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犬吠埼灯台|千葉県銚子市 

2018年9月6日
2018年9月6日
2021年8月21日
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2021年8月21日
2021年8月21日
2021年8月21日
2022年1月2日
2024年11月16日 150周年式典
2024年11月16日 150周年式典
2024年11月16日 150周年式典
2024年11月16日 150周年式典
2024年11月16日 150周年式典
白ポスト 2021年8月21日

犬吠埼灯台(A)|千葉県銚子市 

 関東地方の最東端にある犬吠埼灯台は1874年(明治7年)点灯。銚子市のシンボルであり、日本を代表する灯台。
設計はリチャード・H・ブラントン、工事係は中澤孝政と道家紋太郎、職工にゼームス・オストール、家屋建方の大工棟梁に松本久左衛門。初代灯台長は英国人のウイリアム・バウエルス。世界でも珍しいレンガの二重壁構造が採用されている。
 レンズはフランス製の1等8面閃光レンズ。
 灯台の落成前にこの巨大なレンズを見た漁民たちは、海を明るく照らすと不漁になると灯台建設の中止を求める運動を起こしたが、灯台点灯の翌年にカツオが大漁となり不漁が杞憂であることが分かった伝えられる。
 1945年(昭和20年)7月4日と8月10日に米軍艦載機の攻撃により灯台技術員の高木国三郎氏が殉職。旧レンズは破壊され、現在は燈台部田浦工場レンズ工場で製作された1等4面閃光レンズとなっている。
 昭和初期には21基あった国内の一等レンズの灯台は、現在では犬吠埼灯台、経ヶ岬灯台、出雲日御碕灯台、角島灯台、室戸岬灯台のわずか5基が残されているのみ。戦災によって破壊された一等レンズは10個にも及んだが、光源の乏しかった石油灯器から石油ガス灯器や電球といった充分に光力のある光源の時代となり、多くの灯台が修復にともなって一等レンズと同等の光達距離が出せる三等レンズに変更された。
 しかし犬吠埼灯台は室戸岬灯台とともに戦後も再び一等レンズが設置された(室戸岬灯台は昭和9年の室戸台風の被災と戦災で二度)。
戦後も一等レンズを設置した理由は記録にのこっておらず不明。
田浦工場が製造した現在使用されている犬吠埼灯台のレンズは、完成まで1年あまりを費やし完成。完成時には工場職員たちはレンズの前で涙を流したという。
以後、国内で一等レンズは製作されておらず、この犬吠埼灯台の一等四面閃光レンズが日本最後の国産一等レンズである。

犬吠埼灯台初代レンズ(2024年)

現在霧笛舎に展示されている初代レンズは平成25年3月にそれまで展示されていた愛知県明治村から犬吠埼霧信号所・霧笛舎に移設された。
 

犬吠埼灯台の建設

 1866年(慶應2年)の江戸条約締結によって、イギリス、オランダ、アメリカ各国公使から15カ所の灯台建設の要望がまとめられ、その内10か所の灯台と灯船の設置が決まった(条約灯台)。

【灯台】
観音埼灯台、野島埼灯台、樫野埼灯台、神子元島灯台、剱埼灯台、伊王島灯台、佐多岬灯台、潮岬灯台
【灯船】
本牧灯船、函館灯船

当初、横浜-サンフランシスコ航路を持つアメリカの設置要望にあったものの条約灯台に選ばれなかった犬吠埼だったが、太平洋を北上して北海道へ向かう重要な灯台として明治5年に当時の工部少輔 山尾庸三より明治政府に要望書が出され、同年に認可されている。

 灯台・付属舎・宿舎には千葉県香取郡高岡村で焼かれた国産レンガ193,000枚使われている。国産レンガ造の灯台は犬吠埼灯台の建設が始まった明治5年から一斉に作られるようになった。
 犬吠埼灯台に使用するレンガの選定には、英国産のレンガの使用を主張する英国人技師と、国産レンガの使用を主張する日本人技師・中澤孝政との対立があったとされる逸話が残されているが、犬吠埼より早く建設が始まったブラントン最初のレンガ造の菅島灯台や御前崎灯台では国産レンガが使用されていることや、明治4年に工事が開始された富岡製糸場、明治5年の銀座の煉瓦街などにも国産レンガが使用されていることから、犬吠埼での技師の対立はレンガの件ではなかったとの考えもある。

『燈光 大正5年4月号』より

 また犬吠埼灯台には海外の灯台には見られない、日本独自のレンガ二重壁構造が採用されてる。しかし採用の理由はいまだわかっておらず、日本の地震を考慮した耐震構造の説が一般的だが、防湿効果であるとする説もある。
 犬吠埼灯台の二重壁構造は以後、レンガ造の初代釣掛埼灯台、屋久島灯台、点灯開始時にそれまでの高さ日本一だった伊江島灯台を抜きレンガ造として高さ日本一だった旧塩屋崎灯台、明治期から現在、まで日本一の高さを誇る出雲日御碕灯台、石造灯台最高峰の水ノ子島灯台と、日本人技師による大型灯台に二重壁構造が採用されている。

 明治40年には全国に先駆け船舶通報業務が開始。無線通信が普及していなかった当時は航行する船舶と信号旗により通信を行っていた。また北米航路の船舶が増加するなか、1910年(明治43年)には当時最大級の霧笛を採用した霧笛舎が建てられた。2008年(平成20年)に役目を終えたヴォールト屋根方式(蒲鉾型)の旧霧信号舎と倉庫は、貴重な歴史的建造物として国の有形文化財に登録され当時のまま残されている。

霧笛舎
『燈光 1929年(昭和4年)4月号』より


2024年11月16日に犬吠埼灯台資料展示館がリニューアルされ、これまでの沖ノ島灯台の一等レンズのほか、新たに稚内灯台の初代レンズなどが展示されている。

沖ノ島灯台の一等レンズ(犬吠埼灯台資料展示館)
沖ノ島灯台の一等レンズ(犬吠埼灯台資料展示館)

沖ノ島灯台の一等レンズは国産第一号として、1911年(大正11)から2007年(平成19)まで同灯台で使用されたもの。沖ノ島は島自体が宗像大社の御神体であるため現在でも一般の人の立ち入りが禁止されている。

初代稚内灯台で使用されていたい三等二連閃光レンズ
初代稚内灯台で使用されていたい三等二連閃光レンズ
尻屋崎灯台で使用されていた国産初の霧鐘 

現在

犬吠埼灯台は歴史的な価値の高さから「近代産業遺産」に選定され、国の文化財登録原簿に登録されている。また、登れる参観灯台として灯台内の見学が可能。
 北海道・本州・四国・九州の平地で初日の出が一番早く見られることから毎年初日の出を見に多くの人が訪れ、国内でもっとも来訪者の多い灯台としても知られる。


2022年1月2日

参考
『燈光』2014年11月号、2015年5月号、2016年5月号(燈光会)
『明治期灯台の保全』(財団法人 日本航路標識協会)
『灯台から考える海の近代』(京都大学学術出版会)
『犬吠埼灯台150周年記念誌 犬吠埼灯台は今もなお』 (犬吠埼ブラントン会 犬吠埼灯台150周年記念・灯台ワールドサミットin銚子 実行委員)

【標識名称】犬吠埼灯台
【ふりがな】いぬぼうさき
【所在地】千葉県銚子市犬吠埼
【北緯】35度42分28秒
【東経】140度52分07秒
【塗色】白色
【構造】円形
【構造(材質)】レンガ造
【灯質】閃白光 毎15秒に1閃光
【光度】1,100,000カンデラ
【光達距離】約36km
【明弧】169度から65度
【頂部までの高さ(告示値)】31.3m
【平均水面上から灯火までの高さ(告示値)】52.3m
【設置、点灯又は業務開始年月日】明治7年11月15日
【管区】ー
【電球】第1等レンズ水銀槽式回転機械/霧信号エアーサイレン

Wikipedia



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すずきたけし
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