屋久島灯台|鹿児島県屋久島町
屋久島灯台(B)|鹿児島県屋久島町 2023年10月16日
1897年(明治30年)1月10日点灯。屋久島の北西、永田岬に築造された屋久島灯台は太平洋戦争の米軍の攻撃にも耐え建設当時の姿を今に残す。
1895年(明治28年)、日清戦争に勝利した日本が下関条約により台湾を割譲。台湾を自国の領土としたことで本土との航路が活発となる南方航路整備のために明治28年から明治30年初頭にかけて建設された、いわゆる台湾航路灯台8基のひとつ。設置にあたってはそれまでの逓信省航路標識管理所の直轄ではなく臨時台湾灯標建設部(陸軍省)が実施した。建設にはかかわった人物にのちの陸軍大将の児玉源太郎(臨時台湾燈標建設部長)、灯台技師の石橋絢彦などがいる。
構造は煉瓦と御影石の折衷造りで半円形の附属舎があるブラントン型の煉瓦造灯台。材料の煉瓦は沖縄県監獄署製造であった。またブラントン帰国後のブラントン型煉瓦灯台としては日本で最後の灯台となる。
そのほか、灯塔に通気口が見られることから、断熱と防音、防湿の効果をもつ中空壁構造とみられている。
屋久島と隣の口永良部島との間は「屋久島海峡」と呼ばれ、日本本土から奄美、沖縄等を結ぶ大型旅客船、貨物船が行き交う航路となっており、屋久島灯台は重要な航行の目標となっている。
参考
『燈光』2012年6・7月号、8月号(燈光会)
『明治期灯台の保全』財団法人 日本航路標識協会
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