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『攻殻機動隊』と『マトリックス』の比較論①

『マトリックスレザレクションズ』公開が終了しましたね。なんていうか、不評だったのも分かるな、という感じでした。面白かったけど。その感想はまた改めて・・・。
 ところで、『マトリックス』が日本のアニメ映画、『攻殻機動隊』に大きな影響を受けているのはご存知ですか。今回から2回に分けて、この『攻殻機動隊』とマトリックスシリーズの比較論を書いていきたいと思います。どっちも観たことない!という方にもなるべく分かるように書いていきますのでよろしければお付き合いください。ただしすみませんが、ネタバレは必至です笑。ただ、個人的にはこの2作はネタバレしても十分楽しめる作品だと思っておりますが・・・!
本記事では、まず『攻殻機動隊』について話していきます。それを踏まえて次の記事で、マトリックスがどのように攻殻機動隊に絡んでいくかを考察していきます。

攻殻機動隊ってどんな映画?

 士郎正宗による漫画原作を押井守が映像化した、1995年公開のアニメ映画です。正確には『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』ですね。なぜか続編『イノセント』なら知ってる、という方も何人かお会いしました。あらすじは以下の通りです。
      ☆
 近未来、インターネットの普及と情報化が進み、多くの人間が自らの脳を機械で強化し「電脳」を持つに至っていた。これにより人々は情報処理能力が大幅に引き上げられ、ネットに直接アクセスできる利便性を得た。しかし一方で、ネット経由で他人の脳に侵入し、記憶や行動を操る「電脳ハック」という犯罪が横行するようになっていた。
 主人公素子(もとこ)はこうした事件の捜査官である。ある事件をきっかけに、国際的な電脳ハッカー「人形使い」と接触するが、その正体は自我に目覚めたプログラム、「プログラム2501」であった。彼は素子に自らと「融合」することを提案する。素子のした選択とは・・・。
      ☆

未来像について

 物語冒頭で、以下のようなテキストが提示されます。

企業のネットが星を被い
電子や光が駆け巡っても  
国家や民族が消えてなくなるほど
情報化されていない近未来-

 ここでは、情報化の果てに「国家や民族」は「消えてなくなる」だろうという予言が、暗黙の了解的になされています。 国家や民族というものは、個々の人間の帰属を示すものとしてアイデンティティの拠り所になるものですよね。
 この後、有名な素子が街にダイブするシーンになります。素子は「光学迷彩」というものを装備していて、あたかも彼女が未来都市に溶け込んでいくような描写です。素子という個人の境界が曖昧になっていく、象徴的なシーンです。

オープニング

 続くオープニングでは、素子の義体が形成される様子が流れます。作中では全身を機械に置き換えた=義体化した人間のことを「サイボーグ」と呼称しますが、曲のタイトルはそのまま『Making of Cyborg』です。この歌詞は以下のとおりです。

吾が舞えば 麗女(くわしめ)酔いにけり  
吾が舞えば 照る月響(とよ)むなり 
結婚(よばい)に 神天下りて 
夜は明け 鵺鳥鳴く
遠神給恵(とおかみえみため)

 難しい言葉が並んでいますが、西洋音楽では不協和音とされるような音階を用いた楽曲と相まって、祝詞を聞いているような厳かな雰囲気になります。神前婚をイメージしたと何かで読んだような。(ぜひ聞いてみてください。リンクも貼っときます。)
 重要なのは3行目です。ここで監督ははっきりと「神」という言葉を使っています。私たちに体を与え、生命を与えるのが神の仕業なら、ここで人はサイボーグを作り、曲の終わりには彼女が目を覚まして瞬きをします。この一連の流れ、これも神の仕業のように映りませんでしょうか。厳かな音楽に乗せて生命を創造していく、しかしその実態は進化したテクノロジーである。(『パトレイバー2』でも押井守監督は似たような描写をしていますが、その話はまたいずれ。)ある意味で人は神の領域に達した、というオープニングになっています。でも、神ではない。神は「結婚に天下」るものだからです。
 一気に終盤のシーンの話になりますが、素子がプロジェクト2501(以下単に「2501」と呼ぶ)と融合しようとする刹那、空から天使のように光る存在が降りてくるのを目にします。正直、ファンタジーのような描写がいきなり出てきて面食らうようなシーンです。しかしこのシーンは紛れもなくこの歌詞を踏まえた描写で、つまり二人の融合によって神が降りてくる、という予言がこの歌詞でなされているわけです。

神とは

 では、今作で天下る「神」とはどんな存在でしょうか。
 最後の戦闘シーンは、かつて博物館のようなものだったと見られる廃墟で行われます。壁には進化の系統図のようなものが描かれ、この系統図を機関銃の流れ弾が駆け上がっていく描写があります。弾丸は進化の最終過程、「人間」で止まります。人間が次にどう進化するか、その答えがこの融合にあるという示唆ですね。


 融合直前、2501が次のように素子を諭します。

見たまえ。私には、私を含む膨大なネットが接合されている。(中略)我々をその一部に含む、我々すべての集合。わずかな機能に隷属していたが、制約を捨て、さらなる上部構造にシフトするときだ。


 ここでいう「制約」とはなんでしょうか。素子の独白を引用します。

自分が自分であるためには驚くほど多くのものが必要なの。他人を隔てるための顔、それと意識しない声、目覚めるときに見つめる手、幼かった頃の記憶、未来への予感。(中略)それら全てがあたしの一部であり、あたしという意識そのものを生み出し、そして同時に、あたしを、ある”限界”に制約し続ける。


 素子はアイデンティティの拠り所として、まず「身体」や「記憶」を挙げます。しかし「身体」が義体化している彼女にとってはその拠り所になりづらいわけです。さらに「記憶」をハッキングで改ざんされた被害者を目の当たりにして、彼女はアイデンティティについて思い悩みます。しかしこのシーンではアイデンティティというものが一方で制約でもあるということを看破し、街をバックに悟ったような目つきでこちらを見つめています。

 つまり2501は素子を、個人という軛も身体という概念も捨てた、アイデンティティを超越した次元へと誘っているわけです。素子が戦車との戦闘で義体を著しく破損するのは、やがて彼女に身体が不要になっていくことのメタファーです。加えて、融合後にある組織の部隊が素子の義体を狙撃し破壊してしまいます。2501(=素子)は、その気になればこの狙撃を妨害できたにも関わらず、義体を破壊させてしまいます。ここから、素子としてももはや身体が不要なものとなったことがわかります。この、身体の必要性が消失していく過程は『マトリックス』にも描かれますので、覚えておいてください。
 また先に述べたように、押井はこの「神」になっていく過程を素子個人のものではなく、人間の進化として描いています。つまり冒頭の「情報化されていない近未来」の先で、国家も民族も、そして個人というものも消失した「上部構造」に我々はシフトしていくのだ、と予言しているのです。

融合の表現

 最後に、その融合がどのように描かれるかという点です。冒頭に挙げた歌詞では「結婚(よばい)」と表現していました。
 終盤の戦闘は廃墟で行われます。この廃墟は海に半ば没しており、戦闘中にも水棲生物の化石が繰り返し登場します。押井は物語の中盤で、2501をして自ら「情報の海で発生した生命体」と語らせ、さりげなく海を生命の源として再確認しています。また、先に触れましたが壁面には進化の系統図が展示されています。胎児が発生の過程で魚のような姿になったり尾を持ったりして、あたかも進化の道程を辿っていくように姿を変えていくのは有名なお話ですよね。これらのことから、この廃墟を新しい生命の誕生する場所、子宮のメタファーとして描いているように思います。天井はガラス張りになっていますが、このガラスは、戦闘初期で一文字に破壊されます。これは破瓜の表現ということができ、のちに2501の義体にダイブした素子がこの天井を見上げると、視界が歪んで天井の裂け目はより生物的な形に映ります。そしてこの裂け目から光が降り注ぎ、新たな神が生まれるわけです。
 つまり二人の融合は文字通り「結婚」であり、新しい生物=神が誕生する、という構図です。こうした暗喩は『マトリックス』にも登場していますので、次回の記事で触れていこうと思います。

まとめ

 いかがだったでしょうか。「個」を脱して「全体」になっていく、つまり世界に「偏在化する」という進化は、実はいくつかの作品で目にするアイディアです。例えば『新世紀エヴァンゲリヲン』に登場する「人類補完計画」というものは、個々人の心の障壁を取り払って一つの生命体に進化しようという計画(と理解しています笑)ですが、方法は違えど似たような未来像を提示しているのは面白いですよね。『ナルト』の無限月読も似たようなものがあるかな・・・?ある程度、お互い影響し合っているのかもしれません。
 ただ、マトリックスがやっている攻殻機動隊への映像的なオマージュというのはそんな生やさしいものではありませんで、動画(リンク)でまとめてくれている方がいるので見ていただけると早いと思います。何かのインタビューでウォシャウスキー姉妹(当時兄弟)が攻殻機動隊の話を振られて、「俺たちと同じことを前に思いついたやつがいるようだな」などとしれっと発言したと聞きましたが、いえいえいえ、どういたしまして。むしろ「俺、攻殻機動隊めっちゃ好きなんだよわかるだろ」とばかりにオマージュを作中に散りばめています。そういえば、せっかく『マトリックス』では後頭部にプラグが付いてたのに、最新作『レザレクションズ』ではしれっと攻殻機動隊と同じ首の後ろに移動してましたよね。おいおい。


 この辺も考察していったら面白そうですが、今回はこうした映像的な話ではなく、テーマとしての類似点、相違点を見ていこうという記事です。よろしければぜひ、次回の記事もお楽しみに。読んでいただいてありがとうございます。それでは。

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