学生と社会人の狭間。
学生と社会人は違うのだと、就活では、あらゆる場面で言われます。
学生時代は、大人からのその言葉が、嫌いで嫌いで、たまりませんでした。
学生は「子供」で、社会人は「大人」だと言われている気がして…。
一体、学生から社会人になったぐらいで、何が変わるんだ、と。
就職した1つ年上の先輩なんて、たった1年そこらで、偉そうにすんじゃねーよ、と。
今思えば、随分と斜に構えていたものです(笑)
大人しい性格だったので、それを周りに言いまくるようなことはありませんでしたが。
あと、こう言われるのも嫌いでした。
「学生生活は人生の夏休み。社会人になると地獄。」
学生はお気楽な身分で、社会人は苦労して生きている。
そんな訳、あるかと。
学生だって、お金こそ自分自身の力では稼いでいないかもしれないけど、色々悩みながら過ごしているじゃないか。大変な事だって、学生の身にも訪れているじゃないか。
それを何を偉そうに、社会人は皆苦労しているみたいな言い方。
調子に乗るんじゃねーよ。
大体、「社会人」って何なんだ。
生まれた瞬間、家族という社会に属しているだろうが。
真っ黒のスーツだって、葬式じゃねーんだから。
とまぁ、内面では、意外に激しい感情を持っているタイプなのです。
私を落とした面接官、いや私を採用した面接官も、まさか私が、心の中でこんな事を思っているとは、考えもしなかったでしょう。
その時誓ったのです。「私は絶対に、社会人になっても、学生より社会人の方が大変だとか、言わないようにしよう。」と。
社会人1年目の頃は、その心の誓い通りに、生活していました。
あの時誓った思いも、大きくは変わらなかったと思います。
でもある時、確か社会人の2年目くらいだった頃、会社帰りのバスの中、こう思いました。
「学生にも社会人にも、大変な事はある。だけど、学生と社会人の苦労が違うのは、ベクトルが内側に向いているか、外側に向いているかなんだ。」
卒業して、大学院に進学しようか。それとも就職しようか。やっぱり海外留学しようか。
頭をもたげる問題は数あれど、それらは全て"自分"がどうしたらいいかという、自分にベクトルが向いている問題。
社会人の悩みはというと、自分にベクトルが向いた問題も無い事は無いけれど、多くは、この人と上手く仕事をするにはどうしたら良いか。あのお客様は何を求めているのか。と言った、"誰か"にベクトルが向いた問題。
それを多くの人は、「学生」と「社会人」は違うという風に表現するのだな、と。
その時には、私も大人になったのかもなぁ、少しは立派になったのかなぁと思っていました。
今考えると、本当にそうだったのだろうか。
単に、他人に合わせて仕事をする事を、都合の良いように解釈し、自分のやりたい事を追いかける事から目を背けて、大人になったと勘違いしていただけではないのか。
私ものまれてしまったのだ。
社会人という波の中に。
社会はあの手、この手を尽くして、津波のような勢いで、
若者を飲み込む。1人、また1人と、、、
今の大学生は、私が就活した5年前と比較し、より大変な状況にあると思います。
ただでさえ、多くの会社があるというのに、そこにコロナ禍でのあれこれや、多様な働き方とか、働いた事もないのに選択肢だけ増やされても、ほとほと困り果てるだけでしょう。
苦しい事も、悩む事も沢山、沢山あると思います。
就活をする中で、自分自身の事が分からなくなったり、面接官が求めている自分を演じてしまったり、自分自身の本当の思いに嘘をついたり、ありのままの自分の姿を誤魔化さないといけなくなったり、、、
そういう事もあるでしょう。
そしてその事によって、心が潰えそうになる事もあるかもしれません。
でも大丈夫です。人生のあらゆる経験が、自分の活力になりますから。
私もそんなことが幾度となくありましたが、こうして何度も立ち上がりながら、生きています。
そして、出来たら、頭の片隅にでも置いておいて下さい。
社会がどれだけ貴方に期待をしようと、周りがどれだけ社会に染まろうと、
"自分らしく生きる"事、"自分の軸を持つ事"が、何より大事だという事を。