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日々の思考の発散(10/13)

こんばんは。Amelie(アメリー)です。
今日も日々の思考の発散をつらつらと書いていきます。


今日は自分の特性や性質について、また考えていました。自分に対する認識は変わらないんですよね。サイトマップの自己紹介にも書いております通り、一言で表すならば、人もどきなんです。人間の亜種、人間に生まれそこなった存在です。




自分のメンテナンス(調整と調律)


ギフテッドの能力は、何かを引き換えにして成り立っているものなのでしょう。身体的・精神的なメンテナンス方法を身に着けることこそ、ギフテッドがこの社会で生きていく上で必要なことだと思っています。

私もこの社会で生きていくためには、自分で定期的に調整や調律といったメンテナンスを必要とします。そうしないと、環境や社会に上手く適応できず、思考力も低下してしまいます。また、疲弊しすぎた状態が続いて放置していると、回復に時間がかかってしまいます。

定期的にメンテナンスして、自分の中の自分たち、自分の中と外のずれを少なくすることが必要です。


①脳疲労対策(身体的な調整)

ギフテッドは、脳内の処理量が多くて処理速度も速いので、脳のエネルギー消耗が激しいです。大量のブドウ糖と酸素を必要とするので、脳疲労で思考力の低下や低血糖を防ぐために、私はブドウ糖タブレットやラムネ、チョコや飴といった糖分を常備してこまめに摂取しています。

私は貧血もあって、貧血の状態だと、酸素不足ですぐに脳貧血になってしまいます。また視床下部の調整機能が弱くて、全くホルモンが分泌されていなかったり、過剰に分泌されていたり、少量しか分泌されなかったり。身体機能の不具合や不調も多いので、色々と調整してきました。


答えが先に分かってから逆算していくといった特徴的な思考も。途中の理論は組みあがっていないと思っているけど、何故か答えは先に出ている。
答えが分かっている。

でも、認識していないだけで、無意識化で途中の理論もできている状態なのでしょう。処理速度が速すぎて、自分でも認識できていないほど。

専門分野ではなくても、前提知識が無くても、一度の説明で内容や要点を即座に理解して、鋭い質問を投げかける。理解や判断が素早い。それを可能にさせるもの、その駆動条件。負荷や負担が無いわけがない。

思考のオンオフのスイッチをつくったり、ペース配分をすることを意識的に取り組んで、感覚を身につけていかないと、身体的にも壊れてしまうと思います。ただでさえ、積極的分離で精神的にも壊れてしまいそうなほどのしんどさを抱えているのに。


②癒しとリラックス(精神的な調律)


OEによる渦集中や感覚過敏などで、脳疲労も激しく、心身ともに緊張状態にあることが多いので、自分にとってベストな疲労回復方法を見つけることも大切です。

身体の緊張をほぐしてリラックスして、当日の疲労を翌日に持ち越さないようにすること。私の場合はゆっくりとお風呂に浸かって、丁寧に身体のケアをすること。あとは、何よりも睡眠ですね。貧血で寝つきが悪かったり、眠りが浅かったりで、ぐっすりと眠れないので困っています…。

精神面の調律は、好きな音楽を聴くこと。以下の記事で紹介していますが、『fhána』の音楽は、わたしを純粋な存在に戻してくれます。


自分の幸せを新たに自分で打ち出す


積極的分離を引き起こしていても、同じ道も同じ生き方もない。
でも、自分の道を歩いて行けること。それを希望だと思えるように、ドンブロフスキは理論に残しておいてくれたのかもしれませんね。

これから時代が変わっていくと思うので、これからの世代のギフテッドの方たちは、新しい答えを見つけていくのでしょうね。

私が生きてきた時代とも、生きてきた社会とも違う未来で。

私個人としては、自分の認識は人もどき。人間の亜種。人間になりそこなった存在ですが、他の人のこともそう思っているわけではありません。
あくまでも、私自身のことだけ。


人間としての幸せ。人もどきである私は、それを実感することはできない。
その欲求さえ持てない。それに対して嘆いたり、投げやりになったりせずに、自分の中で自分の幸せを新たに自分で打ち出して生きていく。

結局、自分の力で立ち上がって、自分の足で歩いていくしかない。
自分を生きていくしかないから。


積極的分離理論が生きていく上で、目印やガイドラインの役割にもなっているのかもしれませんが、その道を辿った先にあるのは普通の幸せではないこと。積極的分離を起こしていない人から見たら、幸せとは思えないものかもしれないこと。

それを理解して受け止め、それでもなお、その道を進んでいく。
自分で決めて、自分を使って生きていく。
どこまでも自分、自分だけの道。自分だけの世界であり、自分だけの人生。

積極的分離の中の感覚って、自分しかいない。
自分しか入れない世界だから。


解脱や涅槃は、生きている人間にとって幸せではないということ。
人間らしさを失うことは、私は幸せとは思えません。

解脱や涅槃は、積極的分離の道を歩んできた人が、やっと自分を見つけた時にそれまでの苦悩から解放されて、本来の自分に戻った状態のことだと思います。そうしてやっと、晴れた空を見上げることができたのでしょう。


最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
良い夜をお過ごしくださいませ。




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