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北海道ツーリング12日目|2022.7.24

「早起きは三文の徳」

私の好きな言葉です。

朝2:00起床。朝っちゅうか深夜。なぜならここ帯広での日の出は4:10。ナイタイ高原まで1時間の距離。3:00にホテルを出れば彼の地で日の出に照らされた十勝平野の絶景が眺められるってワケ。(「ナイタイ」はアイヌ語の”ナイ・エタィエ・ペッ”が語源で「奥の深い沢」という意味)

 しかもホテルの窓から眺める帯広の空の向こうはすでにうっすらと明るくなっているではないか(気のせいかもしれない)。

 急いでチェックアウトして2:40には走り出した。市内は雨が止み、夜明け前の静けさを味わいながら帯広市内を北に抜けていく。

右手、東の空を見ると陽光が焦らすように雲間をうっすら明るく照らしていた。

すぐにいつもの真っ直ぐな道となりひたすら走り続ける。

すると前方が白い。真っ白である。なんと朝靄である。

カムチャッカの若者がキリンの夢を見ている時間に僕は朝靄の中をバスではなくバイクで突っ込んでいく。

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 もはや東の陽光など打ち消され、ただただ白い世界を走り続ける。しかしただの朝靄。なんてこたぁない。そのまま走り続ける。するとヘルメットのシールドが濡れ始める。左手で拭うがまた濡れ出す。どうやら朝靄というより霧雨であった。時すでに遅し。ジャケットもパンツも表面がグッショリと濡れていた。

 最悪である。ホテルで乾かし、中まで濡れた靴も新聞紙を詰め、ドライヤーで完全に乾かしたのである。それがあっというまにまた濡れ濡れである。レインウェアを着るにはすでにその機を逸してしまった。

 心配するこたあない。天気予報は晴れなのである。こんな朝靄、お天道様が昇った途端すぐに掻き消えちまうわ。

実はこの時、僕はこの朝靄(霧雨)はチャンスだと思っていた。

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なぜなら、このように朝靄や霧が立ち込めているということは、高原からは雲海となって見えるからだ。それを実感したのは2020年の北海道ツーリングの際、開陽台で朝を迎え眼下に広がる雲海を見たからだった。

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開陽台からの雲海(2020年)

もちろん雲の下はゴリゴリに五里霧中である。

つまりだ。

このゴリゴリの五里霧中の現状を耐え忍び、ナイタイ高原へと辿り着いた暁には(文字通り)、あの雲海を照らし出す朝日に染まる十勝平野が一望出来るってワケ。

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開園してなかった。

ナイタイ高原牧場は7:00からであった。

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もう日の出の時間である。ここで7:00までの3時間も待つことなどできようか。

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日が昇っているはずなのに暗い。

 高原はナイタイ牧場だけではない。ここから15分の距離に士幌高原ヌプカの里がある。ナイタイがダメならば、ヌプカから絶景を眺めようではないか。(「ヌプカ」はアイヌ語で原野の意味)

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眺められなかった。

そう、ここは高原。気温は15℃。ジャケットはビショビショ。寒い。帯広の「晴れ予報」はどこに行ったのだ。

十勝平野の絶景を見ることなく、敗退した。そう、賭けに負けたのである。

早起きは三文の徳にもならなかった。

トボトボとバイクで来た道で高原を降り、太平洋沿岸にある十勝大津灯台に向かった。

あの霧雨の中をまた引き返す憂鬱さったらない。

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30分ほど走ると快晴でやんの。

もうこういった天気の移り変わりの激しさにはいい加減慣れたが、もはや晴れへの喜びよりも、ため息の後に「やれやれ」と村上春樹の小説のように斜に構えたいくらいであった。

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こういう雲が目に見える速さで移動しているのである。

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バイクの汚れがえらいことになっている。サイドバッグなんて土器みたいに泥で固められていている。

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それでも北海道である。その景色は人工物とて愛おしい。こういった道を見るたびにバイクを停めては写真を撮る。

そして十勝大津灯台。

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残念ながら灯台直下までは工事中で立ち入り禁止であった。

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大樹町に向けて晩成温泉に立ち寄る。

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大器晩成。

私の好きな言葉です。

そんな語呂合わせもありがたそうな晩成温泉はモール泉。道内でも屈指の泉質の温泉である。二度目であるが前回に続きまたしても曇天。

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浴場からの海もうっすらとしか見えなかった。

実はこの時点でまだ8:00過ぎである。湯上がりにバイクに戻ったら晴れていた。

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もうなんだかわからない。

お風呂から上がると早起きの睡眠不足からか少々頭がぼうっとしてきたので大広間で休憩がてら小一時間ほど仕事をする。その後本格的に眠くなってきたのでそのまま寝る。

1時間ほどで目が覚め、時計の針は10:00を指していた。仮眠を侮ってはいけない。運転中に眠けに襲われたら、1時間、30分でも仮眠を取ることで眠気はなくなる。

特に温泉上がりの仮眠はリセットボタンを押すかのように頭の中がスッキリするのだ。

ここまで来たら襟裳岬灯台には寄らないといけない。

襟裳岬までの道のりは天気も快晴で気持ち良く走った。

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シャッキーンという感じで写真を撮る。

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仮眠で頭も切り替えられ、朝のナイタイ高原のことなどすっかり忘れた。

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 途中、橋の手前で工事用信号が赤のため停車していた。右の道路脇にはダートが続き、その先はどうやら河原に通じているらしい。

何を隠そう(隠してないが)、今回の北海道ツーリングのテーマはふたつあった。

ひとつは灯台巡り、そしてもうひとつが釣りである。何を隠そう(隠してないが)すずきはフライフィッシングを13年ほど嗜み、専門誌『FlyFisher』で5年間ほど本と釣りにまつわるコラムを連載していたのである(技術面の記事でないのは察して欲しい)。

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信号機から脇の道に逸れ、河岸へとバイクで降りる。以前のCBR600RRでは絶対に無理な未舗装路でもガンガンいけてしまうXSR700は北海道ツーリングで改めてそのポテンシャルに惚れ込んでしまった。

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 フライフィッシングとは英国発祥の毛鉤釣りである。一般的には毛鉤で鱒(ます)を釣る。元来はなんでもルールを決めてゲーム化してしまうイギリス人が、「エサで魚を釣っても面白くないじゃん」と言って鱒が主食としている水生昆虫であるカゲロウ(Fly)に模した毛鉤で騙して釣ろうと考えた。オモリを使わないので毛鉤を遠方にアプローチするために大きくしなる釣り竿とその反力を生み出す重みのある“ライン”によってキャスティングするという大層面倒臭さい釣りである。

 ホテルリッツカールトンの二代目はキャスティングの理論で1冊の本を書き、毛鉤に魅せられた若者は毛鉤の材料となる羽毛欲しさに大英博物館から絶滅種の貴重な鳥の標本を盗み出した。

 北海道の河川ではニジマス、オショロコマ、ヤマメが主な対象魚である。海から遡上するアメマスなど保護されている魚もいるので注意が必要だ。

ということで毛鉤を流した。連日の雨で川は濁っていたので釣果は望めないが(言い訳)、せっかく道具を持ってきたからにはどこかで使いたかった。これまでチェックしていたポイントはことごとく増水して毛鉤を流せるどころか釣り自体が躊躇われたからようやくである。

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この川には魚がいないこと確認した。

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子熊の足跡。

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川から戻り襟裳岬へと走り出す。

釣れない釣り人はただのブタである。しかし今回ばかりは釣れなかったのに清々しい。天気が良いというのはここまで人をおおらかにするのである。

途中、広尾の町のセイコーマートで襟裳方面からきたライダーと情報交換。どうやら襟裳はガスっているようだ。

この青空ともそろそろお別れである。

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 左手すぐに海が迫る国道336号を走る。
この国道は「黄金道路」とも呼ばれ、崖が続く過酷な自然環境に道路を建設するため、黄金を敷き詰められるほどの莫大な費用がかかったことでこの名がついた。ここはトンネルも多く9つのトンネルの内、えりも黄金トンネルは全長4,941キロにも及び道内最長を誇る。夏でもトンネル内は冷たく寒くて暗いので、徒歩旅や自転車ツーリングの人にとっては最長を誇られても困るくらいの難所なのである。

そんな黄金道路のトンネル群を抜けるたびに寒暖差でシールドが真っ白に曇った。

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襟裳岬灯台。
初点灯は古く、明治22年6月25日。
戦時中に空爆で破壊されたが昭和25年に再建され今に至る。

昭和30年代に秘境ブームを生んだ岡本喜秋『定本 日本の秘境』(ヤマケイ文庫)では、電車とバスを乗り継いでようやくここ襟裳岬の入口まで辿り着くも雪と吹雪で岬への到達を断念する話がある。

 旅程にかかる時間や交通手段など到達までの難度が格段に高かったその昔と比べ、黄金道路もそうだがアクセスが容易になったこの地に「天気が曇ってるなぁ、やだなあ」なんつってボヤキながら来られてしまう。
 そんなイージーモードになった現代の旅において、旅人は軟弱の一途を辿っているのではないか、という一抹の寂しさを感じる。

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この先は岬の先端なのだが疲れるので行かなかった(軟弱)。

♪襟裳の春は何もない春です

ってひどい歌詞だなぁ。なんつって森進一の『襟裳岬』をYouTubeで聴いて襟裳岬を後にした。

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スマイルタウン灯台公園では明治24年に建てられた旧幌泉灯台が記念碑として残されている。ここから国道を挟んだ山上にあった2代目(?)の幌泉灯台は平成21年に廃灯。この公園では毎年8月に「灯台まつり」が開催されている(2022年開催は不明)

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 暗雲垂れ込めるとはこのこと。15:00になるがそろそろこの辺りでキャンプ地を決めないと雨に降られそうである。
それとも、あの雨雲を越えればまた晴天が待っているのか。

あの雲をくぐった先に希望があることに賭け、あと1時間ほど走ることにした。

なんかもう、明日夕方が帰りのフェリーなんだが、正直もうこのまま苫小牧まで行って帰りたいくらいテンションが下がる天気なのである。

30分ほど走ると黒々とした雲の下を抜けることができた。それでも曇天は変わらないが。
今晩のキャンプ先をgoogleMapで探すと、ここから15分ほどでアポイ山麓ファミリーパークキャンプ場を見つけた。
こんな天気だし、結構なバイクが駆け込んでいることだろう。

駆け込んでいなかった。
バイクは僕一人だけであった。というかキャンプ場に誰もいない。まあ、日曜であるし、少ないのはわかっていたが、誰もいないというのも少し寂しい。
少し上にあるビジターセンターで受付を済ませ、北海道最後のキャンプとなった。

 今日の寝床を確保したころで一息ついたものの、相変わらず天気はどんよりとしていて、いつ雨が落ちてきてもおかしくない天気であった。すばやくテントの設営を済ませ、湯を沸かし、礼文島で買ったインスタントラーメンの「利尻昆布ラーメン」を作る(作ると言っても茹でるだけだが)。礼文島から残っていた生卵ひとつを茹で卵にしてラーメンに投入。昆布のとろみと塩っけが美味しかった。

同じく礼文島で買った「糠ホッケ」も食べてみた。
「糠ほっけ」とは、ホッケを糠と塩に漬け込み、さらに燻製にした礼文島の郷土食。という名の酒のツマミ。あれから日数も経ってカビも付いていたので(基本、カビは不可避な食べ物らしい)、カビと糠を削ぎ落とし、頭から皮を向く。

まるでバナナみたい。
燻製の保存食ながらなんともジューシー。そのままでもホッケの味わいが豊かだが、お醤油にちょっと付けて食べたら最高だった。
もちろん味はあのホッケなのだ(当たり前)。


 幸せだった礼文島の1日を思い出しながら食事を済ませた。
ふとあたりが明るくなっていたことに気づいた。頭上を見上げるとさっきまでの雨雲が薄れ青空が見えていた。
そしてさっきまでの曇天が嘘のように晴天に変わっていった。

やれやれである。

本日のルート

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2022年7月13日〜26日の期間中 北海道ソロキャンプツーリング中にアップした日記です。

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