華麗なる乗り継ぎ遍歴。
海外旅行に行く時、もしくは国内旅行をする時でも、経験するのが「乗り継ぎ。」
乗り継ぎ時間が一定時間を超えれば(例えば半日近くあるとか)、空港の外に出て、少し観光も出来るが、基本的には空港内で過ごす事になる。
どれくらい乗り継ぎ時間があるかは、その時々によって様々。
空港によっては、「最低乗り継ぎ時間」なるものが決まっている場合もある。
広い空港だと、ターミナル間の移動が伴う事もあり、次の搭乗口に向かうのに時間がかかるので、「乗り継ぎ時間を、最低○○分は確保して下さい。」などと、規定されている。
最も、パッケージツアーや、同じ航空会社を利用しての乗り継ぎであれば、元々そういう事も考慮してフライトを組んである為、先ず問題ない。
出発地から乗り継ぎ地、乗り継ぎ地から目的地のフライトを、自分で別々に予約した場合(特に航空会社が異なる場合)、誰も教えてくれないので、注意しなければいけない。
私も、コロナ禍前は、申し訳程度に旅好きだったので、色々な場所での「乗り継ぎ」を経験してきた。
私は、乗り継ぎ地の空港で過ごす、あの孤独で、何でもない時間が大好きだ。
日本を出国したのに、まだどこにも入国していない、宙ぶらりんの時間。
今日は、そんな乗り継ぎの時間について、振り返ってみる。
①「シンガポール」にて
大学生時代に、オーストラリアに1ヶ月、語学研修をした事がある。その時の飛行機が、シンガポール乗り継ぎだった。朝、日本を出発し、15:00頃にシンガポールに到着。その日の深夜便に乗って、早朝にオーストラリアに到着するという旅程だった。
シンガポールのチャンギ空港は、綺麗で広い。確か4時間くらい乗り継ぎ時間があった気がする。乗り継ぎ客用のミールクーポンを貰い、フードコートのような所で友人と食事をし、これからの1か月間の事や、お互いの事について話し合った。
一緒に行ったメンバーは20人程度いたが、なかには、海外に行く事自体、初めてだという人もいた。
私は、海外旅行には何回か行った事があったが、1か月もの長い間、日本を離れるのは初めてだったし、機中泊も初体験だった。
食事後、ひとしきり話し終えて、さてこれから搭乗までの間、何をしようかという雰囲気になった時、ふと、どうしようもない不安感に襲われた。
目の前にある、シンガポール料理が入っていたお皿、飛び交う聞き取れない言語、日本人と違う出で立ち。
それまでの、ワクワクしていた気持ちから一転、1か月間、自分には馴染みのないアレコレに囲まれて生活しなければいけないというプレッシャーが、一気に襲い掛かって来た。
だだっ広く、外の景色が見えないチャンギ空港の中で、将来に対するワクワク感には、恐れもつきまとうという事を、静かに感じた。
②「仁川」にて
私は数年前まで、社員旅行の添乗員のような業務をやっていた。がしかし、それは本業ではなく、年に数回程度のみ。
1人旅や友人との旅行なら、トラブルも楽しみのうちだが、社員旅行ならば、クレームになる事だってあり得る。
1人で何十人も連れて海外に行くのは毎回大緊張。
2019年に、確か50人程度のお客様を連れて、ハワイへ行った。
日本からの直行便ではなく、韓国の仁川乗り継ぎ。
ハワイから帰る道中のこと。ホノルル空港でチェックイン。あとは帰るだけ。
先ずは乗り継ぎ先の仁川に到着。
ここでは、ゆっくりできるほど、乗り継ぎ時間がなかった上に、少し到着が遅れていた為、一同急ぎ足で、次のフライトの搭乗口へ。
これで本当に、あとは帰るだけ。
と思ったのも束の間、搭乗口でつっかえている、私のグループのお客さんが。
何事かと思って近づくと、ホノルルで渡されるはずの、仁川⇨日本間のチケットが無いとの事。
お客さんがチケットを失くした。
のではない。
元々、ホノルル空港で貰っていなかったもよう。
英語で、韓国語で、事の経緯と、どうすればいいのかをスタッフさんに訊ねる。
英語も韓国語も中途半端なもんで、英語で話せない事は韓国語で伝えて、韓国語で話せない事は英語で伝えてみる。
なので、一言ずつ、英語が出たり韓国語が出たりする始末。
語句の順番が違う英語と韓国語を交互に使うのは、とても脳に刺激になる。
と冷静に考えたのは、日本に帰ってからで、この時は、とにかくお客さんの為に、必死にスタッフさんに指示を仰ぎ、時間がない中、ターミナル内を駆け抜けて専用デスクに向かい、チケットを発行し、走って搭乗口まで戻って、何とか間に合った。
乗り継ぎ時間が好きだと言っておきながら、乗り継ぎ時間に追われるような体験も、時にはある。
③「上海」にて
「上海」は、私が人生で初めて訪れた海外の都市。
この時の目的地はシンガポールだったが、上海で乗り継いだ以上、正確にはそういう事になるだろう。
この時は、海外渡航経験のある友人に、チケットの予約等、色々任せていたので、私は文字通り、着いていくばかりだった。
日本から上海までは、国内線に毛が生えた程度の時間しかかからない。
だけど、中国の航空会社というのは、機内に入った途端、中国を感じさせてくれる。独特の香り、話し方、機内食等々、、、。
そんなこんなで上海に到着するわけだが、到着した途端、3つの悪夢に見舞われた。
1つは耳鳴り。元々、三半規管が弱い方だという自覚はあった。がしかし、ここまで耳が痛くなるとは。初の海外旅行だというプレッシャーもあった為か。とにかく、着陸間際から、乗り継ぎ時間の4時間ずっと、耳が痛く、詰まったような感じがした。
2つ目は、お金。私だけでなく、周りの友人も含めて、乗り継ぎ先でのお金の事を完全に忘れていた。
シンガポールでは、現地の学生が、両替の事など面倒見てくれる予定だったので、上海での両替の事など、全く考えもしなかった。
乗り継ぎ時間が短ければ、殆どお金は必要ないし、水や食べ物くらい、クレジットカードを利用すれば良い。
しかしこの時は、大学2年生の未成年だったので、クレジットカードを所持していなかった。友人の中には、持っている人もいたが、それはあくまでも少し大きい買い物をするためのものであり、ここで出番が来るとは思っていなかった。
乗り継ぎ時間が4時間あり、食事もとりたかったので、結局、1人1000円くらい集めて、6人まとめて両替し、少額の「中国元」を得る事で、事なきを得た。
3つ目の悪魔は、これはもう、とばっちりというか八つ当たりというか、とにかく不運な出来事だった。
まず、乗り継ぎというのは、初めてだと少し注意が必要だ。乗り継ぎ地に着陸して、飛行機を降りるが、その後たいてい、どこかのタイミングで、「その土地に正式に入国する者」と、「乗り継ぎをする者」に分けられるレーンがある。大抵は標識が出ているが、ぼーっとしていて見落とし、正式入国者の流れにそのまま着いていく事のないようにしたい。
その点、6人もいた私達は、ちゃんとしていた。多分、ちゃんとしていたのだ。なのに何故か、パスポートと搭乗券を確認したスタッフの方に、大声で怒られた。中国語と英語で。「そっちじゃない。こっちの通路から行け。」と。私たちがレーンを間違えたのではない。説明が難しいのだが、そもそも、そこのレーンは、あっちから行こうがこっちから行こうがゴールは同じで、大した違いは無いように見えた。それを、たまたまスタッフがイライラしていたのか、それとも国民総お役所仕事の中国の洗礼だったのか、ともかく凄く怒られて、逃げるようにそこを通り過ぎた。
(今振り返っても、語気が強い中国語が「怒っている」ように聞こえたのではなく、あれは本当に怒られたのだと思う。)
私の初海外、初乗り継ぎは、こうして波乱の幕開けであったが、その後たどり着いたシンガポールが、楽しくて、楽しくてたまらなかったので、この悪夢の事は、綺麗さっぱりなかった事にしてあげて、その後も上海乗り継ぎで別の場所に向かう旅行を、何度か経験した。
④「北京」にて
恐らくこれが、私の海外旅行経験の中で、一番印象的な「乗り継ぎ」体験であろう。
この時は、ベルギーへの一人旅。と言っても、ベルギー在住の友人に会う予定もあったので、半一人旅と言ったところか。
旅程は、まず、日本から北京へ向かい、数時間の乗り継ぎ時間を経て、深夜に北京から機中泊でブリュッセルへ向かう、という算段だった。
そもそも、日本からの出だしがよくなかった。いつも通りに空港へ向かうと、1時間程度、私が乗る予定の便は遅れていた。乗り継ぎ時間は4時間程度だったので、遅れてくれる方が、寧ろ丁度良いと思っていた。時間に余裕があるので、しばしぼーっとしていると、いつの間にか、狭いフロアを取り囲むように大行列が出来ていた。何事かと様子を窺うと、行列の震源地は、私が乗る予定の航空会社のチェックインカウンターからだった。どうやらそこの航空会社では、私が乗る便以外の便も遅れが発生しており、てんやわんやしているようだった。仕方なく私も行列に加担し、近くにあった電光掲示板を見やると、出発はさらに1時間ほど遅れていた。乗り継ぎに間に合うのか、段々と不安になってきた。
というのも中国の空港(上海以外)では、入国せずに乗り継ぎする事が出来ない。つまり、一度中国に入国し、荷物も受け取って、改めて航空会社のカウンターに並んで、チェックインをしなければならない。
北京の空港を使うのは初めてで勝手も分からないから、迷う可能性だってある。ギリギリ間に合うか、間に合わないかの瀬戸際だろうと考えた。
長い長い、チェックインを終え、一応、「遅延証明書」なるものを受け取ってから、飛行機に乗り込んだ。あとはなるようにしかならないのだから、大きく構えていようと思っても、具の正体が分からない機内食のサンドイッチを食べると、何だか吐き気がしてきて、余計不安になった。
日本から1時間半程度、「青島(チンタオ)」という都市で、途中降機した。
「え?北京じゃなかったの?」
いいえ、北京乗り継ぎです。
どういう理由か分からないが、中国行きの飛行機には、こういう路線がある。ここでは「青島」を経由地とし、日本⇒青島⇒北京の順で目的地へ向かう。「青島」は一応、「経由地」であって「乗り継ぎ地」ではない。一旦飛行機を降りて別の飛行機に乗り換える為、「乗り継ぎ地」と変わらない気がするが、あくまでも便名は同一。
体感としては、「ちょい乗り継ぎ」といったところか。
その「ちょい乗り継ぎ地」である青島で、事件は起こった。
飛ばなくなったのだ。飛行機が。北京への飛行機が。
理由は分からない。ともかく、翌日の早朝飛ぶ事だけは分かった。
これで完全に、ブリュッセル行きの飛行機に乗る夢は途絶えた。
落ち込んでいる私と比較し、周りの中国人は、大して心を乱された様子はなかった。
あとは家に帰るだけだから、1日くらい、お金貰ってホテル泊まりするぐらい、寧ろラッキーってか。
いや、「そんな細かい事いちいち気にしてたら、この国では生きていけないよ。」ってか。
初の海外旅行での上海乗り継ぎ以来、13億人が住む大陸からの洗礼が、ここに始まった。
その便に乗る予定だった人の中には、帰省途中だという、日本へ留学中の中国人学生がいた。
彼の存在は大きかった。中国語が分からない日本人乗客に対し、「飛行機が飛ばない事。」「でも理由は分からない事。」「飛行機は明日の朝に飛ぶ事。」、この3点を通訳してくれた。
中国行きの飛行機で、日本人の乗客は結構少ない。何度か乗っているが、いつも8~9割は、中国人だという気がする。
今回は、私の他に、私と同じくベルギーに行く予定の男性、エジプトに留学に行くための乗り継ぎ地で足止めくらった英語が堪能な男性、ドイツに行く予定の学生カップル(日本人女性とドイツ人男性)、そして北京が目的地の中国好きな女性が、乗り合わせていた。
こういう時の連帯感や仲間意識は、トラブルを楽しむ糧になる。
航空会社から渡された数百元を手に、大型バスに乗り込んだ。
暗い夜道を、バスが駆け抜ける。
思いもかけず来ることになった「青島」。
何てことはない都会に見えるけれど、あの大女優ファン・ビンビン生誕の地だと思うと、日本の地方都市とは、やっぱりスケールが違う気がした。
ホテルへ到着すると、ホテルスタッフが簡単に説明を行い、カードキーが配られ、皆それぞれの部屋へ向かう。
我々日本人一行は、空腹だった。一応、先が見えている事と、仲間がいたという安心感で、空腹感が襲って来た。
中国人留学生の彼に、ホテルのフロントにて、近辺の、所謂コンビニの場所を聞いてもらい、一同、暗い夜道を歩いた。
着いたのは、本当に日本のコンビニのような所で、私は青島ビールと、中国のインスタント麺は味が分からないので、日清のカップラーメンを購入した。
苦味の少ない青島ビールを、ホテルの部屋で、口の中に流し込む。
お酒を飲む心意気が残っているうちは、人間何が起こっても大丈夫だ。
翌朝、再度大型バスに箱詰めにされて、空港へ戻った。
青島から北京行きの飛行機内で出されたサンドイッチは、昨晩出されたものより、幾分かマシだった。
北京へ到着。
さて、ここからが勝負だ。
今回、日本から北京間に利用した航空会社と、北京からブリュッセル間で利用する航空会社が異なる。
つまり、昨晩乗り損ねた便を、どのように補償して貰えるか、腕の見せ所だ。
私の腕ではない。
中国人留学生の彼だ。
中国語が全く出来ず、英語も旅行に困らない程度しか出来ないので、航空会社のスタッフとの交渉を、彼に託す。
私だけではない。
ヨーロッパ行きを予定していた他のメンバーも同じだ。
中国人留学生の彼は、本来なら帰途につくはずであるが、予想外の事態となった私達日本人の状況をとても面白がってくれ、快く私達に協力してくれた。
彼の心意気のお陰で、私たちは全員、追加料金を払わず、便を振り替えて貰えることになった。
と言っても、1日1便しかない為、出発は今日の深夜。
これから半日程度、北京で宙ぶらりんな訳だ。
勿論、空港に監禁される訳ではなく、昨夜の如く、今度はミニバンのような車で、またホテルに案内された。
ホテル到着後、取り敢えず昼食を食べに外に出る。
もう、中国人留学生の彼とはお別れしたので、ここからは自分達の嗅覚に頼るしかない。
ホテル付近の食堂で、麻婆豆腐のようなものや、とにかくそれっぽい中華料理をいくつか頼む。
監視カメラの映像を映す大きなモニターが設置されたレジを前に、落ち着かない気分。
食欲もあまり湧かず、最低限腹に納めたところで、ホテルの事を思い出す。
ブリュッセルで泊まる予定だったホテル。到着するのが1日遅れるので、1日分キャンセルしなければならない。
さて、どうするか。
私の前に座る、エジプト留学予定の男性を見る。彼が、今朝の航空会社のスタッフとのやり取りで、とんでもなく英語が上手かった事を思い出す。
ホテルの電話番号を調べ、彼に、キャンセルの電話を入れる事を依頼。
快く快諾してくれた彼は、流暢な英語で事情を話してくれる。
これで懸念点は全て解消。
人に恵まれる人生であることに感謝。
ホテルに戻り、時間になるまで寝ようとする。
がしかし、真っ昼間。全く眠くない。
どうしようか。
と思っていたところへ、隣の部屋から、私と同じくベルギー行きの男性と、エジプト留学予定の男性が、「北京観光どうですか?」と、声を掛けてくれる。
そうだ。折角なんだから、北京も楽しまないと。
ネットもろくに繋がらない中国で、行き先で思いついたのは「天安門広場」。
そこでの出来事は、以前記事にしているので、こちらを参照願う。
ちなみに、中国人留学生の彼は2020年秋時点で、上海で働いている事だけは知っている。
彼が留学していた大学は、奇しくも私が通っていた大学と同じだった。
いつかまた、彼に会いたいと願う。
⑤「台北」にて
2019年夏の旅行は、またしてもベルギー。今回は、10日間休みを取って、ベルギー在住の友人と、東ヨーロッパまで小旅行に出かける予定だった。
ベルギーまでの道中は、今回も一人。台北での乗り継ぎ時間は約4時間。
ちょっと長いが、このくらいは慣れたもの。
飛行機も予定通り到着したので、後は慌てることなくゆっくりと過ごす。折角台北にいるので、空港内のカフェで、エッグタルトとミルクティーを頂く。おまけに友達と、LINE電話もする。慣れれば楽しい、乗り継ぎ時間。
空港内を移動しながら、ふと、大きな電光掲示板を眺めた。
アジア、アメリカ、ヨーロッパ、中東、アフリカ、、、。
ここから、色んな人が色んな所へ旅立つ。
一生行く事のない町が、殆どかもしれない。
飛行機が出来る前は当然、「乗り継ぎ時間」などという、変な時間は存在しなかった。
移動は、土に接した陸路か、波に接した海路のみ。
電車や船に乗っていると、心も一緒に、ちょっとずつ目的地へ近づく。
ところが空路は、雲を超えてひとっとび。時差があるから、時空を超えたような錯覚に陥り、しばし心が置いて行かれる。
行こうと思えば、どこへだって行ける。だけど一生のうち、行ける場所は限られている。巨大な電光掲示板を前に、地球に対する自分のちっぽけさ、一生の短さを感じる。
その地球でさえ、宇宙から見たらちっぽけな若造である事に思いを馳せる前に、歩き出して搭乗口へ向かう。そろそろ、心をベルギーへ飛ばす作業が必要だ。
因みに、この旅行の帰りの飛行機で、遅れが発生した。台北に到着するや否や、スタッフさんに、大声で日本行きの乗客をかき集められ、ゲームセンターにあるおもちゃの車のようなものに乗せられ、猛スピードでターミナルを疾走。帰りだという余裕と、間に合ったという安心が相まって、何だか清々しくて、滑稽で、思わず笑いたくなる。
無事に飛行機に乗ると、隣の若いお兄ちゃんが、「この人、遅れて乗ってきたのか。」という顔で、私を盗み見る。
違う、呑気にしていて遅れたんじゃない。私は、「乗り継ぎ」なの。
海外慣れしていなくて搭乗に遅れたと思われたくなくて、私は「乗り継ぎ」だったんだと、機内アナウンスで伝えてもらいたいような気分になる。