母との時間(5)
前回の続きです。
手術翌日
夫とお昼すぎに病院へ
術後の説明で、13時過ぎから面会可能とのことだった。
先生が、
できるだけ、ご家族の方の声を聞かせて下さい。
そう仰ってくださいました。
ICUの前のインターフォンで名前を告げ、消毒と上着を着て中へ通される。
ベッドへ行くと痛みに顔を歪める母。
お母さん
そう呼ぶと、うんうんと頷く。
痛いと言う声が、力なくて…
足が痛いらしく、手で足を擦ろうとする。
ここ?っと、足を擦る。
目を細める母。
まだ、辛いね。
看護師さん呼ぼうか?
手を振る母。
痛み止めを投与してもらい、眠りに着く母を見守り、夫と帰ることに…
先生が来てくださって、
お母さん頑張ってます。
数値も順調です。
言い切ってくれると、ほっとしてか涙が溢れる。
これから帰ることを告げ、
よろしくお願いします。
病院を後にし、従兄弟に連絡。
子ども達にもLINEで連絡。
息子が、術後3日目に行くと、
おばあちゃんね、痛そうに顔歪めてた。
辛いのにね、おばあちゃんすごいんだよ!
次は、ママの番だから、痛いなんて言ってられない!
そう言うんだよ。
ママ、やっと決心ついたんだね!
息子の言葉は、ずしっときた。
子ども達にとって、私との時間は、母との時間なんだよね…。
母は、自分の血液をストックしてあったもので輸血をした。
そして、1週間で大部屋に戻ることができた。
身体障害者の手続きも、無事完了。
申請から約1ヶ月後に、手帳が届いた。
退院も、その頃だった。
その後
退院後3ヶ月で白内障の手術を受ける。
そのまた3ヶ月後、当初予定していた腰の手術が決まる。
私は、母が一段落したら…と、手術を先延ばしにしていたけれど、腹腔鏡での手術が可能な大きさギリギリに成長してることもあり、母を待たずに手術をすることを選択した。
そして、入院手術をすることは、ギリギリまで伝えないことを決めた。
母が無事である今、この時の選択に間違いはなかったと思える。
心臓の弁膜置き換えに、生体弁を選択したことから、その時が来たときの思いもある。
今現在の状況から、手術は選択出来ないため、そのまま無理なく…行動も制限されていくんだろうな…。
出来るだけ、母の声を聞こう。
母と話そうと思った。
無事退院して
自宅を構えてから、両親は、年末年始を静岡で迎えてくれていた。
今までは、クリスマスの頃に私が車で迎えに行って、年明けてから夫が送ってくれていた。
この年は、私も術後半年経たないこともあり、父が母と新幹線で行くと言いだした。
最寄りの駅から特急で東京駅へ。
東京駅から新幹線に乗り換えとなる。
地下のホームに着くため、それなりに歩くことになる。
母は、障害者手帳があるため、車椅子での乗り換えのサポートを受けることにした。
ホームに到着すると、車椅子に乗せてもらい移動する。
父は、駅員さんについて行くのが精一杯だったらしくて、駅に迎えに行くと、いい経験をした。
お母さんはいいけど、お父さんは疲れた。次は車だな…っと笑う。
帰りの切符の手配をしていると、父の動きがおかしい。
持っていたバックがない。
うろうろ落ち着かない。
認知症?
泊まっている間、様子を伺う。
テレフォンショッピングでの買い物の話を、母から聞いてビックリ。
母のためにと買った杖が、10本にもなるという。
妹夫婦に、受診をすすめた。
結果は、アルツハイマーとレビー小体型認知症の合併型とのことだった。
母の手術でのショックは、父には大きかった。
父の母を思う愛だったんだろうな…。
今は、そう思える。
次回は、せん妄について書こうと思います。
今
今、母は集中治療室に居ます。
一ヶ月まえより、不調でした。
体重が減るという現状から、離れてても出来ることを…。
電話でも、何度となく話していたのに、気づいてあげられなかった。
登録販売者として、医学や医療の知識も勉強してきたのですが、あのとき病院へのタイミングを逃してしまった。
後悔したくないと思っていたのに、出来なかった。
無念です。
延命処置をしない
私達も同意の上、義弟が書面にサインしました。
私達夫婦は、4回目の決断。
迷いは、ありません。
面会が出来ない今、私に出来ることは、『母との時間』を綴ること。
集中治療室から出て、しばらくしたら、転院となります。
そこでの選択は、ターミナルケア。
こんなにも早く、こんなことになるとは…
母との最後の電話で、
退院したら、顔を見に行くよ。
冷たくなったお母さんには、あいたくないからね。
うん、わかった。
この言葉を信じてます。
私の望みは、母の病状を書くことで、少しでも早い病院への受診です。
いつもと違う…見逃さないで!
あなたを知って、あなたのことを悲しむ人は、います。
有限な時間を大事にしましょう。
重たくなりましたが、
今回も、最後までお読みくださり、ありがとうございました。