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私がヒンディー語を学ぶ理由

「なんでヒンディー語の勉強をしてるんですかー?」と、日本でもインドでもちょくちょく聞かれる。社交辞令というか、ご挨拶の程度の軽口ではあるが、割と時々、言外に「何の役にも立たないのに、おフランス語みたいなステキ言語でも学べばよろしいのに、無駄なことしてるのね(クスクス)」という悪意を感じることも少なくない。そんな時は「ヒマつぶしデース☆」と適当に答えることにしている。そうすると、先方も「こいつ…馬鹿じゃね…?」と思うのか、それ以上会話が続かなくなるので、お付き合いする相手を選ぶ試金石として非常に有効だ。知的好奇心があるから勉強してるに決まってるじゃないか、想像力に乏しい愚か者め。と、心の中で思っていますのでよろしくどうぞ☆

さて、そういえば、noteにはヒンディー語を始めたきっかけとか、理由とか、書いてないような気がするので改めてまとめてみる。

●外国語学習が楽しいので
単純に、外国語学習って、楽しいと思うタイプです。

英語は受験やら仕事やらで必要で何年も勉強したし、スクールやらテキストやらで、かなりの大金をつぎ込んだと思う。つぎ込んだだけの金額は、たぶん、会社員時代の給与で回収した。TOEICフルスコアに今ひとつ届かないのが悔しいが、日本に帰国したらまたもう少し集中して勉強しようと思っている。しかしながら、英米文学では、私にはどうしてもポエジーを感じることができなかったので、ライフワークとはなり得ない。

大学の第二外国語は中国語だった。不真面目な学生だったので、HSKを受けるほど勉強できていない。が、学生時代に北京に短期留学できたのは本当に楽しかったし、学びが多かったし、今でも魔導祖師などのドラマを見ていると、多少分かる単語があるのは嬉しい。

フランス語を大学の選択科目で勉強しようとしたが、びっくりするほど覚えられなかった。単語が一つも頭に入らない。ヒンディー語の覚えやすさと比較すると大違いだ。本気でフランス語やりたかったのに。livre、しか覚えられなかった。

韓国語は、文章の構成や物事の発想が日本語と非常に近いので覚えやすい。「いただきます」とか「お疲れ様」に相当する表現が存在するので、英語をしゃべる時のような脳の切り替えが不要なのがありがたい。ハングル検定3級までは頑張った。KHSの韓国人学生と、ヒンディー語でも英語でもうまく話が通じない時や、ネタ程度に使うこともある。

ウルドゥー語も、ヒンディー語とほぼ同じらしいので、せっかくなので勉強しようとした。が、なまじヒンディー語が分かるもので、入門レベルで、アラビア文字を真面目に読むことができない。「イェ、キャー」まで読めたら、次は「へ?」だよね、と推測が働いてしまって、文字が覚えられないので断念。

ペルシャ語も、ウルドゥー語と同じくアラビア文字だが、こちらはヒンディー語からの類推が働かないので真面目に勉強できた。ヒンディー語に入っている単語が多く、とても興味深い。文化的な面でも(タァローフとか)興味は尽きない。ぜひ本格的に勉強したいところだが、時間体力気力が足りない。

サンスクリット語もできると便利そうだし、ヒンディー語と近いんでしょ、となめてかかったのだけど、活用が単数、双数、複数、とバリエーションが多く、思ったよりもヒンディー語と近くなくて、怯んで5時間くらい勉強して止めた。しかし、たしなみ程度には、何とか勉強する機会をつくりたい。

タミル語は、インド舞踊(バラタナティヤム)との関係で是非学んでおきたかった。が、バラタナティヤムの楽曲が現代タミル語ではないことが多く、また、当時は学習の機会がなかなか得にくかったので続けられなかった。タミル映画を観ていると、ほんの少しだけ単語が分かるのと、舞台挨拶で来日した俳優マダヴァンに「ワナッカム」とご挨拶できたので心残りはない。

パンジャービー語は、文字の読み書きだけ習った。それだけでも、ヒンディー語の音韻の不規則変化とかの謎が解けたし、グルドワーラー大好きだし、デリーではパンジャービー語をしゃべる人が本当に多いし、ぜひまたもう一度挑戦したい。

さて、翻ってヒンディー語。幸い、カルチャーセンターや公開講座など、学べる場所やテキストが十分得られた。単語や文法は覚えやすいし、旅行すればデリー、マトゥラー、ムンバイ、アーンドラプラデシュ、オディシャ、なんならタミルナドゥでもかなり通じる。映画を見たり、ネットでニュースを読んだり、好きな俳優のインタビュー動画を視聴したり、ヒンドゥー神話の本を読んだり、ヒンディー語がわかると便利で楽しいことこの上ない。サンスクリットのシュローカも、多少理解しやすくなる。会社のIT担当インド人の名前がすらすら読めるし、彼らとヒンディー語で内緒話ができる。そして何より、ボリウッド映画の音楽の歌詞の美しさよ。韻の踏み方から、匂わせから、バックグラウンドとなる宗教観と映画自体のストーリーの重ね合わせから、面白くて仕方ない。とにかくヒンディー語を勉強しない理由がない。

●普通に生活したかったから
もう30年くらい前のこと。おそろしく日本語が堪能なポーランド人に出会った。「なんでそんなに日本語上手なんですか?」という質問に対して返ってきた答えが「普通に生活したかったから」だった。ああ、そりゃそうだ、と妙に深く感じ入ったのを覚えている。その方は結婚して、日本に暮らして、子どもを育てて、普通に暮らすためには、日本人が普通に日本語を使って普通に暮らすのと同様、必要だっただけのことだ。
上に書いたように、私は、ほかの言語と比べてヒンディー語がとにかく楽しくて、けっこう便利だから勉強しているけれども、それはつまり、楽しく便利に普通に生活したいだけ、とも言えるかもしれない。

だいたい、簡単にかいつまんで言うと、以上のような理由でヒンディー語を勉強しています。他にも今回は書ききれてない、ちょっとしたインドエピソードもいろいろとあります。
何にせよ、人が莫大なお金と時間(=生命)を費やしてやっていることに対して質問をしたら、カロリー高めの返事が帰ってきがちです。体力に余裕がない時に聞くのはやめておくのが吉。


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