアーティスト」が、その場所では自信をもって存在できる。ハミ出し者って、わりと今の流行りみたいだし(笑)
 これは、商店街の生き残りをかけた戦いでもある。商店街の最大の長所は、人と人との触れ合いと、温かさがあること。コンビニでモノを買う時とは違う。何か目的のモノを買う為に訪れたとしても、コンビニの店員と立ち話はしないけど、商店街の店主のおばさんとは、世間話の一つもしたくなる。商店街で買ったモノには、其処に住む人との思い出がくっついているから、ただの売買取引じゃない。なんとなく用もないのにブラブラしたり、デートしたりするなら、コンビニよりも商店街の中の方が良い。大型ショッピングセンターに負けない為には、まず商店街に、「つながり」を取り戻すのが大事だ。だからこそ、僕らが商店街の外と中を繋ぐ役割をするわけ。

 とりあえず、今の僕のビジョンはそんな感じ。おばあちゃんの絵のおかげで、凄くクリアにイメージが浮かんだので、書いてみた。

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