「休むことについて」について
生放送の後に録っちゃうカンちゃんケンちゃんが愛しい第3回。
私自身の話も多くなってしまったので興味のない方はさらーっと流していただけると嬉しい。
垣間見えるケンちゃんという人
まずやはり自己紹介に「天使の歌声」を押してくるケンちゃんが愛しい。
忘れていたがこんなにウリにしてたのか!
面白すぎるので公開収録の時はぜひ「天使の歌声」をもう一度押し出して自己紹介して欲しい。
そして、カンタくんの真似をして10キロ走った?だと!?
「要領の悪い努力をしちゃう」とさらっと言っていたがなんてストイックなのだろうか。
カンタくんと同じように泥臭く何かを探して足掻いていた人なのかな、と思ってとても愛しくなった。
寝られないカンタくん
寝れないのが分からないカンタくん。
トミーの助手席で寝ない唯一の人、カンタくん。
寝る時は夢もあまり見ないということで気絶では?という心配はあるが寝落ちはないというから大丈夫、なのだろうか。
そんなカンタくんが小さい頃寝れない時期があったという。
不眠症になって焦ってドツボにはまったものの、「寝れなくて死んだ人はいない=怖いことではない」という思考の整理を行い、枕を逆方向にして「寝れない」というイメージを払拭したという。
前に話していたときも思ったが、やっぱり賢い人だなぁ。
幼いながらに自分の固定概念を壊して己をコントロールしていたカンタくんに尊敬しかない。
ただ、結論が「Y軸に動く」
うん、変だなぁ。(褒めてる)
それを受け入れるケンちゃんも、変だなぁ。
ついでに地球を信じて階段の手すりにパソコンを置くカンタくんも、変だなぁ。
地球信じるなら引力まで信じることになると思うんだけど。
休むことについて
水溜りボンドは毎日投稿をやめた2020年末から休みを意識するようにしなければならないと思っているとよく口にするようになった。
実際、コロナ禍で自由に動けない期間やトミーの自粛期間もあったため、本当にカンタくんが休みを意識できるようになったのはここ1~2年なんだろうと思う。
そんなカンタくんが休まねばと思った理由は「トミーや周りの人が異常なほど働く自分を見てそれが正しいと無茶するようになったのではないか。」と思ったから。
そうだね。
周りの人はおそらくカンタくんへのリスペクトがあるから、カンタくんが頑張っているのに「頑張らない」はないなと思ってしまうよね。
特にトミーは本当にそう。
だからこそオフの日には🌴マークをつけてちょけてみたり、泣きながらディズニーに行ってると思って欲しいと口にしたり、誰より休んでいることを意識しているという。
なんていうか、周りに影響を与えている自覚があって素敵だなと思う。
こういう卑下せず正しく自己を認識している感じがカンタくんの素敵なところのひとつだと思うのだ。
そして、休むようになった理由のひとつにファンとの関係性の変化もあるように思う。
「心配をかけてまでやることじゃないな」と思えたという言葉。
正直、毎日投稿に心を支えられて過ごした過去があるから、毎日投稿終了は寂しかった。
今だって5分でも10分でもいいから「水溜りボンド」の動画を毎日見たいと思っていないと言ったら嘘になる。(特に日常)
でも、パニック障害のようになって夜に震えが止まらなくなったなんて聴いたら胸が痛い。
罪悪感で動画も楽しめなくなってしまう。
水溜りボンドのふたりは凄く上手に本数を減らした分クオリティが上がっていることを理解させてくれたし、距離感近くふたりが何を考えているか時間を掛けてファンに伝えてくれた。
だから今も満足感が非常に高いと感じているし、ずっと応援していて良かったといつも思っているけど。
それがなくたってふたりには私たちを幸せにする前に自分達が健康で幸せに笑っていて欲しい。
偽善的に聞こえるかもしれないが、本当にそう思っている。
もしかしたら、トミーの自粛期間、ファンとまた違う距離感でコミュニケーションを取っていくなかでそんな私たちの気持ちを受け取ってくれたのかなと思ったりして少し嬉しくなったのだった。
ちなみに、私もカンタくんほどではないが今振り返ると「ちょっと頭おかしかったな」と思うほど働いていた期間がある。
私の20代は仕事に捧げたと言っても過言ではない。
(以下自分語りなのでお気をつけください。)
一回目は新卒2年目からの数年。
急激に忙しくなり、今なら問題になるくらい朝から晩まで仕事をしていた。
タクシー帰りは当たり前。
昼休憩を取る余裕はないから配給のコンビニパンやおにぎりを食べてしのぎ、ほぼトイレ休憩も取っていなかったので深夜のファミレスで先輩と食べる温かいご飯が唯一の息抜きだった。
でもこれ、意外に辛くなかったのだ。
若さもあっただろうが、みんなで戦っている感じが私にとっては多分意味のあるものだった。
「異常なほど働く」が自信や経験になることもある、とカンタくんが言っていたその感覚でもあると思う。
(そもそも仕事できないやつがトイレ行ったり欠勤してる場合じゃない、という思考の持ち主なので役に立てるということがありがたかったという側面もある。)
二回目は管理者として部署異動した後の数年間。
一回目に比べれば常識的な範囲での仕事時間だったが、まぁ基本12時間以上は職場で仕事をし、管理者が少ないから休みは出来るだけ調整。休みの日でも夜でも相談があれば携帯電話に連絡がかかってくる、といった感じの日常だった。
この時の私、「みんな心身ともに疲れてるし残業代でコストになっちゃうから、まだ働けて残業代もでない私がやった方がいいじゃんね。」と心から言っていた。
今思うと色々とちょっとどうかと思う。
そんな環境だったので休みの日はなにもしていなくても罪悪感が凄かった。
なのでカンタくんの罪悪感は少しだけわかる気がする。
いやなんかもう、「この時間であれやればみんな助かるのにな」とか「昨日元気なかったから今日顔出して話聴いてあげないと手遅れになるかな」とかもうずーっと考えていた。
しかもその当時の上司は体育会系の人で、今思うと「いや、おかしいだろ!」と思うことがたくさんあったのだが新卒でこの会社しか知らない私は「普通の会社ではこうなんだ。私がダメだからいけないんだ。」と思って「自分を使ってなんとかなるならそれでいいや」とある意味思考停止していた。
ただ、体と心には限界があるから。
カンタくんじゃないけど体に出てしまって、会社や帰り道で意味もなく涙が止まらなくなったりしていた。
今ならすぐ休職レベルだったと思う。
でも、それが当たり前だと思っていたから誰に何を相談することもなかった。
よく周りの人に「意外に武士だよね。」「その自分のことだけ根性で乗りきろうとする脳筋なんなの?」と言われるタイプなので、結果的に根性で乗り越えた。
こんな期間を経て新卒から中堅へとなった私はまぁ休めない社会人だった。
シフト制、みんなが休みの時は繁忙な仕事なのでそもそも学生時代の友達はほぼもう誘ってくれない。
年に1回のコブクロのライブ、友人の結婚式以外、ほぼ希望の休みは取ったことがない。
何を隠そうそんな私を人間に戻してくれたのが水溜りボンドなのだ。
毎日必死だった私をほっとさせてくれたのは彼らだし、水溜りボンドが見たくてほんの少し早く帰るようになった。
彼らの人柄と同時に「毎日」というのも良かったんだと思う。
毎日投稿が私にとっては餌付けみたいなものだったのかもしれない。
じわじわと彼らのことが好きだなと思うようになって、109のポップアップとか幕張とか大阪とか、今までならやらなかった「自分を潤してくれるもののために休みを取る」という行動に出るようになった。
幕張の帰り道、休みが取れるかもわかっていないのに大阪イベントに行きたくて姉を誘い、断られ、それでも行きたくて一人で申し込んだ瞬間。
仙台のチケットが余っていると聴いて翌日8時から仕事なのにホテルツアーを申し込んだ瞬間。
自分にこんな行動力があったのか!とひどく驚いたことを覚えている。
好きなもののために休みを取ろうと決め、周りに休みを取ることを受け入れてもらった時、「私、好きなことしてもいいんだな」と思えた。
そうして周りを見渡してみた時、周りも「頑張りすぎ」と心配してくれていたことに気づいて、意外に世界は優しいなと思ったのだった。
そんな経験があるからこそ、水溜りボンドの「休み」に関する思いに共感することも多い。
私はあの期間も無駄じゃなかったと感じているので、ふたりにとってもきっと大切な期間だったのだろうと思っている。
だがしかし、それが続かないことも知っている。
体力、なくなるしね。
だからカンタくんにはこれからも「お散歩楽しい」と思いながら次の20時を目指していて欲しいなと願っているのである。
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