第1話 「見習いエージェント・ユキコの憂鬱」

 午前12時。
「着いた~!!高速船、風がビュンビュンきて、おもしろかったですねえ」
 タラップを駆け下りて、振り返るユキコ。今日のジャンケンで負けたトラフは、二人分の荷物を背負っていた。
「あ、ああ。まあな。無事に着いてよかったよ…うおええっぷ」
 こみ上げてくる何かを必死に押さえつけながら、ふらふらとトラフも埠頭に降り立つ。
「ここがツクール島!初めてきました!お天気も良くて、海風が気持ち良いですね!」
「そ、そうだね。」
「あ!記念撮影あそこでできそうですよ!行ってみましょう!」
 また走って行ってしまった。やれやれ。
 やっと機嫌を直してくれたか…
 まあ、エージェント見習いとはいえ、まだ16歳。普通なら友達ときゃぴきゃぴな毎日なんだろうなあ…まあ、暫く付き合ってやるか。

 遡ること、約2時間前。午前9時50分。
 トラフとユキコは、『ペコペコマート』の入り口前で、開店待ちをしていた。
「全く。開店前から並んでまでして、そんなにそのグッズが欲しいのかい?」
 トラフが不思議そうに聞いた。スーツとベストの上から、古めかしいベージュのスプリングコートを羽織り、灰色の山高帽を被っている。これが彼の外出用普段着なのだそうだが、周囲の若者のカジュアルな雰囲気から見て、却って浮いている。
「ええ。これを見て。」
 ユキコが端末の画面をトラフに見せた。因みに、今日はカーキ色のダイスケTシャツでしっかりとファンであることを主張している。
「『熟語ダイスケ』の数量限定おじさま風ランニングポーズぬいぐるみよ。ここのショッピングセンターに、かなりの数が入荷したらしいの。」
「ほう、なぜ分かるんだい?」悪い予感がする。少し声を落としながら、トラフが聞いた。
「あら、『ペコペコマート』の商品管理システムをハッキン…うぬうにゅ。」
 急いでユキコの口を塞ぐ。周囲の目が気になったので、列を離れ、建物の陰の非常階段までユキコを引き摺って行った。
「…おいおい!勘弁してくれよ!『ペコペコマート』は、グローバル展開してると聞いたぞ!そんなデカい企業を、政府の使いっ走りのおれたちが、敵に回してどうする!?」
 ユキコはジタバタしていたが、やがてふくれっ面になった。
「…ふん。折角のお休みなのに、またお説教なんて。キライ。」座り込んで、俯く。
 銃弾で足を撃ち抜かれたこともあった。
 残業続きで、三徹したこともあった。
 訓練で、上官に心も体もボコボコにされたこともあった。
 でも、20代後半の男の心には、『キライ』が根深く突き刺さった。もう、立ち上がることはできなかった。
「ごきげんよう、トラフ君」
 不意に声を掛けられた。しかし、周囲にはユキコしかいない。
 …いや、カンカンカンと、非常階段を降りてくる者がいる。
 トラフは静かに、小口径の銃に手を掛けた。踊り場のところで、そいつの姿は見えた。
「あれって…もしかして…」
 トラフが、ユキコの端末の画面と見比べる。
「え?」
 ユキコも振り向いた。それは…
「はあ~!ダイスケだあ!!しかも、ロボ!!」
 高さ60㎝くらいだろうか。黄緑色の顔と、オレンジのシャツを着た眉毛の太いぬいぐるみのロボットが、ゆっくりと階段を降りてきた。
 ユキコが階段を駆け上り、ぬいぐるみを抱きしめた。
「それでは、今日のミッションだ。よく聞き給え。」
「○○Ⅿ!ありがとう!トラフと違って、優しいね!こんなサプライズしてくれるなんて!」
「…それで、今回の仕事は、何なんですか?」いくらかぶっきらぼうに言った。
「まずは、この映像を見てくれ。」

「この島は今でも、スマート家が利益を握っている。
 現在の当主、アレックスは、先代までよりもかなり科学分野に対して関心が強く、自ら も生物化学の研究をしているらしい。」
「また研究所~?飽きましたよ~」ユキコがふくれっ面で言った。
「まあ、そう言うな。聞いたろ?今回は観光地で有名な場所に行くんだ。」
「あ。そうですよね!やったあ。」
 二人のニヤニヤ顔を見て、喝を入れようと思ったが。まだ若いんだよなあ、と○○Ⅿは思い直し、大人の対応をとることにした。
「まあ、任務を忘れてくれなければ結構。実はアレックスの研究所に、『J』が出没したという情報が入ったのだ。先日の『スムージー連続失踪事件』において行方不明になったままの、鎌居太地君と一緒らしい。」
「『スムージー事件』の後、助手が行方不明になっていました!たぶんあの、なんかニセ英語使いっぽい子が…」
「たいち君だった訳か…『J』が現れたということは、ツクール島で何かが始まろうとしているのかも…」
「『J』って、政府の犯罪者リストに載っているのを見たことがあります。自らを『アーティスト』と名乗る招待不明の男ですね。」
「ああ。一体何を企んでいるのか…」トラフは、いつもよりも険しいカオだ。左の拳を握り、右手で頭を抱えている。何を思い出しているのかは、ユキコにも分からなかった。
「さて、この人形は、1分後に消滅する。」
 ユキコのカオが、真っ青になった。
「うそ。限定のダイスケが…」
「ほら、いくぞ。」トラフが人形からユキコを引きはがすと、人形を非常階段の上に投げ上げる。足早にユキコを引き摺っていった。
「待って!待って…私のダイスケが…ダイスケがあああ」


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