「夢の溜まり場」をつくる。その2
まずは、走り出すまでの経緯を反省。
アート活動は、ずっと自分がやりたいことだったし、大学生の頃から何人かのクリエイターと知り合っていたので、面白そうだなと思っていた。
でも、「自分がやっていて面白そう」だけだと、物足りない。やっぱり、自分が好きでやっていることが、人の役に立ったり、人とのつながりを生んだり、自分の未来を拓いていくものであった方が、一石二鳥だなと思っていた。欲張りだけど、その方が「100%自分の為」じゃないから、逆に真剣に遊べると思った。
まずは、これまで商店街に深く関わってきたN君が、どんなことをしたいのか聞いてみた。オズモールの真ん中くらいのところにある、開放的で小洒落たパブで。「ブリューパブおおぞね」だ。
この場所、歩道にはみ出してテーブルとか椅子が置いてある。以前ベトナムで見たことのある感じ、公共の空間を人が暖かい形で使っているところが、好き。家でも学校でも店でも塀や壁で囲って、境界線をビシッと決めて自分の領分を守る文化が当たり前の日本で、単純に面白いと思った。
勿論、外の席に僕らは腰掛けて、夏の終わりに彼は語った。
「まずは、この商店街の将来ビジョンを作りたいです。色んな方が、この 大曽根を元気にしようと頑張っていらっしゃる。何かしらそうした皆さんの中で、『ここを目指そう』と思えるものができたら、力を合わせていけると思うんです。」
彼はがっしりとした身体つきから来るエネルギッシュなイメージと、言葉や行動から感じる穏やかで丁寧な気遣いのコントラストが面白い人間だった。喋っていくと、生まれながらの営業マンだなと思いつつ、商店街の方々が彼に期待を寄せていく気持ちも分かる、折れない気概を持っていた。まさに、この商店街のキーマンになっていく男であり、僕は彼の元で活動するのが一番面白いとよくわかった。
彼と共に、商店街、更に広げて大曽根地域の将来ビジョンをみんなで作ることが、僕らの最初の目標になった。その為に、様々な社会実験を手掛けていくことになる。この地域は、「ブリューパブおおぞね」の存在や多数のイベント開催の文化が示す通り、挑戦を受け入れてくれる雰囲気を持ち始めたことが、一つの特徴になっていたからだ。一方で、一つ一つの挑戦に物語と学術的背景を持たせることで、これまでの「衰退の歴史」に代わり、新しい「再生と誇りの歴史」を作っていくことが必要だと自分は感じた。
それでは次回から、具体的な活動をご報告するとしよう。
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