制作していて思うのが、できるだけ自然な素材でつくりたいな、ということ。なぜかと言うと、できあがったときの感じが違うから。 カリンバのボディに杉を使う。杉は古来から日本人には親しみ深い身近な木だし、神社には太い杉があるし、屋久島には縄文杉もある。神聖な感じと親しみを合わせ持っている木だ。 ニカワは動物の皮などを煮てできる世界中に昔からある接着剤。 柿渋も青い渋柿を発酵させてできる伝統的な自然塗料だ。 こうした自然の素材で作られたカリンバは、人工的なニスなどの塗料やケミカルな接着
寒い冬は焚き火がいい。 庭先で木っ端や竹を焼いて、暖かく過ごす。 火を見ていると色々思い出したりもするけど、なんだか今思い出したのはインドを旅したところのこと。 ゴアのパーティの夜のまったりとした雰囲気。 小さな火が焚かれ、お湯を沸かしてチャイを作ってる。 ダンスミュージックは聞こえているけど。 そこだけ、静かな空間がある。 吸い込まれるように。 火の中に。 夜の中に。
野営 車が一台あって その下にも草や木や土や岩をまとった大きな車があって その車も上の車も別々に走っていて 地球も宇宙を飛んでいる 定住じゃない 焚き火がいい
ありがとう は めぐる あ と と は まがたまのよう なみだのよう むら って なに うしなわれてきたものって こいしをいれて あそぶ
毎年イベントやマルシェに出店しているのだが、今年も出店のシーズンが始まった。冬の間は出店がなかったので感が鈍っているというか、シーズンはじめには毎年不安があるが、そこは考えても仕方ないので、いざ現場へ。 2日間別のイベント会場で出店したのだが、ありがたいことに、両方とも好評をいただいた。出店シーズンが始まってあらためて思うのが対面販売の楽しさだ。足を止めてカリンバに関心を持っていただいた方と話をしたり、ワークショップをしたり。ひとときだが、つながりが持てて、それもカリンバを介
村の温泉でときどき働いている。山間の小さな村で、お店はこの温泉と蕎麦屋が1軒だけ。 温泉で受付をしていると、赤ちゃんから老人、元気な人、体の不自由な人、いろんな人がやってくる。軽い雑談をして楽しんだり、常連さんとは顔見知りになる。 村にあるからこの仕事に関わっているのだが、温泉はリラックスや癒やしの場なので、カリンバと似ているところが多いと思う。温泉の仕事を工夫していくこととカリンバ製作を工夫していくこと、ほんとよく似てる♨
カリンバの音について、深い音、癒やしの音だと言っていただくことがよくある。 深い音というのは、自分でも意識はしている。深い音を作ろうとしているのではないが、深いところにアクセスして製作をしているのはわかっている。だから自ずと深い音になるのだと思う。 その深いところとはどこなのかというと、無意識の領域のようなところ。そこには境もないし、個もない。その自由で故郷のようなところから生まれる音が、癒やしを与えてくれるのだと思う。
インドを旅していた時に出会った人が宮沢賢治が大好きで、その影響もあって賢治さんの作品を読むようになった。 半年間インドを旅したあと、その人と賢治さんの暮らしていた花巻へ行った。9月、ちょうど花巻では賢治さんの命日にちなんだ賢治祭というイベントが行われていて賑やかだった。町ではしばしば賢治さんの作った「星めぐりの歌」が流れていた。 僕はカリンバでメロディを弾くことはめったにない。通常カリンバをバッキング的に演奏して、そこに笛や太鼓を乗せていくということをやっている。 しかしたま
カリンバを作るとき、最後にチューニングの作業を行う。 カリンバは自分好みの音階にして楽しむことができる。それぞれのチューニングでよいし、簡単にそれができるのがカリンバの魅力でもある。 チューニングされたカリンバとの対話は楽しい。もしチューニングされていなければ、それはただの物でしかない。あるいは眠っているカリンバだ。 チューニングは物に魂を吹き込む作業だ。魂を吹き込むとカリンバは語りはじめる。