オワコンって言うな。
「オワコン」という言葉は、終わったコンテンツという意味で、
オワコンのA
Aはオワコンだ
という形で使われます。どちらもAを形容する言葉です。そして、この文章において「私」は登場しません。それこそが私の許せない理由です。
感想と事実の逆転
Aは面白くないという感想から、Aをオワコンと言います。それなのに、オワコンという言葉はAに対する事実として使われ、そこに「私」の感想は含まれていません。まるで、Aはオワコンだから面白くないと言っているかのようです。そうです。当初のプロセスと逆転しているんです。これがオワコンという言葉の矛盾です。
実はこれ、逆でも成立するんです。例えば、テレビで名曲などと言いながら好きでもない曲が出てきたときモヤッとしませんか?それはお前らの好みだろって。そのモヤッとした気持ちは、「名曲」という事実に自分の感想が押しつぶされた気持ちなんです。
人気がないからオワコンなんだ
っていう人もいるかと思います。でも、自分が好きなモノにオワコンなんて言いません。好きじゃないから、オワコンって言えるんです。自分が好きじゃないという感想を、オワコンという事実に隠して伝える卑怯なやり方です。さらに、自分の感想が無いのに、オワコンと言っているとなれば、強い方についてヤジを飛ばすだけの愚者でしかありません。でも、そういう人、結構いると思います。
「終わった」
少し話は変わります。オワコンは基本的に本当に終わったコンテンツ(引退、サービス終了)には使われません。終わってないものを、終われと言わんばかりの言葉。私は、生きている人に死ねと言っているのと大差ないと感じます。多くは本当に死んでほしいと思ってないのも似ていますね。
最後に
オワコンという言葉は、自分の感想から離れた事実のように伝わります。その事実は、コンテンツの作者が必要以上に否定的になり、コンテンツを好む人もその事実によって否定されます。
自分の感想を、事実のように語るな。
蛇足
プラスでもマイナスでも、感想を表すための感想を含まない言葉って結構あって、名作・駄作とか良ゲー・クソゲー。そういう感想を使ってしまいがちだけれど、誰かが傷つくかもしれないという言葉であるということを、留意しなければなりませんね。