
「映画館で観なければ映画ではない」/映画館と配信について思うこと
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、東京都は週末(3月28日、29日)の外出を自粛するよう都民に呼びかけた。これを受けて高島屋など主要な百貨店は週末の休業を発表。
映画館も例外ではなく、TOHOシネマズほか都内の多くの劇場が週末の二日間の休業を発表した。
ということで劇場で映画が見られず、また外出自粛のために自宅でレンタルや配信サービスで映画を見ることになった映画ファンのtwitterでは「もう映画は配信でも十分じゃないか」「いや劇場で観てこそ映画」など意見が飛び交っております。
映画館で見る映画と自宅で見る映画。
映像表現や音響などに力を入れている作品などを見る際は前者の方が適しています。しかし人間ドラマなど物語重視の映画は後者でも十分楽しめる作品もあります。作品ごとに最大の楽しみが出来るに越したことはないのですが、要は見る側が一番最適な方法で映画に向かい合える環境であれば劇場であろうが自宅で配信だろうがどちらでも良いと僕は思います。
実は映画ファンにとって配信の考えはもっと別なところにあると思うのです。
と、その前にすこし時代を遡って話をしましょう。
ほんの十年前、2010年頃から映画館はフィルムの上映からデジタルの上映へと移行する過渡期でした。
「革命」とも呼ばれたこのデジタル上映への移行を僕は諸手を上げて喜びました。
それまで長年地方で映画を見続けてきた自分にとって都内と地方との上映作品数の格差は絶望的でした。東京でしか見られない映画を知るたびに見たい映画が観られないという悔しさにハンケチをギリリと噛み締めたものです。
上映作品の地方格差の原因はフィルムにありました。物理的な上映素材であるフィルムは数に限りがある。また一作品のフィルム一本を現像するのに10万円〜20万円ほどの費用がかかり、例えば全国の劇場100館で封切り上映をするために配給会社には多額のコストがかかっていました。その他にもフィルムの保管や輸送コストも負担となる。だから都市部の封切り館で上映が終了した映画のフィルムがようやく地方の二番館、三番館と呼ばれた劇場へと渡り上映されていたのです。
(当然時が経つほどフィルムの劣化が発生した)
しかしデジタル化により映画はついにフィルムという物理的制約から解放され、データ化された上映素材は全国津々浦々の映画館へ行き渡るようになる。
僕はそう思って喜んだのでした。
しかし劇場にとっては数千万円と言われるデジタル上映機材の導入費用負担の問題が浮上。
そこへVPF(バーチャル・プリント・フィー)が登場します。VPFのサービス会社は劇場のデジタル上映機器導入の費用を肩代わりし、その費用を一作品ごとに配給会社と劇場から対価を受け取る仕組み。上映素材がフィルムからデジタルになると配給会社はそれまで20万円〜30万円かかっていたフィルムの現像・保管コストがゼロになる。その浮いたそのフィルムのコストを一劇場一作品上映ごとにVPFサービス会社に支払うことになりました。VPFとは不要となったフィルムのコストを劇場のデジタル上映機器(DCP)導入費用にあて、劇場のデジタル化を推進しようというものだったのです。(ただしデジタル上映機器導入に際し旧映写機の撤去などが条件に盛り込まれ、デジタル化されていないフィルムの旧作などの上映機会が失われる問題や、上映機器導入費用の負担や光学ディスクでの上映でさえ機材の使用でVPFの支払いが発生するなど中小配給会社とその作品を上映する単館ミニシアター系の存続問題も浮上した)
結果、配給会社にとって一劇場につき一作品ごとに前述の20万円〜30万円のコストがフィルム時代と変わらずに掛かることとなり、中小の劇場や地方都市の映画館ではそのコストを回収できるほどの収益が見込めない作品については相変わらず地方での配給が難しいままだったのです。
つまり僕が思い描いてたようにデジタル化によって都市部と地方との上映作品格差は改善はされなかったのです。
※現在ではデジタル上映機器費用はリクープされてVPFへの支払い負担はなくなっている。また機材についても当初に比べれば1/3ほどの価格になっている。
2000年から増え始めたシネコンはショッピングモールなどと併設され、ファミリー層やライト層が観客の主流となりました。地方では自宅から車で30分圏内にシネコンが4軒あるにもかかわらず上映作品はどこも同じプログラムということがざらにありました(40スクリーン以上あるのに実際は10数作品しかない見られない)。
デジタル化されても、身近にスクリーンが増えても、地方では依然として限られた作品しか観ることができないのが現状なのです。
ということを踏まえた上で配信サービスの話に戻りましょう。
映画は劇場で見るべきというのは、ある意味贅沢な言葉だと思うのです。
観たくても観られない映画ファンがいるのです。
2016年当時、地方に住んでいた僕は『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』という映画の試写に当選しました。これは配信方式の試写で家のパソコンで劇場公開予定の新作映画が見られたのです。
これに僕は地方民にとっての映画鑑賞の希望を見たのです。
地方に居ながら新作映画が観られる。
これはSNSなど情報がフラットになった現在において、映画ファンの中で都市部でも地方でも新作映画をよーいドンで同時に観られることを意味したのです。
「好きな映画の話がしたい」というのは映画ファンにとっては幸せであり喜びです。それがSNS上で新作映画の話が居住地に関係なく映画ファンとして分け隔てなくできるようになる。
「映画館で観なければ映画ではない」といった映画ファンにとっての理想論はそこにはありません。
それは劇場で観られることが当たり前にできる一部の恵まれた映画ファンの言葉でしかないのです。
配信によって都市部の封切りと時を同じくして地方でも映画が観られるということ。
(もちろん、地方の劇場で上映されることが最も望ましいのですが)
配信とは、映画ファンにとって大好きな映画へ平等にアクセスができる方法であって、体験や映画であるかないかといった話ではないのだと思います。
※カバー写真は鳥取シネマさん。
撮影時に許可いただきました
【参考】
第25回外通協研修会(後編)/「日本におけるVPFの仕組みについて」
文化通信 2011年08月03日
「アート系映画が観られない!?」「映画料金は下がらない?」…映画のデジタル化がもたらすものとは?
シネマトゥデイ 2011年11月24
いいなと思ったら応援しよう!
