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伝統芸能の[間(ま)]の授業《初級者編》

“あなたが本当にそうだと信じることは、常に起こります。そして、信念がそれを起こさせるのです。”Frank Lloyd Wright

《前回のお話はこちら↓》

伝統芸能の世界では、
[音]が鳴っていない時間を[間(ま)]と表現する。

[間]というのは、何なのか、
無音ならば[間]と言えるのだろうか?




今回は、[間]の授業《初級者編》だ。


皆さんは、“無音”について日常で意識した事があるだろうか?


まずは、[音]と“無音”の関係性を意識する事から始めたい。


琵琶の[音]と[間]は違うものなのだろうか?
それとも、同じものなのだろうか?


演奏家は、習い始めの頃、
琵琶の[音]と[間]は違うものとして意識させられる。

[間]とは、[音]と[音]のあいだ、
[音]を鳴らさない“無音”の時間だと習うのだ。


そのイメージをあえて少し強めてみたい。

琵琶の[音]を実際にあるもの、
形ある実存として捉えてみる。

そして、[間]は、実際には無いもの、姿形のないもの、空気みたいに見えないもの、存在しないものとして捉える。

琵琶の[音]と[間]をまったく違うものとして分けてみる。


これは案外自然に出来るのではないだろうか。


音が鳴っている琵琶の[音]と、
音が鳴っていない“無音”の[間]を二項対立させてみる。

[音]と[間]は似ても似つかぬ他人だと考えてみる。

違うものとして、別々に眺め、別々に扱かってみる。

そのような気持ちでお稽古をしてみる。

初心者の琵琶奏者のお稽古は、だいたいそんな感じだとは思う。


それから、いつものお稽古を録音してみて欲しい。
演者じゃ無ければ、静かな時間帯や場所でフィールドレコーディングしてみて欲しい。


果たして“無音”だと思っていた“空間”や[間]は、
本当に“無音”だっただろうか?



録音する事の効果としては、
出してる[音]を客観的に確認出来る事と、
出していない“無音”である[間]を確認出来る事だ。

音楽は[時間]である。
改めて言う事でもないが、
記録されなければ、通り過ぎて行ってしまうものである。

録音する事により[時間]は切り取られ、
再現可能な状態になる。

切り取られた[音]の実存はより強化され、
“無音”であるはずの[間]も、
空間の微かな[ノイズ]として記録される。
[間]の見える化への第一歩となる。

録音しなければ、気づかずに通り過ぎてしまう微かなノイズ。
録音物の“無音”であるはずの[間]の囁き声に耳を傾けてみよう。


しかし、その囁き声は“亡霊の声”である。

[間]は、録音物の中では生きていられないのだ。




《中級編》へ続く。

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