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出雲日御碕灯台|島根県出雲市

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出雲日御碕灯台(A)|島根県出雲市 2021年10月15日

 地上から頂部まで43.65mの出雲日御碕灯台(いずもひのみさきとうだい)は石造では日本一の高さを誇り、国際航路標識協会(IALA)が定めた「世界の灯台百選」にも選ばれた日本を代表する灯台。島根県では馬島灯台(浜田市)・美保関灯台(松江市)に次ぎ、三番目に建設された。1903年(明治36年)点灯。現在、日本に現存する5つの一等灯台のうちのひとつ(犬吠埼灯台、角島灯台、室戸岬灯台、経ケ岬灯台)。
 出雲日御碕灯台の最大の特徴は、日本一の高さだけでなく、石造りの外壁と内側にレンガ造りの二重殻複合構造にある。石やレンガによる灯台建設技術は明治初期にイギリスやフランスの技師によって導入されたが、日御碕灯台の二重殻構造の灯台は諸外国には見られず、地震の多い日本オリジナルの技術だとされている。出雲日御碕灯台のほかには、犬吠埼灯台(明治7年)、尻屋崎灯台(明治9年)、水ノ子島灯台(明治37年)が二重構造であるといわれている。

『燈光 大正5年6月号』より

 これほどの高さの灯台が建設された理由は、日清戦争(明治27年-28年)から日露戦争(明治37年-38年)にかけて緊張状態が続いていた日本海沿岸の国際情勢や、浜田・境の両港が国際貿易の港に指定されたことが大きいという。       
 日清戦争後に得た多額の賠償金の多くは軍事費に回され、その一部は灯台建設にも充てられた。また明治32年制定のトン税法(外国貿易船の開港への入港に対し純トン数に応じて課される国税)による収入により、航路標識関係予算は、日清戦争前と比べ驚異的な増額となった(航路標識関係予算は明治25年度の計206,783円から明治37年には計344,307円)。
 富国強兵・殖産興業の政策によって海運が盛んになり、日本各地での灯台の設置に官民ともに大きな期待をかけられていたこの時期、極東に南下を続けていたロシア艦隊への脅威もあり、日本各地では大型灯台の建設ラッシュが始まる。明治30年に鉄造の大灯台・伊江島灯台の設置を皮切りに、レンガ造日本一の塩屋埼灯台(明治32年)、鉄造日本一の魹ヶ埼(とどがさき)灯台(明治35年)、そしてこの出雲日御碕灯台(明治36年)、さらに岩礁灯台日本一の水ノ子灯台(明治37年)と超大型灯台が次々と建設された。

参考
『燈光』2010年3月号、2011年1月号「明治の灯台の話」
 

航路標識番号
[国際標識番号] 0821 [M7334]
位置 北緯35度26分02秒 東経132度37分45秒座標: 北緯35度26分02秒 東経132度37分45秒
所在地 島根県出雲市
大社町日御碕秋台原山1478
塗色・構造 白色 塔形 石造
レンズ 第1等フレネル式
灯質 群閃紅白互光
毎20秒に白2閃、紅1閃
実効光度 480,000 cd
光達距離 21海里(約39km)
明弧 24度 - 245度
塔高 43.65 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 63.30 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1903年(明治36年)4月1日
管轄 海上保安庁
第八管区海上保安本部(境海上保安部)


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すずきたけし
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