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シェアハウス事情②

 この土日は、地区最大の催し物といわれる、「大曽根七夕祭り」だった。
 
 ひどこの5人も、余すところなく駆り出され、それぞれの場所で活動した。
 
 社長(ニシカズ)が、「いやあ、とうとうひどこが、大曽根地域のステークホルダーの一つとして地位を獲得したなあ」と、言葉は一生懸命控えめにして自惚れるくらいに、僕らは頑張った。

 暑かった。外は死ぬほど暑かった。

 クソ暑い中、名城大学のまちづくりサークルの子たちが、クソ熱い団子を焼くのを頑張っていた。僕は、ガンガンにクーラー効かせたシェアハウスに一日中居座り、交代で避難してくる彼らを見舞うという重要な役割を担っていた。勿論、率先して買って出た役割であり、決して暑さから逃げたかった訳ではない。こちらはこちらで、戦いがあったのだ。

そのⅠ 片付けとの戦い

整然と片づいた台所を見よ

 祭りはとにかく、買い食いだ。ゴミが出て仕方ない。
 しかし、地域経済への貢献という我々に課された最早義務とも呼べる大儀と、お祭りを楽しみたいという切実な思いは、よくわかる。
 寧ろ、普段の仕事は成果が目に見えない類のものばかりだから。僕にとって片づけは、わりと快感になりつつある。
 整理整頓し、あるべきものをあるべき場所、あるべき形に戻す。この世界に秩序をもたらすのが、僕の役割なんだと気づいた(ただの雑用に成り下がりたい)。

そのⅡ 出店者のニーズと動向を探る

こんなに人が歩いているところを2年住んでいて始めて見た

 さて、僕も一日中クーラーの効いた部屋で待ち受けていた訳ではない。   
 時には外に出て、パシリ、状況確認、パシリ、手伝い(パシリ)もするのだ。
 この2年、コロナ禍で商店街における催し物は激減した。
 しかし、数が絞られたおかげで、一回一回の催し物にかける時間が多くなり、そのぶん変化も大きかったように感じる。
 今回感じたのは、オゾンアベニューに多くの飲食系の屋台が集まり、大曽根駅から離れるほど、子供向けのワークショップや、ゲームの出店が多くなっていく傾向がみられたことだ。出店する団体も、個人事業の方だけでなく、NPOさんやハーレーサンタクラブさん等バリエーションが広がり、かつ非営利な「居場所」のような存在が増えたことが面白く思う。
 そして、自分として感慨だったのは、シャッターアートを企業さんが取り組んでいたこと、そしてボードゲームを通じた若者の居場所作りに取り組んでいる団体さんがいたことだ。


地元の広告代理店の若者たちがワークショップをデザイン。素晴らしい。


 子どもたちの居場所作り、アートとまちづくりの提案を持ち出して、はや2年…自分が思いもよらない形で、この場所の様相も変わりつつあるようだ。しかし、お祭りというハレの舞台で実現できるだけでなく、日常の中にアートが染み込んでいくのが私の理想。まだまだその為の基盤づくりは続くのだ。
 「アロマスライム」なるものを制作するワークショップに挑戦した。自分も来週から、スライム作りに臨む所存故に、参考にしようと思ったのだ。なんと、ホウ砂を使わずにスライムを作る方法があるとは…(企業秘密だったらいかんと思い、作り方は載せない律儀な男。それが私。)

アロマスライム作ってみた。どうだ、後ろがぼやけてる、良い写真だろう。

そのⅢ 準備、片付けそして…片付け
 一つ言いたい。
 あらゆるイベントや仕事の8割は、準備と片付けなのだ。
 聞く人が聞けば、当たり前の話なのだが、運営≒準備と片付けをする人たちのことだ。「当日運営」は、ボランティアさんたちを呼んだりすればなんとかまわる。本当に大変なのは、それまでのセッティングだ。
 偉そうなことを言っているが、僕らはあくまで当日運営の一部に関わったくらいなのだ。それでも、片付けはべらぼうに大変だった。

 そんなこんなで、11時過ぎに片付けと学生ボランティアの反省会が終わって、ラジオを録って寝た。まじで僕たち、お疲れ様。

  残念ながら、まだ編集が終わってないらしく七夕祭りの話が公開されるのはもう少しあとのようだ。
 ここで一句。

 七夕の 片付け終えて 眺む月 電灯越しに 面影想う

 解説
 伝統を越えて、新しい未来を作っていく僕らの願いを込めました。
 古きもの(月)と新しきもの(電灯)は、相対するものでなく、共存する道はあるはず。地元の人たち、学生たち、お店の人たちと片付けを共にしながら、そう思ったのでした。

(ありがとうございました!また次回!)

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