「夢の溜まり場」をつくる。
僕は平日の朝7時から夜7時まで、教員として働いている。まあサービス業に近いので、抜けてることはないか、更に自分にできることはないか、いつも頭をぐるぐるさせている。間に合わない時には土日も出勤して、事務作業をする。心を猫リセットすることは難しくて、就職してもうすぐ三年になるけれども、夜はあまり眠れず、2度、3度と起きる。仕事量は刻々と増えていくし、広く勉強もしていなくては、なかなかこの先のキャリアデザインも難しい。
副業等、他の収入にうるさい仕事なので、給料以外に個人的にお金を貰うことは一切断るようにしている。さて、我慢以外に、僕には何ができるでしょう?
僕の答えは、アーティストの顔を持つことだった。
普段はすべての行動は責任と義務に縛られるから(どこに行っても”教員”として扱われるので)、自分はアーティストだと割り切って行動しているときには、逆にすべての行動は自己表現でやりっ放しOKな、無責任ヒーローに成りうるんです。アートの価値は見た人が決めるんだとすれば、評価はみんな人任せだから。つまり、僕がやってて面白いと思えばそれでよくて、あとは人様に迷惑さえかけてなければ、自由。そんなふうに振る舞ってたら、何故か沢山の人がついてきてくれて、面白くなってきた。今日は、僕がアーティストになるまでのお話。
〇商店街のシェアハウスに住み始める
大学の後輩が、シェアハウスに住むという話を聞いたのは、卒業間際の3月。彼(K君)はそれまで自分が取り組んでいた、大学生向けのプロジェクトにも色々と手を貸してくれていたから、最初は手助けしたろうくらいの、上から目線な申し出をしていた。ファシリテーションや人間関係作りを専門に研究し、大学院もその系統で研究する彼は、とても丁寧に人の話を聞く良いヤツだが、色々と気にしいで酒に頼るところもあるので支えてやりたかったんだ。
話を聞くと、N君というまちづくりを大学で勉強しているヤツがいて、5年越しで商店街に関わり続け、やっと実現したシェアハウスらしい。駅前なのに衰退していく商店街というパラドクスに興味を惹かれたし、次の自分の活動場所にもってこいかもしれない、となんとなく思っていた。
〇下調べと研究の半年間
ネットでサイトを見てみると、同じような場所にあって、なぜか商店街のホームページが二つある。そのうちオゾンアベニューのサイトでは、現在につながる部分の「歴史」がこんな言葉で結ばれている。
「他地区で仮に営業していた店舗の中で、何とか戻って来た店もありますが、閉店したり他地区へ移ったままの店もあります。また、空地にしたままの土地所有者も多く今現在にいたっています。」
かつての繁栄については色々と書かれていたものの、現在に関する情報を見る限り、寂しい感じ。
其処で、実際に調査をしてみたが。うん、そこはかとなく、何もない。
大曽根駅寄りの飲み屋街は人通りが見られるけれども、さらに奥に進んみ、信号を渡った向こうにある「オズモール」では、独特の世界観のデザインが光るお洒落なストリートだが、シャッターの閉じたお店が目につき、歩く人もまばら。逆に、上の写真のように、撮影にはもってこいかな、と思った(協力…あるすまわーくす/楓様)。
どうやら、商店街におけるイベントやマルシェの運営によって賑わいを作ろうとしていた矢先、コロナになって軒並み中止。しかもマルシェも運営主体が疲弊しがちで、なかなか継続的に商店街に足を運ぶ要因にはなっていないみたいだと分析した。
今までこの商店街で行われてきたのとは、違うやり方を探す必要があると踏んだ。試行錯誤の末、辿り着いたのが、お金儲けの為じゃない、でも地域の課題に向き合うアート活動だったんです。
(第二回に続く。)