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野島埼灯台|千葉県南房総市

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野島埼灯台|千葉県南房総市 訪問:2021年8月21日

1870年1月22日(旧暦明治2年12月21日)に初点灯したレンガ造の野島埼灯台は、横須賀製鉄所建築課長であったルイス・フェリックス・フロランが日本初の西洋式灯台である観音埼灯台に次いで建設した。

1866年(慶応2年)5月に英仏蘭米の四か国と締結した江戸条約によって建設が約束された8灯台のひとつ。また徳川幕府にとっても海軍力増強を目的にフランス人技師であるフランソワ・レオンス・ヴェルニーを首長として雇い建設を進めていた横須賀製鉄所(後の造船所)へ出入りする船舶のためにも東京湾口への灯台を必要としていた。維新後、明治政府がこれを引き継ぎ建設された。設置が急がれていた野島埼灯台は木造四角櫓型の仮設灯台として明治2年10月に仮点灯を開始。本灯台は同年の12月18日に完成し本点灯を開始した。

フランソワ・レオンス・ヴェルニー
野島埼仮設灯台

 灯台の点灯に際し横須賀製鉄所首長のヴェルニーは、明治政府が野島埼灯台の点灯を各国領事になかなか報告しないことや、後に「日本灯台の父」と呼ばれる英国人のお雇い外国人であったリチャード・ヘンリー・ブラントンが陰で妨害しているからではないかといぶかしむ内容手紙をパリ中央灯台部長のレイノーへ書いている。

地上高30mの野島埼灯台はフランス人技師の意地か、英国人のブラントンが建てたその後の灯台のどれよりも高く、明治30年点灯の沖縄伊江島灯台(30.3m)まで日本で最高の灯台の地位を譲らなかった。

初代野島埼灯台

初代野島埼灯台は1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で倒壊。翌年に鉄筋コンクリート造で復旧建設されて現在の野島埼灯台にいたる。

※点灯開始の日付は、野島埼灯台に残る銘板は日本語では旧暦の「明治巳己季(明治2年)12月18日点灯」、フランス語の銘板では太陽暦の「1870年1月19日点灯」と刻まれている。公式の記録では「明治2年12月21日」点灯開始となっている。

フランス語の銘板は太陽暦で1870年1月19日と記されている
旧暦の表記で明治巳己季(明治2)12月18日)点灯
『燈光 大正5年12月号』より

野島埼灯台
航路標識番号
[国際標識番号] 1910
[M6456]
位置 北緯34度54分06秒 東経139度53分18秒座標: 北緯34度54分06秒 東経139度53分18秒
所在地 千葉県南房総市白浜町白浜630
塗色・構造 白色 塔形 コンクリート造
レンズ 第2等フレネル式
灯質 単閃白赤光 毎15秒に1閃光
実効光度 730,000 cd
光達距離 17海里(約 32 km)
明弧 254度から101度まで
塔高 29 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 38 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1870年1月19日
(旧暦:明治2年12月18日)
管轄 海上保安庁
第三管区海上保安本部


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すずきたけし
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