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下校 修正版

今日は久しぶりに自転車で下校しました。
前公民館に咲いていた百合みたいな純白の花は、枯れて雑草みたいになっていました。綺麗なものの方が早く消えてしまうのがこの世の摂理だと私は思っています、仕方ないことだと割りきれずに思い出しては悲しくなっています。そういえば私のおばさんもそんな綺麗なもの側の人間でした。

おばさんは病気で私のいとこが4年生、私が3年生の時に天国へ行ってしまいました。
彼女は私のことも実の娘のように可愛がってくれました。
私のお母さんが仕事をしているので本当のお母さんのできない分お母さんらしいことをしてくれました。
今でも時々お母さんと喧嘩して、布団に潜って、3年生までは隣の家に逃げ出しておばさんの胸に飛び込んでたのに、と思い出して、憂鬱になります。

おばさんはとても優しい人でした、自分が病気なのに私たちのことを考えてくれるそんなマリア様みたいな人で、幼いながらそんな完璧な人間がいることが少し怖かったです。

朝から早起きした私は妖怪ウォッチの攻略本を読んでました。髪をとかしていたお母さんに近寄って百鬼姫の強さを自慢しようとしました。眠い目を擦ったお母さんからそういえば、と何気なくおばさんの死を教えられました。
その時は分からなかったけどお母さんも悲しかったと思います。でも身近な人が死ぬのが初めてな私は、麻痺したお母さんの心が分からず軽蔑してここから反抗期に入りました。
今でも実はお母さんの気持ちはわかっていません。私はまだ慣れることができません。

お葬式では私が1番泣いていました、いとこは我慢してたけど遺骨を拾う時に泣いていました。骨の欠片が涙でベトベトになってました。

1年間くらいはいとこの家に入る時にいつもおばさんに挨拶をしていましたけど、最近はしていません。そもそもいとことの距離が離れてしまいました。

私はおばさんの帝王切開跡をなぞるのが好きでした。それに影響を受けているのか神秘的な女性を描く時、よく、私は腹部に傷跡を描きます。

結局何が言いたいのか分からなくなってますが、私が1番綺麗だと思っていたおばさんは早くに亡くなってしまいました。それだけです、オチはありません。ただの日記ですし。
私が1番汚いと思ってる自分自身は親によって健康的な生活を強いられてるので多分長生きします。それに、死ぬ勇気もないです。

天国は綺麗な人でいっぱいなんだと思います。私はおばさんが大切に思っていたいとこ、私の弟、そして私自身を大事にしていきたいです。おばさんの代わりになれるとは思えないけど、それが私の生き甲斐です。

来年もまた公民館には百合の花が咲くでしょう、高校生になった私はそれを見て何を思うのか。少しだけ楽しみです。

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