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釣島灯台|愛媛県松山市釣島

釣島灯台とJMETS練習船「日本丸」

釣島灯台(A)|愛媛県松山市釣島 2024年10月18日

点灯は1873年(明治6年)6月15日。
 松山港沖合い西側の伊予灘と東側の備讃瀬戸航路の分岐点である釣島の西端部)に建てられた釣島灯台はリチャード・H・ブラントンによる瀬戸内海8基のうち最後の灯台。当初は今治灯台として燧灘から来島海峡の目標とされて計画されたが、現地調査を経てブラントンによって釣島へと変更されたとされる(明治37年刊「燈台要覧」)。灯塔構造は円形石造、下部に半円形石造の附属舎。灯塔・退息所・倉庫の石材は影石で産地は山口県徳山市。釣島灯台は瀬戸内で同時期に建てられた鍋島灯台と同型だが、鍋島灯台にはない暖炉が釣島灯台には備えられている。

日本食を食べなかったブラントンは肉類などの食料を神戸から三津浜経由で釣島に運んでいたが、荒天の際は島の果実だけを食べていたという。

 敷地内の旧退息所・倉庫はブラントン初期のベランダがない箱型である(樫野埼、潮岬、神子元島、部埼など)。松山市によって復元保存された旧退息所倉庫は同市の“指定文化財”となっており、明治初期の官舎が大きな改造もなく当時の姿を保っている。

釣島までは三津浜港からフェリーで20分ほど
夏目漱石の『坊っちゃん』に登場する三津浜港

参考
『燈光 2021年1月号』 公益社団法人燈光会
『明治期灯台の保全』 財団法人 日本航路標識協会

松山市|釣島灯台旧官舎のご案内



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すずきたけし
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